平沢貞通

平沢貞通（ひらさわ さだみち）は、1892年2月18日に東京で生まれ、1987年5月10日に獄中で亡くなった日本のテンペラ画家です。雅号を大暲（たいしょう）、後に光彩（こうさい）と称しました。彼は、戦後の混乱期に発生した帝銀事件の犯人として逮捕され、死刑が確定しましたが、刑の執行も釈放もされないまま、39年間を獄中で過ごしました。

前半生

平沢は、その才能を早くから開花させ、二科展に3回、文展に16回、光風会には毎年入選するなど、画壇で確固たる地位を築きました。特に、帝展では無鑑査という、実績を認められた画家だけが出品できる特別な資格を与えられていました。

1892年、東京の陸軍憲兵隊本部官舎で生まれた平沢は、1896年に父の転勤に伴い北海道に移住しました。1911年には日本水彩画研究所に入所し、1913年には日本水彩画会結成に参画しました。1914年には二科展に入選し、横山大観に師事、雅号「大暲」を授かります。また、作家の有島武郎も平沢の画才を認めていました。

1916年に結婚し、二男三女をもうけた平沢は、1920年に東京の板橋区に居を構え、1921年には光風会展で今村奨励賞を受賞しました。画家として成功し、月平均300円ほどの収入を得ていました。当時の大卒サラリーマンの初任給が50円程度だったことを考えると、かなりの高収入であったと言えるでしょう。

しかし、1925年、飼っていた愛犬が狂犬病にかかったことがきっかけで、平沢自身も狂犬病予防注射を受けた後、意識不明となり入院します。この時、注射の副作用でコルサコフ症候群を発症し、記憶障害や虚言癖、人格変化に苦しむこととなりました。一時、画壇から遠ざかるも、後に復帰。「鏡」「心眼」などの大作を次々と完成させました。1930年には日本水彩画家会委員に就任しています。

1945年、長年の不倫が原因で妻子と別居し、終戦後に東京で再同居しますが、家族との関係は修復されませんでした。妻は、子供たちに平沢を「となりのおじさん」と呼ぶように命じていました。

帝銀事件と逮捕

1948年1月26日、平沢は帝銀事件の犯人として逮捕されます。この事件は、銀行で毒物が使用され、12人が死亡した大量毒殺事件でした。逮捕の決め手となったのは、類似事件で使用された名刺を所持していなかったこと、過去に銀行詐欺事件を起こしていたこと、そして出所不明の現金を持っていたことでした。松本清張は、この現金について、平沢が春画作成などの副業で得たものだと推測しています。平沢は当初自白をしましたが、公判では無罪を主張しました。

裁判では、平沢のコルサコフ症候群による虚言や記憶障害が考慮されることなく、1955年に死刑が確定します。しかし、平沢の自白以外に決定的な証拠は乏しく、捜査初期には旧陸軍関係者が容疑者として浮上していたこともあり、判決に疑問を抱く人も少なくありませんでした。

獄中生活と再審請求

「平沢貞通氏を救う会」が結成され、政治家や文化人、法曹関係者などが死刑の執行停止や再審、恩赦を求める活動を行いました。歴代の法務大臣も平沢の高齢などを理由に死刑執行を見送りました。平沢自身も、17回に及ぶ再審請求を行いましたが、いずれも棄却されました。また、恩赦出願も5回行いましたが、いずれも「恩赦不相当」の議決がなされました。さらに、死刑確定から30年が経過した1985年には「死刑の時効」を主張して釈放を求める裁判を起こしましたが、これも棄却されました。

平沢は長年、宮城刑務所に収監されていましたが、高齢のため体調を崩し、1987年5月10日に八王子医療刑務所で肺炎のため亡くなりました。95歳でした。39年間に及ぶ獄中生活は、確定死刑囚としての収監期間の世界最長記録となりました。

家族

平沢は、妻との間に二男三女をもうけましたが、長年の不倫により、事件前から妻とは戸籍上だけの夫婦となっていました。逮捕後、家族は世間の迫害を恐れ、それぞれ平沢姓を捨て、素性を隠して生きることを余儀なくされました。妻は離婚後も、平沢に仕送りを続けました。三女は米国人と結婚し、アメリカで生活を送っていましたが、獄中の父に手紙を送っています。

平沢の養子となった平沢武彦は、再審請求を引き継ぎましたが、困窮と精神病に苦しみ、2013年に孤独死しています。

平沢には複数の愛人がいました。芸能プロデューサーの酒井政利の実母もその一人だったとされています。

エピソード

平沢は、小樽中学時代、その美貌と画才で多くの女性から崇拝されていたと言います。また、日蓮宗の熱心な信者でもありました。関東大震災の少し前から日蓮宗の熱烈な信者になり、熱心な信仰は家族を困らせました。戦争中は時局に無関心で、悠長な生活を送っていました。逮捕後は、画業を抹殺する動きも見られました。師の横山大観は、平沢がかつて弟子であったことを否定し、平沢は雅号を「光彩」と改めました。平沢が描いた「松浦潟のジャンク」は総理大臣官邸から撤去され、人目につかないところに死蔵されました。

獄中では、看守に「私は無実だ」と訴え続け、家族への思いを語っていました。また、獄中で1300点を超える作品を描き、個展を開いていました。

平沢は、短期間だけ獄中から出たことがあります。心臓発作で東北大学附属病院へ移送された際、一時的に出獄を果たしましたが、再び拘置所に戻っています。晩年は老衰と視力障害で絵筆を取ることが少なくなりました。

弁護士の遠藤誠は、平沢を「普賢菩薩」の化身であると信じ、釈放後に共に酒を飲むことを約束しましたが、それは叶いませんでした。平沢の釈放に備えて「救う会」はマンションの一室を用意していましたが、そこに彼の遺体が安置されました。

平沢の長女は、ドキュメンタリー番組のインタビューで「あんな環境の悪いところでよくあの歳まで生きていた」と語っています。

元東京高検検事長の藤永幸治は、法務省で平沢の死刑に関する局議が行われ、事実認定に問題があったとされたため、死刑執行が見送られたと述べたと伝えられましたが、これは誤報であり、藤永自身も発言を否定しました。

著書

平沢は、獄中生活の中で数々の著書や画集を出版しています。

平沢の生涯は、映画やテレビドラマでも描かれてきました。

参考文献

平沢の研究は、細川次郎氏の論文などによって進められています。

平沢貞通の人生は、芸術家としての輝かしい側面と、冤罪の可能性を巡る議論が複雑に絡み合い、今なお多くの人々の関心を集めています。

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