幻想曲K.475

幻想曲 ハ短調 K. 475

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトによって1785年に作曲された、ピアノ独奏のための幻想曲です。ハ短調を基調としています。旧モーツァルト全集での通し番号に基づき、「幻想曲第4番」と表記されることもあります。

背景と出版

この幻想曲は1785年の5月20日にウィーンで完成されました。同年12月には、同じハ短調で書かれたピアノソナタ第14番 K. 457と一組にして、「作品11」として楽譜が出版されています。モーツァルトの数あるピアノソナタの中で、ジャンルが異なる作品と一緒にまとめて出版されたのは、このK. 457が唯一の例とされています。これらの「作品11」は、モーツァルトが最初に教えた弟子の一人と言われるテレーゼ・フォン・トラットナーに献呈されました。この幻想曲 K. 475は、同時出版されたピアノソナタ K. 457の序章となることを意図して作曲されたと考えられています。

音楽的な特徴

本作の形式的な特徴として、各部分が切れ目なく次々と連結されて展開される構成が挙げられ、これにより楽曲全体に一貫性が保たれています。この形式的なアプローチには、同時代の作曲家であるカール・フィリップ・エマヌエル・バッハの幻想曲が参考にされた可能性も指摘されています。一方で、和声においては非常に革新的で、一般的なソナタ形式などに見られる伝統的な調の推移からは逸脱しています。主調であるハ短調から大胆に離れ、予測不能な転調を繰り返し、あたかも様々な調の間をさまようかのような印象を与えます。また、モーツァルトはこの作品で、当時のピアノが持つ音域を隅々まで活用し、楽器本来の持つ多彩な音色や表現力を最大限に引き出しています。

モーツァルト研究の大家として知られる音楽学者アルフレート・アインシュタインは、この幻想曲を極めて高く評価しています。彼は、モーツァルトの「最大限の想像力の自由さと大胆さ」や「極めて極端な発想の対比」、「この上なく抑圧から自由な抒情性の多様さ」といった点に言及し、さらにヴィルトゥオーゾ的な要素を含みながらも、作品全体の構造的な論理性が失われていないことを指摘し、その芸術的な深さを称賛しました。

楽曲構成

演奏時間は概ね12分30秒程度です。明確な楽章に分かれているわけではなく、いくつかの異なる性格を持つ部分が連続して演奏されます。楽曲中では、「アダージョ」「アレグロ」「アンダンティーノ」「ピウ・アレグロ」という四つの速度が使い分けられており、テンポの変化は新しい主題や楽想が導入されるタイミングと一致しています。主調はハ短調ですが、驚くべきことにアンダンティーノの部分を除いて調号が記されておらず、全ての変化音は臨時記号によって指示されています。

曲はゆったりとしたアダージョで幕を開けます。ここでは、叙情的でやや内省的な雰囲気を帯びた主題が提示されます。この主題は上昇する特徴的な音型を持ち、様々な調を巡りながら展開されていきます。やがて明るいニ長調に到達すると、愛らしく穏やかな旋律が奏でられ、それまでの緊迫感を和らげます。大きな休止を挟んだ後、一気に速度を上げてアレグロの部分に入ります。ここでは情熱的で力強い楽想が展開され、勢いを保ったまま華麗なカデンツァへと繋がります。

アレグロの興奮が収まると、テンポを落としアンダンティーノとなります。ここで初めて楽譜上に調号（変ホ長調/ハ短調を示す）が現れます。穏やかな3/4拍子に乗って、新しい、より抒情的な主題が歌われます。

アンダンティーノに続くのはピウ・アレグロです。さらに活発なテンポとなり、右手が奏でる速いアルベルティ・バス風の音型を伴いながら、様々な楽想が目まぐるしく移り変わります。

曲の終盤では、冒頭のアダージョが再現され、最初の主題が再び現れます。再び瞑想的な雰囲気に包まれた後、フィナーレに向けて急速に上昇するスケールが駆け上がり、劇的な締めくくりを迎えます。

この幻想曲は、伝統的な形式にとらわれないモーツァルトの自由な発想と、円熟期の豊かな音楽語法が凝縮された作品です。同時出版されたピアノソナタ K. 457と合わせて演奏されることが多く、両者を一体として聴くことで、モーツァルトの意図や音楽的な繋がりがより深く理解されるでしょう。なお、後年にはオーストリアの作曲家イグナーツ・フォン・ザイフリートによって、ソナタK. 457と共に管弦楽に編曲され、『大幻想曲 ハ短調』として新たな演奏形態を与えられています。

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