宝暦治水事件

宝暦治水事件：薩摩藩士の犠牲と木曽三川の治水

宝暦治水事件は、宝暦年間（1754年～1755年）に江戸幕府が行った木曽三川（木曽川・長良川・揖斐川）の治水事業において、薩摩藩士が多数犠牲になったとされる事件です。この事業は、濃尾平野の洪水対策として、木曽川、長良川、揖斐川を分流する大規模なもので、「三川分流治水」とも呼ばれます。

事件の背景

木曽三川は、濃尾平野を流れ、合流と分流を繰り返す複雑な地形をしていました。美濃国では小領が分立し、統一的な治水対策が困難であったため、洪水が頻発していました。幕府主導で御囲堤が築かれましたが、軍事的意味合いが強く、美濃国側では低い堤しか築けなかったとされています。

1735年には、美濃郡代の井沢為永が分流工事を立案しましたが、財政難のため幕府の許可が下りませんでした。その後、1747年に二本松藩主・丹羽高庸が井沢の案を縮小した治水工事を行いましたが、抜本的な解決には至りませんでした。

時代が進むにつれて、土砂の堆積や新田開発による遊水地の減少により、洪水被害はさらに深刻化しました。1753年、9代将軍・徳川家重は薩摩藩主・島津重年に川普請工事を命じました。

工事の計画と実施

工事は二期に分けられ、第一期は堤防の復旧、第二期は治水を目的とした工事が行われました。第二期の工事は輪中地域を四つの工区に分けて行われました。

幕府側は薩摩藩に対し、普請情報を秘匿したり、接待を制限したりするなど、意図的な冷遇策を取ったとされています。しかし、薩摩藩から情報提供を求められた際には、工事に支障が出るためとして情報の公開に応じました。

工事の人足は幕府が出し、賃金は薩摩藩が支払うという形になりました。薩摩藩は村請による工事を命じられましたが、費用がかかりすぎるため、町請を希望しました。しかし、幕府は村の人々への援助となるとして、村請を命じました。

1754年、薩摩藩は家老の平田靱負に総奉行を命じ、藩士を現地に派遣して工事にあたらせました。

犠牲者の発生

工事中、薩摩藩士に赤痢が流行し、多くの病死者が出ました。また、堤の破壊に対する抗議や、責任を取る形で自害する藩士もいました。

『岐阜県治水史』によれば、第二期工事中に36名の自害者の名・戒名・命日が記されていますが、詳細は不明です。工事全体では54名の自害者が出、うち薩摩藩関係者は52名とされています。また、病死者は33名で、うち32名が薩摩藩関係者でした。

薩摩藩以外では、高木新兵衛家臣の内藤十左衛門と、幕府小人目付竹中伝六が自害しています。さらに、人柱として1名が殺害されました。

工事の終結と平田靱負の死

1755年、第二期工事が終了し、幕府の検分が行われました。その後、総奉行の平田靱負は死亡しました。通説では、平田は多くの犠牲者を出したことと、膨大な工事費を費やしたことを藩主に謝罪するために切腹したとされますが、薩摩藩の史料では病死とされています。

工事の影響とその後

宝暦治水は一定の成果を上げ、下流地域の水害は減少しました。しかし、大榑川洗堰の破損や、長良川中・上流域での洪水増加といった問題も残しました。

明治時代には、ヨハニス・デ・レーケの指導による木曽三川分流工事が行われ、抜本的な河川対策が実施されました。

顕彰活動

明治時代以降、薩摩義士顕彰運動が盛んになり、平田靱負や犠牲になった薩摩藩士の功績が称えられるようになりました。岐阜県海津市には、平田ら殉職した薩摩藩士85名を祭神とする治水神社が建立されました。

現在の研究

近年では、宝暦治水の評価や、薩摩藩士自害者の存在、幕府と薩摩藩の対立といった構図に対して疑問を示す研究も行われています。

宝暦治水が結ぶ縁

宝暦治水が縁となり、岐阜県と鹿児島県は姉妹県盟約を締結し、交流を深めています。また、大垣市と鹿児島市、海津市と霧島市が姉妹都市提携を結んでいます。

宝暦治水事件は、治水事業の難しさと、人々の献身、そして歴史の解釈の多様性を示す出来事として、今も語り継がれています。

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