幻想交響曲

エクトル・ベルリオーズの代表作「幻想交響曲」作品14は、1830年に作曲された5楽章からなる交響曲です。副題として『ある芸術家の生涯の出来事、5部の幻想的交響曲』とあり、ベルリオーズ自身の失恋体験をもとに、恋に絶望した芸術家がアヘンによって見る幻想を音楽で表現した標題音楽です。この作品は、初期ロマン派音楽を代表する重要な楽曲として、現在でもオーケストラの演奏会で頻繁に演奏されています。

概要

「幻想交響曲」は、ベルリオーズが恋心を抱いていた女優ハリエット・スミスソンへの想いを描いた作品です。各楽章には標題が付けられており、ベルリオーズ自身が作成したプログラム・ノートとともに演奏されることが推奨されています。楽曲全体を通して、スミスソンを象徴する「イデー・フィクス（固定楽想）」と呼ばれる旋律が、さまざまな形で姿を変えながら登場します。この「イデー・フィクス」は、後のワーグナーが用いたライトモティーフの先駆けとも言える発想です。例えば、第1楽章では牧歌的な雰囲気で現れる旋律が、最終楽章では魔女の饗宴の場面で不気味に奏でられるなど、楽曲の展開に合わせて変化していきます。

作曲者のレナード・バーンスタインは、この曲を「史上初のサイケデリックな交響曲」と評しました。これは、ベルリオーズがアヘンを吸った状態で作曲した（と匂わせている）ことや、楽曲が幻覚的、幻想的な性質を持つことに由来します。

作曲の経緯

1827年、ベルリオーズはパリでシェイクスピア劇団の『ハムレット』を観劇し、オフィーリア役を演じたハリエット・スミスソンに激しい恋心を抱きます。しかし、彼女への想いは届かず、孤独と憎しみを募らせます。その後、ピアニストのマリー・モークと恋愛関係になりますが、その最中にこの曲が作曲されました。1830年 12月5日にパリ音楽院で初演され、聴衆から大きな反響を得ました。特に第4楽章はアンコールに応えて再演されたほどです。しかし、第3楽章は不評だったため、翌年に大幅な改訂が行われました。

初演から15年後の1845年に楽譜が出版され、その後も何度か改訂が重ねられています。また、初演の翌年にはフランツ・リストによってピアノ用に編曲され、出版されました。

ベルリオーズは婚約まで進んだマリー・モークと破局した後、1832年にスミスソンと再会し、結婚に至ります。この結婚は、「幻想交響曲」がベルリオーズの愛の成就に繋がったという点で、音楽史における興味深いエピソードの一つです。

日本では、1929年5月9日に近衛秀麿と新交響楽団（現在のNHK交響楽団）によって初演されました。

曲の構成

以下は、1855年版のプログラムに基づく各楽章の説明です。

第1楽章「夢、情熱」

ハ短調からハ長調へと展開するソナタ形式の楽章です。序奏部の後、急速な主部に入るとすぐに、フルートとヴァイオリンによって「イデー・フィクス」が奏でられます。

第2楽章「舞踏会」

イ長調のワルツです。フルートとオーボエによって奏でられる「イデー・フィクス」の旋律が随所に現れます。最後はテンポを上げて華やかに終わります。

第3楽章「野の風景」

ヘ長調の牧歌的な楽章です。コーラングレと舞台裏のオーボエによってアルプス地方の牧歌が演奏されます。最後に、遠くの雷鳴のようなティンパニの音とともに静かに終わります。

第4楽章「断頭台への行進」

ト短調の行進曲です。夢の中でアヘンを飲んだ主人公が断頭台に送られる場面を描いています。「イデー・フィクス」は最後にわずかに現れますが、すぐにオーケストラによってかき消されます。

第5楽章「魔女の夜宴の夢」

ハ長調からハ短調へと展開する、幻想的な楽章です。「イデー・フィクス」は変奏されてクラリネットで奏でられます。鐘の音やグレゴリオ聖歌の旋律が加わり、曲はクライマックスを迎えます。

演奏時間

約55分（第1楽章と第4楽章の繰り返しを含む）。繰り返しなしの場合は約50分です。

楽器編成

「幻想交響曲」では、当時としては革新的な楽器編成が用いられています。コーラングレ、E♭管クラリネット、コルネット、オフィクレイド、複数のハープ、鐘など、多様な楽器が効果的に使用されています。

特に注目すべきは、以下の点です。

コーラングレ：牧歌的な旋律や、幻想的な雰囲気を表現するために用いられています。
E♭管クラリネット：高音域での鋭い響きが、魔女の夜宴の場面を不気味に彩ります。
コルネット：華やかで輝かしい音色が、楽曲に色彩感を与えます。
オフィクレイド：低音域を力強く支え、楽曲に重厚感を与えます。
複数のハープ：華麗で幻想的な響きが、楽曲の雰囲気を高めます。
鐘：不気味な響きが、魔女の夜宴の場面を特徴づけます。
* コル・レーニョ奏法：弦楽器の弓の木部で弦を叩く奏法が、特徴的な効果を生み出しています。

これらの楽器の使用は、ベルリオーズが「近代管弦楽法の父」と呼ばれる所以でもあります。また、楽譜には演奏法についても細かい指示が書き込まれており、ベルリオーズの音楽に対するこだわりが窺えます。

演奏の際には、準備が難しい楽器は代用されることもあります。例えば、オフィクレイドはチューバで代用されることが多く、鐘はチューブラーベルやピアノで代用される場合があります。ハープについても、複数台の指定がある場合でも2台で演奏されることが多いですが、オリジナル楽器による演奏では、ベルリオーズの指示に従い、6台のハープが使われることもあります。

「幻想交響曲」で用いられた革新的な楽器の使用は、後世の作曲家にも大きな影響を与えました。例えば、コーラングレはドヴォルザークの管弦楽曲やワーグナー以降の3管編成に、E♭管の小クラリネットはマーラー以降の交響曲に、ティンパニの複数奏者はリストやワーグナー、マーラーに、鐘はマーラーやショスタコーヴィチの交響曲に、弦楽器の数の指定はワーグナー、リヒャルト・シュトラウスに、複数のハープの指定はワーグナー、マーラー、リヒャルト・シュトラウスなどに影響を与えています。

「幻想交響曲」は、その革新的な音楽性と、ベルリオーズ自身の情熱的な人生が反映された、非常に魅力的な作品です。ぜひ一度、その豊かな音楽世界に触れてみてください。

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