即興詩人

『即興詩人』は、デンマークの作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンが1835年に発表した長編小説です。アンデルセンにとって初めての長編小説であり、自身のイタリア旅行の経験を基にした自伝的な作品として知られています。

この物語は、イタリア各地の美しい自然や風俗を舞台に、主人公である少年アントニオの成長と遍歴を描いています。アントニオは、ローマの貧しい家庭に生まれ、即興詩人になることを夢見ていました。彼の人生は、出会いと別れ、愛と悲しみ、友情と裏切りが複雑に絡み合い、数奇な運命をたどります。

物語は、アントニオが幼少期に出会った神の使いのような少女との再会、母親の死、そして才能を見出してくれる名家の登場など、波瀾万丈な展開を見せます。ローマの謝肉祭や復活祭で歌姫アヌンチヤタと再会し、彼女が幼い頃に出会った少女だと知ります。その後、アントニオは親友との三角関係や決闘を経て、ローマを離れ、ナポリ、ヴェネツィア、ポンペイなどイタリア各地を旅します。

旅先では、盲目の少女ララとの出会いがあり、その後カプリ島で再会します。そして、ついにアヌンチヤタと再会しますが、彼女は心身ともに疲弊していました。彼女が瀕死の状態で送ってきた手紙から、アヌンチヤタが最初から自分を愛していたことを知ります。しかし、時すでに遅く、アントニオは彼女の死後、墓前を訪れます。その後、ララが成人し、視力を回復したマリアだと分かり、二人は結婚します。三年後、彼らは娘アヌンチヤタを連れてカプリを訪れます。

この作品は、アンデルセンが憧れていた南国イタリアを舞台に、美男美女たちの人間模様が繰り広げられます。親友の貴族ベルナルドオ、薄幸の歌姫アヌンチヤタ、小尼公フラミニア、盲目の美少女ララ、サンタ夫人、そしてヴェネツィア一の美女マリアなど、魅力的な登場人物が物語を彩ります。また、イタリア各地の名所旧跡や風光明媚な自然が、情熱的に描写されています。

『即興詩人』は、発表当時から大きな反響を呼び、ヨーロッパ各国で翻訳出版されました。近代日本では、森鷗外がドイツ語版から翻訳し、その雅俗折衷の文語体によって多くの作家に影響を与えました。鷗外の翻訳は、原作者の意図を尊重しつつ、日本の読者に親しみやすい表現に置き換えるなど、翻訳文学の傑作として評価されています。鷗外自身も、この作品を「わが座右を離れざる書」として愛読していたといわれています。

鷗外訳は、単なる翻訳を超え、作品に新たな生命を吹き込んだと言えるでしょう。その美しく流麗な文体は、多くの読者を魅了し、後世の文学者にも大きな影響を与えました。特に、木下杢太郎、斎藤茂吉、阿部次郎、小泉信三など、明治末期から昭和（戦前）にかけて多くの文学者や学者が、鷗外訳を携えてイタリアを巡礼したとされています。

現在でも、イタリア旅行の際に『即興詩人』を携える人は少なくありません。画家・装幀家の安野光雅も、鷗外訳に惚れ込み、作品の舞台となったイタリア各地をスケッチした画文集や口語訳を出版しています。このように、『即興詩人』は、時代を超えて多くの人々に愛され続けている作品です。

主な日本語訳としては、森鷗外訳（春陽堂、1902年）、大畑末吉訳（岩波文庫、1960年）、鈴木徹郎訳（東京書籍、1987年）、神西清訳（グーテンベルク21、2015年）などがあります。また、関連書籍として、安野光雅による『口語訳 即興詩人』や『繪本 即興詩人』、森まゆみによる『「即興詩人」のイタリア』などがあります。これらの書籍を通じて、『即興詩人』の世界をより深く楽しむことができるでしょう。

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