大日本沿海輿地全図

大日本沿海輿地全図（伊能図）について

大日本沿海輿地全図（だいにほんえんかいよちぜんず）は、江戸時代後期に伊能忠敬とその測量隊によって作成された、日本全土を網羅する実測地図です。通称「伊能図」として知られ、その正確性と詳細さは、当時の日本の地図製作技術を大きく進歩させました。この地図は、単なる地理的な記録にとどまらず、江戸時代の社会、文化、技術水準を映し出す重要な歴史資料となっています。

作成の背景

1800年から1817年にかけて、江戸幕府の事業として測量が行われました。隠居後に学問を始めた伊能忠敬は、幕府天文方の高橋至時に師事し、測量技術を習得しました。当時、地球の緯度1度に対する子午線弧長についての諸説が飛び交う中、高橋と伊能は正確な測定を目指しました。幕府は、ロシアの南下に対抗するため沿岸防備を強化する必要があり、蝦夷地（北海道）の測量を命じました。伊能は私財を投じて測量を開始し、その過程で詳細な日本地図を作成することになりました。

測量と地図の完成

伊能は、17年間にわたり10回の測量を行い、その結果を基に地図を作成しました。この地図は、大図、中図、小図の3種類の縮尺で作成され、それぞれに異なる特徴があります。

大図: 縮尺1/36,000で、海岸線、河川、集落、地形などを詳細に記録しました。全214枚からなり、日本全国を詳細にカバーしています。
中図: 縮尺1/216,000で、緯線と経線が引かれ、地理的な位置関係を把握しやすいように工夫されました。全8枚で構成されています。
* 小図: 縮尺1/432,000で、全国を3枚にまとめたものです。携帯性と利便性を重視し、地名や情報は簡略化されています。

1821年に「大日本沿海輿地全図」が完成し、幕府に提出されました。この地図は、実測に基づく正確なものであり、当時の地図製作技術を大きく超えるものでした。また、子午線1度の長さの測定では、今日の計測値と比較しても誤差が極めて少ない数値（約110.74キロメートル）を算出しました。

伊能図の歴史的な出来事

伊能図は、幕府の重要機密として一般公開されませんでしたが、幕末には、その存在が海外にも知られることになりました。特に、シーボルト事件では、伊能図が国外に持ち出され、ヨーロッパで刊行されるきっかけとなりました。開国後、伊能図は、イギリス海軍の測量にも利用され、日本の地図製作技術の高さを世界に示すことになりました。

伊能図のその後

明治維新後、伊能図の原本は焼失しましたが、幸いにも伊能家に保管されていた副本が政府に献納されました。副本を基に近代的な地図が作成され、日本の近代地図製作に大きな貢献を果たしました。

近代地図への貢献

伊能図は、近代日本の行政地図作成において重要な役割を果たしました。文部省や内務省地理局は、伊能図を基に「日本全図」や「実測畿内全図」を作成し、日本全国の詳細な地図情報を提供しました。

伊能大図の発見

2001年以降、アメリカ議会図書館や日本の各機関で伊能大図の一部が発見され、その全容が明らかになりました。2006年には、「伊能大図総覧」が刊行され、一般の人々もその詳細な地図を閲覧できるようになりました。

伊能図の文化的価値

伊能図は、単なる地図以上の文化的価値を持っています。その作成過程や地図の精度は、当時の日本の科学技術水準を示す重要な証拠です。また、伊能図は、江戸時代の地理観や社会構造を理解する上でも貴重な資料となっています。この地図は、後世の地図製作に大きな影響を与え、日本の地理学、地図学の発展に貢献しました。

雑記

「大日本沿海輿地全図」という名前は、大地全体（世界）を表す「輿地」という言葉に由来しています。この名称は、地球を広く捉える意識が反映されており、マテオ・リッチの「坤輿万国全図」など、他の世界地図にも見られます。

伊能図は、海岸線の描写に重点が置かれているため、内陸部の情報は簡略化されている場合があります。シーボルトがヨーロッパで刊行した日本地図は、この点を補完するために、他の地図を参照しています。


伊能図は、その正確さと詳細さから、現代でも歴史資料、地図資料として高く評価され、研究が続けられています。

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