勝野金政

勝野 金政

勝野金政（かつの きんまさ、1901年 - 1984年）は、20世紀の日本において、激動の国際情勢とイデオロギーの対立をその身をもって経験した作家・思想家です。特に、パリやモスクワでの共産党活動、そしてスターリン体制下ソビエト連邦での逮捕・投獄という極限状況を生き延び、帰国後にその体験を克明に記した著作で知られています。彼のこうした証言は、後にソ連における「大粛清」の実態を世界に伝える先駆的な役割を果たし、「日本のソルジェニーツィン」と評されることもあります。

若き日の志と海外への旅立ち

長野県木曽の地に生を受けた勝野は、幼い頃から文学に強い関心を抱き、故郷の先輩にあたる島崎藤村との交流もありました。旧制愛知一中、そして早稲田大学へと進み、フランス文学やロシア文学を専攻する中で、彼は当時の社会情勢や思想に深く触れていきます。

1924年、彼は更なる知見を求めフランスへと留学。パリ大学で学びながら、彼は現地の共産党活動に参加するようになります。フランス共産党員として、反戦を訴える雑誌に関わったり、日本の運動への情報提供を行ったりするなど、積極的な行動を展開しました。しかし、その活動はパリ警視庁の監視対象となり、1928年には「好ましからざる外国人」として国外追放処分を受けることになります。この追放を機に、勝野は更なる革命の中心地であるソビエト連邦へと向かうことを決意。ドイツ経由でベルリンに立ち寄り、そこで多くの日本人社会主義者や共産主義者たちと交流を持った後、念願のモスクワ入りを果たしました。

ソ連での活動と理想の崩壊

モスクワに到着した勝野は、片山潜をはじめとする日本の共産主義運動の指導者たちと面会し、やがてソビエト連邦共産党の一員となります。当初は講演や執筆で生計を立てていましたが、理想の「地上天国」とはかけ離れたソ連の現実を目の当たりにし、次第に割り切れない感情を抱くようになります。また、同時期にソ連に滞在していた日本共産党の関係者からは、ブルジョワジー出身であることなどを理由に、不信感を向けられていたことも後に明らかになっています。

モスクワ東洋学専門学校で日本語や歴史を教える職を得た勝野は、ソ連のインテリゲンツィアとも交流を深めますが、そこで出会ったアー・ジー・ポポーフ教授が反革命容疑で逮捕されるという出来事に遭遇。これは、後に彼自身が直面する過酷な運命の予兆とも言える出来事でした。

逮捕、そしてラーゲリへ

片山潜の身近で活動していた勝野は、共産主義大学への入学を希望し、その手続きを進めていた最中、1929年に突如、秘密警察であるGPU（ゲー・ペー・ウー）によって逮捕されます。スパイ容疑という曖昧な理由で投獄された彼は、厳しい尋問を受けます。GPUへの協力を拒否し、身に覚えのない疑惑を認めようとしなかった勝野は、理想としていたはずの社会主義国家の暗部に絶望し、激しい怒りを覚えました。第一次五カ年計画の推進によって監獄は収容者で溢れかえり、劣悪な環境下での生活を強いられます。絶望の中でハンガー・ストライキを決行した彼は、独房監禁を経て病院に搬送されるという経験もしました。

1932年、勝野は「5ヵ年の自由剥奪・強制労働」という判決を受け、ウラル山脈を越えた先のラーゲリ（強制収容所）へと送られます。そこでは、白海・バルト海運河の掘削作業など、過酷な労働に従事させられました。怪我を負ったことで収容所の病院に送られた彼は、そこで助医の資格を得て、比較的楽な生活を送ることが許されました。

帰国と体験の記録

ラーゲリでの刑期は短縮され、勝野は1934年に釈放されます。しかし、モスクワに戻っても、師と仰いだ片山潜は既に世を去っており、頼れる人物はいませんでした。ソ連国内での居住もままならず、飢饉に見舞われた地方をさまよった末、日本大使館の酒匂秀一一等書記官の保護を得ることができました。大使館の尽力によりパスポートの発給が実現し、彼はシベリア鉄道を経て満州里にたどり着き、ようやく帰国の途に就くことができたのです。祖国に戻った勝野は、特高警察による取り調べを受けますが、証拠不十分として不起訴処分となり、自由の身となります。

帰国後、勝野は参謀本部でソ連関連の業務に携わる傍ら、ソ連での過酷な体験を綴る執筆活動を開始します。ラーゲリ生活を描いた『凍土地帯』など、彼の著作は、当時まだ知られていなかったソ連体制の抑圧と非人道性を告発するものであり、その先見性は高く評価されています。

戦後は故郷に戻り、家業である製材業を営みました。晩年に記された遺言には、レフ・トルストイのヒューマニズムやジャン・ジョレスのインターナショナリズムへの思いが記されており、彼の思想的遍歴の一端を伺い知ることができます。

没後の名誉回復

勝野金政のソ連における罪状は、没後になってその不当性が認められました。1989年にはソ連で、1996年にはロシア政府によって正式に名誉回復が行われ、翌年には遺族の要請に基づき名誉回復証明書が発行されています。2014年にはモスクワで没後30年を記念する展覧会が開催されるなど、彼の経験と証言の歴史的意義は、現在改めて見直されています。

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