山田宗有

山田 宗有（やまだ そうゆう）は、慶応2年（1866年）に生まれ、昭和32年（1957年）に没した、日本の実業家であり、茶道宗徧流の第八世家元でもあります。家元を継承する以前は、本名の山田 寅次郎（やまだとらじろう）として多方面で活躍し、特にトルコとの関係構築や製紙産業において重要な足跡を残しました。

生涯の始まりと茶道との縁

山田宗有、本名寅次郎は、江戸時代末期の慶応2年（1866年）、沼田藩の江戸上屋敷にて、藩用人である中村雄左衛門の次男として誕生しました。中村家は代々家老を務めた家柄です。幼少期を沼田で過ごした後、明治維新を経て上京。明治14年（1881年）には、宗徧流六世家元山田宗学の養子として山田家に入りました。宗学亡き後、妻の宗寿が七世を継いでいましたが、跡継ぎがいなかったため、寅次郎が迎えられたのです。

しかし、青年期の寅次郎は茶道の家元をすぐに継ぐことに関心を示さず、明治16年（1883年）に宗寿が逝去した後も家元を襲名しませんでした。むしろ彼は言論界に身を投じ、陸羯南や福地源一郎といった著名な人物と交流。茶道の指南は高弟の中村宗知に委ねていました。東京での書生生活を通じて、政治活動や出版事業にも手を広げ、かの幸田露伴の処女作を出版社に売り込んだこともあります。露伴は後に、友人である寅次郎をモデルにしたとされる短編「書生商人」を著しています。

トルコとの深いつながり

明治23年（1890年）、オスマン帝国軍艦エルトゥールル号が訪日からの帰途に遭難するという痛ましい事件が発生し、日本社会に大きな衝撃を与えました。この報に接した寅次郎は、民間からの義捐金を集め、犠牲者の遺族に届けたいという強い思いを抱きます。彼は親交のあった日本新聞社の陸羯南と共に募金活動を開始。全国を巡って演説を行い、2年かけて5000円（現在の価値で1億円相当ともいわれる）もの寄付金を集めました。当初は送金を考えていましたが、外務大臣との面談を経て、自ら持参することを決意します。

明治25年（1892年）4月、寅次郎は義捐金を携え、オスマン帝国の首都イスタンブールに到着。外相に義捐金を届けたことが伝わると、遠い東の国から民間人が自ら支援に訪れたとして、イスタンブールの官民から熱烈な歓迎を受けました。彼は皇帝アブデュルハミト2世に拝謁する栄誉にも恵まれ、献上した中村家伝来の甲冑や大刀は、現在もトプカプ宮殿博物館に展示されています。

トルコに滞在した寅次郎は、皇帝から士官学校での日本語教育や東洋美術品の整理などを依頼されます。イスタンブールでの生活を通じて、彼はトルコに深い愛着を感じるようになり、事業を興してこの地に留まることを決意したと自伝に記しています。明治29年（1896年）には一時帰国を経て再びイスタンブールへ。現地の「中村商店」の支配人となり、日本との貿易事業を開始しました。この頃の活動には不明な点も多いものの、彼はイスタンブールと日本を往復しながら、周辺国を訪れるなど精力的に活動していたことが分かっています。1899年には大阪の中村商店経営者の娘と結婚し、子供も授かりますが、妻子は大阪に置いたままトルコとの往来を続けました。

当時の日本とオスマン帝国は正式な国交がなく、治外法権の問題などから交渉が進んでいませんでした。このような状況下で、イスタンブールに長期滞在する日本人は極めて少なく、寅次郎はほぼ唯一の日本人として、訪問する多くの日本人、官民問わず様々な人物に便宜を図りました。彼の世話になった人物には、徳富蘇峰や寺内正毅などがいます。

彼がイスタンブールにいた時期に日露戦争が勃発しました。ロシア艦隊に関する情報が、イスタンブールからウィーン経由で日本にもたらされ、重要視されたことが知られており、晩年の寅次郎自身がその情報提供者であったと語っています。しかし、近年の研究では、彼の情報収集が戦況を左右するほど十分ではなかった可能性が指摘されています。

イスタンブールで日土両国の政府関係者と繋がりを持った寅次郎は、「民間大使」と称されることもあります。彼は皇帝からトルコ人になじみやすいムスリム名「アブデュルハリル山田パシャ」を与えられ、トルコ人の友人たちからそう呼ばれていました。イスラム教への正式な改宗手続きは不明ですが、後に心情的にイスラム教徒に近かったと語っており、日本人ムスリムの先駆者の一人に数えられることもあります。

第一次世界大戦が近づき、オスマン帝国の情勢が緊迫したことで、寅次郎はイスタンブールを離れたとされてきましたが、近年の調査では1906年頃に帰国し、大阪に居を定めたと考えられています。彼は皇帝のために日本から工芸品などを手配するなど、自由にオスマン帝国内を往来できる証明書を得ていたことも明らかになっています。

実業家としての歩み

トルコでの貿易事業を契機に、寅次郎は日本の実業界での活躍を目指しました。しかし、当初の日土貿易は交流が少なく、将来的な発展性に限界を感じていました。そこで彼は、当時オスマン帝国で盛んに製造されていたタバコに着目します。これは、明治33年（1900年）に日本の大蔵省関係者がトルコを訪れた際に、寅次郎が彼らを接遇したことがきっかけでした。

日露戦争の戦費調達のため、明治37年（1904年）に日本でタバコ専売制が強化されると、寅次郎はトルコの技術を導入し、紙巻きタバコ用のライスペーパー（シガレットペーパー）を国産化して大蔵省に納入することを計画します。明治38年（1905年）、彼は実業家たちと共に大阪で東洋製紙株式会社（後に王子製紙と合併）を設立し、監査役として経営に加わりました。同社は日本初のライスペーパー製造に成功し、一時期は専売局に独占供給するまでに成長します。寅次郎自身は1909年に一旦経営から離れますが、後に再び取締役に就任しています。

第一次世界大戦前後から日本に拠点を移した寅次郎は、製紙業に専念し、長く関西の実業界で重きをなしました。

家元襲名とその後の活動

寅次郎が国外や実業界で活躍する間、宗徧流は40年近く家元が不在の状態でした。大正12年（1923年）、57歳になっていた寅次郎は、門弟たちの強い要望に応え、宗徧流第八世家元を襲名し、山田宗有と名乗ります。家元となった宗有は、流派の組織化や機関誌『知音』の創刊など、宗徧流の振興に尽力しました。

また、宗徧流が赤穂浪士の討ち入りに関係する（流祖が吉良義央と同門であり、浪士の中に門人がいた）忠臣蔵ゆかりの流派であることから、東京墨田区で義士茶会を開催するなど、茶道の普及活動にも積極的に取り組みました。

家元襲名後も寅次郎は実業界での活動を続け、昭和2年（1927年）には吹田製紙を創業。この会社は後に三島製紙と合併しますが、彼は引き続き経営に関与し、社長や会長を歴任しました。

トルコとの友好継続と晩年

オスマン帝国崩壊後に建国されたトルコ共和国との友好にも関心を持ち続けた宗有は、日本との国交樹立とトルコ大使館開設後、大阪財界とトルコ大使館の橋渡し役となります。大正14年（1925年）には大阪財界主導で設立された日土貿易協会の理事長に就任し、日本とトルコ間の貿易促進に尽力しました。第一次世界大戦後のトルコ共和国は国内産業保護のため貿易を厳しく制限したため、貿易協会は後に「近東貿易協会」と改称し、対象地域を広げました。

昭和6年（1931年）、宗有は再びトルコを訪問し、イスタンブールで歓迎を受けました。首都アンカラではムスタファ・ケマル大統領に招かれて面会し、ケマル大統領がかつて士官学校で寅次郎に日本語を教わった思い出を語るなど、深い友誼が示されました。貿易の活路を求め、ギリシャの商品見本市にも参加し、昭和8年（1933年）にはギリシャの大阪駐在名誉領事にも就任しています。

第二次世界大戦の勃発により、日土間の通商関係は途絶え、大戦末期にはトルコが日本に宣戦布告するなど関係は悪化しました。

昭和23年（1948年）、宗有は三島製紙の会長を辞任し、実業界から完全に引退。その後は茶道に専念し、90歳でその生涯を閉じました。

家族と後世への影響

寅次郎の息子である宗囲（宗徧流10世家元）は、1975年に家族でトルコを訪問した際、現地の関係者から温かい歓迎を受けました。孫娘の和多利月子は、ワタリウム美術館の経営に関わりながら、祖父山田寅次郎の研究を進め、「山田寅次郎研究会」を主宰し、その足跡を追った著作も出版しています。

山田宗有は、『土耳古画観』などの著作も残しており、その多岐にわたる活動と国際的な視野は、後世に大きな影響を与えています。

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