岩渕村伊右衛門

岩渕村伊右衛門（いわぶちむら いえもん）は、江戸時代に礪波郡五箇山利賀谷の岩渕集落（現在の富山県南砺市利賀村岩淵にあたる）に居住していた百姓、野原家が代々襲名した名跡です。
五箇山地域の中でも特に富裕な農家として知られ、江戸時代を通じて8代にわたり「岩渕村伊右衛門」の名が引き継がれました。ここでは、その歴代の足跡をたどります。

歴代伊右衛門の事績

初代伊右衛門（1668年- 1735年）

初代は岩渕村間右衛門の子として生まれ、当初は栃原名兵衛と名乗っていましたが、正徳年間（1711年-1716年）に土地を得て百姓となりました。彼は一代で大きな財を築き、享保20年（1735年）に亡くなるまでに36石9升という広い耕地を持つに至り、岩渕村の肝煎（村役人）を務めました。
分家から身を起こし成功したことから、山中で薪を積むために杭を打っていた際に偶然黄金を掘り当てて長者になったという伝説が語り継がれています。また、妻に南大豆谷村で代々肝煎や道楊坊を務めた長左衛門の娘わくを迎えており、妻の実家である長左衛門家の後押しも初代伊右衛門の成功に貢献したと考えられています。

2代目伊右衛門（1703年-1772年）

初代伊右衛門の息子で、初名は伊兵衛でした。父が亡くなった享保20年（1735年）に2代目伊右衛門を襲名します。元文2年（1737年）時点では、岩渕村に26石5斗7升8合、下百瀬川村に1石6斗4升、上百瀬川村に1斗4升6合、上畠村に355升5合の耕地を所有しており、その総計は約28石と、当時の利賀谷組においては非常に大きな耕地持ちでした。
元文5年（1740年）からは、父と同じく肝煎を務め、同年7月には3代目祖山村太郎助の後任として利賀谷組の十村役（複数の村をまとめる広域の役人）も命じられます。2年前に、御扶持人十村（藩から扶持を受ける十村）らが十村役候補として7名を選定した記録があり、年齢などが考慮されて2代目伊右衛門が最終的に選ばれたとされています。延享4年（1747年）には、御用塩硝96貫目（8株分）を生産した記録があり、これは当時16人いた塩硝製造を担う上煮屋の中でも第6位にあたる量でした。
しかし、寛延元年（1748年）に利賀谷組に属する祖山村に流刑されていた大槻伝蔵が牢内で自害するという事件が発生し、牢の鍵を預かっていた2代目伊右衛門も監督責任を問われます。この結果、十村役は解任されてしまいましたが、その後も塩硝の上意（藩からの買い上げ）や紙漉きなどで経済的な成功を収め続けました。
なお、岩渕村伊右衛門の十村役後任は赤尾谷組の十村役であった下梨村宅左衛門が一時的に務めましたが、宅左衛門の死後は、五箇山の外部から十村が選ばれる体制へと移行していきました。

3代目伊右衛門（生年不詳-1793年）

2代目伊右衛門の子です。天明4年（1784年）に藩から塩硝製法について問い合わせがあった際、その文書に筆頭者として署名していることから、当時、上煮屋の代表的な立場にあったと考えられています。また、天明5年（1785年）2月の「五ヶ山両組紙屋名前しらべ帳」でも、上畠村孫兵衛や北嶋村甚三郎らとともに利賀谷の有力な紙すきやとして紹介されています。死去の3年前である寛政2年（1790年）の記録では、父の代を上回る765升4合という持高を有しており、塩硝や和紙生産などによって家産をさらに増やしたことがうかがえます。

4代目伊右衛門（1766年-1848年）

3代目伊右衛門の子で、寛政5年（1793年）に父が亡くなったため、28歳で4代目を継承しました。寛政年間には家屋が火災で焼失したり、長男、次男、五男、弟、妻（井波町新明屋権四郎の娘）が次々と亡くなるなど、家庭環境には不幸が続きましたが、経済的には親譲りの財産を倍以上に増やし、最盛期を迎えます。
天保年間（1830年-1844年）の持高は220石余りに達しており、これは五箇山で伊右衛門家に次ぐ財力を持っていた西赤尾町村長右衛門家の130石余りを大きく凌駕する、群を抜いたものでした。「平野部の千石持ち以上の財力」と評された記録も残っています。また、大阪、京都、金沢といった越中国外の商人とも取引があったため、「越中岩淵、野原伊右衛門」という印章を使用していたことが、現存する古文書から確認されています。
後述するように、4代目は息子である5代目に先立たれたことから、孫の6代目に家督を譲り、天保9年（1838年）に隠居します。しかし、6代目の放蕩によって家財の大部分が失われてしまいました。家財売却時の記録からは、50を超える屏風のコレクションや、『往生要集』、『信長記』、『太閤記』などの書籍を多数所有していたことが分かります。晩年にはその日の食事にも事欠くほどの貧困に陥り、嘉永元年（1848年）に失意のうちに83歳で生涯を終えました。

5代目伊右衛門（1789年-1820年）

4代目の子で、初名は伊兵衛でした。しかし、32歳という若さで早世してしまったため、家督を相続することなく亡くなり、4代目がその後40年間にわたり当主を務め続けることになりました。

6代目伊右衛門（1809年-1870年）

5代目伊右衛門の子で、初名は善左衛門でした。12歳で父を亡くし、祖父である4代目伊右衛門に養育されます。若い頃から加賀藩の山廻列を勤め、天保8年（1837年）には福野村六兵衛とともに利賀谷組の貧困状況調査を実施するなど、伊右衛門の名を襲名する以前から村政に関わり、実績を積んでいました。
しかし、天保9年（1838年）に6代目伊右衛門を襲名して以後、運命が暗転します。天保11年（1840年）に高方仕法によって、親から受け継いだ持高220石のうち87石を没収されたのを皮切りに、放漫な家業経営と豪遊によって急速に財産を失っていきました。「我侭者にて心得方宜しからざる」（わがままで品行が良くない）ことを理由に役儀も剥奪され、天保12年（1841年）12月には31歳という若さで隠居することとなりました。重病人でもない者が、成人していない後継者に家督を譲るのは異例の事であり、親族たちによって隠居を強いられた可能性も指摘されています。
6代目の豪遊と散財、そして没落は後々まで語り草となりましたが、同時期には五箇山の他の豪農である西赤尾町村長右衛門家も高方仕法のために没落しており、伊右衛門家の没落は必ずしも6代目個人の問題だけには帰せないという見方もあります。隠居後、6代目は七五三之助と称して長生きし、明治3年（1870年）に62歳で亡くなっています。

7代目伊右衛門（1828年-1849年）

6代目伊右衛門の子で、初名は達次郎でした。父の隠居を受けて、叔父の岩渕村義助を後見人とし、8歳で跡目を継ぎます。20歳になって正式に伊右衛門を襲名し、翌年には岩渕村の肝煎となりましたが、嘉永2年（1849年）に22歳という若さで病のため亡くなりました。

8代目伊右衛門（1834年-1877年）

6代目の子で、初名は善之丞でした。兄の7代目が子を残さずに早逝したため、16歳で跡目を継ぐことになりました。しかし、伊右衛門家の凋落を食い止めることはできず、襲名時点で残っていた岩淵村15石、高草嶺村と大勘場村の5石余り、合計20石余りの持高は、明治4年（1871年）にはわずか4石余りしか残っていませんでした。
明治維新後の戸籍法改正により、8代目伊右衛門以後は苗字である野原姓を名乗るようになります。その後、10代目の当主の時に北海道雨竜郡雨竜村（現在の雨竜町）に移住し、岩淵村から離れることとなりました。

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