『切韻』について
『切韻』(せついん)は、
隋の時代に陸法言(りくほうげん)によって編纂された韻書であり、
601年に序文が書かれました。この韻書は、
唐代の
科挙における詩作において広く利用されたことで知られています。当初は193の韻目が立てられ、
漢字の発音を体系的にまとめたものとして、後世の
音韻学に多大な影響を与えました。
成立の背景
『切韻』が編纂される背景には、当時の中国における方言の差異や、既存の韻書における分韻の不統一がありました。陸法言の序によると、580年代初頭に劉臻(りゅうしん)ら8人が陸法言の家に集まり、これらの問題について議論しました。その結果、蕭該(しょうがい)や顔之推(がんしすい)らが中心となり分韻を決定し、その概要を陸法言が記録しました。しかし、この成果は長く放置された後、十数年後に様々な字書や韻書と照らし合わせ、『切韻』として5巻にまとめられました。
内容
『切韻』は全5巻で構成されており、各巻は四声(平声、上声、去声、
入声)によって分けられています。具体的には、1・2巻が平声、3巻が上声、4巻が去声、5巻が
入声となっています。韻の数は合計193で、平声が54、上声が51、去声が56、
入声が32でした。
各韻の中では、同音の
漢字をまとめて、その最初の
漢字に反切(2つの
漢字を使って発音を示す方法)で発音を記しています。各
漢字の字釈は非常に短くまとめられています。
また、韻の配列順序については諸説あり、遠藤光曉は仏教思想に基づく可能性を指摘しています。いしゐのぞむ(石井望)は、曼荼羅旋法における音の循環が韻の順序に影響を与えたとし、日本語の五十音図の最古の配列順序「いおあえう」との関連性を指摘しています。
歴史的意義
『切韻』以前にも韻書は存在しましたが、現存するものはなく、このため『切韻』は
漢字音を体系的に伝える最古の書として非常に重要です。この『切韻』によって代表される音韻体系は、
中古音、または切韻音系と呼ばれています。英語では、『切韻』によって代表される音を「Early Middle Chinese」、『慧琳音義』などによって代表される音を「Late Middle Chinese」と区別しています。
切韻系韻書
『切韻』は実用書であったため、後世において修正や文字の追加が行われました。そのため、『切韻』の原書は現存せず、
敦煌やトルファンで出土した断片の中に原書が含まれる可能性はあるものの、どれが原書であるかについては学者の間でも定説はありません。現存するのは改訂版であり、これらを総称して切韻系韻書と呼びます。
現存する切韻系諸本や他の書籍からの引用をもとにした『切韻』原本の復元は、主に上田正や李永富らによって行われました。
主な改訂版
『
唐五代韻書集存』によると、主な改訂版として以下のものが挙げられます。
1.
長孫訥言箋注本切韻:長孫訥言(ちょうそんとつげん)が文字を増やし、注釈を加えたもので、677年の序文があります。
敦煌で残巻が発見されています。
2.
王仁昫刊謬補欠切韻:王仁昫(おうじんく)が改訂したもので、成立年については議論がありますが、706年とする説が有力です。大幅に字を増やし、上声と去声に1つずつ韻を追加し、195韻としています。この韻書は『王韻』とも呼ばれ、『切韻』に対して追加・訂正した箇所が比較的明らかであり、もとの『切韻』の特徴をよく保っています。また、各巻の冒頭には『切韻』以前の各韻書の分韻状況が記されており貴重です。
3.
裴務斉正字本刊謬補欠切韻:王仁昫の『刊謬補欠切韻』の改訂版ですが、変更点が大きく、成立年代は不明です。
清朝の宮廷に蔵されていた本がありましたが、上声の一部を欠いています。
4.
唐韻:孫愐(そんめん)が733年または751年に大幅に改訂したもので、
敦煌や蒋斧旧蔵の残巻が残っています。
5.
五代の切韻系韻書:『広韻』にもない「宣」韻(「仙」韻の合口が独立)があるなど、韻を細かく分けています。
敦煌・トルファンの残巻が残っています。
6.
広韻:陳彭年らによって1008年に刊行された『大宋重修広韻』が正式名称です。韻は206に増えていますが、『切韻』で一つの韻を二つに分けただけで、音韻体系そのものには大きな変更はありません。そのため、『切韻』の代用として『広韻』を使っても、
中古音の復元結果に大きな差異はありません。『広韻』は
清代に顧炎武によって再発見されてから有名になり、刊本の完本であり、校訂や索引も完備しているため、完本『王韻』が発見された後も切韻系韻書の代表として使われています。
まとめ
『切韻』は、中国の音韻史において非常に重要な韻書であり、その影響は後世の韻書や音韻研究に多大な影響を与えました。その成立過程や改訂版の変遷を理解することで、中国語の歴史的な発音の変化や、音韻体系の研究をより深く理解することができます。