得珍保

得珍保（とくちんのほ）とは

得珍保は、中世の日本、具体的には鎌倉時代頃から戦国時代にかけて、近江国蒲生郡（現在の滋賀県東近江市）に存在した荘園です。この荘園は、延暦寺東塔東谷仏頂尾衆徒領に属していました。

特筆すべきは、得珍保内の今堀日吉神社に保存されていた文書から、当時の座商人たちの商業活動が明らかになっている点です。これは、後の近江商人へと繋がる中世後期商人たちの活動拠点として、得珍保が重要な役割を果たしていたことを示唆しています。また、惣結合（郷村の自治結合）が発達した地域としても知られています。

得珍保の成立と惣結合

「保」とは、元々律令制における行政単位でしたが、平安時代中期（11世紀頃）にその制度が崩壊する中で、国衙領が再編され、郷や名と並ぶ行政単位として機能するようになったものです。得珍保は、未開墾地の開発申請に応じて国守が認可を与えた荘園を指し、開発申請者が保司に任命されました。

得珍保の名前の由来は、平安時代後期に比叡山延暦寺の僧侶であった得珍（徳珍とも）が、愛知川から用水路を引き、農地を開発したことにあります。その後、農民が定住し、多くの郷が発展しました。14世紀以降、保内は上四郷と下四郷に編成され、それぞれ7箇村から構成されていました。

上四郷（田方）：柴原西村、美並村、二俣村、上大森村、下大森村、平尾村、尻無村
下四郷（野方）：蛇溝村、今在家村、金屋村、中野村、小今村、東古保塚村、今堀村

これらの村々は保内郷と呼ばれ、各郷には日吉大社（山王権現）を勧請した社が設けられ、村落の祭祀結合の中心となっていました。これらの宮座を中心に、遅くとも鎌倉時代ごろには各郷に惣結合が発達しました。得珍保の中心的な存在であったのは今堀村で、今堀日吉神社には村の共有文書や商人団の文書が保管されており、これらの文書は宮座を中心とする惣結合の実態や保内座商人の活動を知る上で貴重な史料となっています。

弘和3年（1383年）の「今堀郷結鎮頭定書案」には、今堀十禅師権現（今堀日吉神社）の宮座行事が規定されており、定書が宮座の衆議によって決定されたことが記されています。しかし、中人や間人などと呼ばれた農民は、宮座に参加できたものの、身分差別も存在しました。また、旅人の滞在禁止や養子に関する規制など、閉鎖的な側面も掟書に定められていました。延徳元年（1489年）の「今堀地下掟書案」には、風紀の規制として、身請人のいない他村人の滞留禁止、森林伐採の禁止、犬の飼育禁止などが細かく定められていました。

保内商人の活動

保内商人の成立

得珍保の各郷の住民は、元々農民が主でしたが、東山道・東海道に接するという地理的な利点から、古くから商業活動にも従事し、御服座・紙座・塩相物座などの座を結成しました。14世紀前半頃までには、下四郷を中心に保内商人（野々郷商人、野々川商人とも）が成立したと考えられています。下四郷は畑作地域であり、上四郷に比べて水利が悪く、水田化が遅れたことが、下四郷の住民が商業に従事するきっかけとなりました。

彼らは、琵琶湖西岸から若狭小浜港へ至るルート、鈴鹿山脈を越えて伊勢桑名港へ至るルート、東山道を通って美濃へ向かうルートなどを利用し、美濃・尾張から京都まで広い範囲で商業活動を展開していました。主な取り扱い商品は、美濃紙、陶器、木綿、麻苧、呉服、馬、塩、干魚などでした。宮座の掟に加え、商人としての心得を厳しく定めた掟書も存在していました。

他の座商人との対立

中世の座は排他的な性格を持っていましたが、保内商人も近隣の商人たちと連合して四本商人（または山越衆中）と呼ばれる集団を形成し、他の座商人と対立しました。大永7年（1527年）には、四本商人内でも厳しい商業倫理を定めた掟書が作成され、結束を強めていました。初期には市場の営業独占、戦国時代には交通路の独占を巡って、他の商人と争いを繰り返し、その訴訟記録も残されています。

四本商人は、まず近江から伊勢へ抜ける交通路の独占を試み、他の商人と対立しました。保内商人の中には、六角氏の家臣と主従関係を結ぶ者もいました。寛正4年（1463年）には、同じく比叡山の支配下にあった横関商人との間で、御服座の特権について争論が行われ、延暦寺は双方の権利を認める裁決を下しました。

また、伊勢への通商路を独占する四本商人に対し、若狭との通商を独占していた五箇商人が存在しました。文亀2年（1502年）には、保内商人の荷物が五箇商人に押収される事件が発生し、保内側は五箇商人が独占していた九里半街道の通商を圧迫しました。六角氏は保内商人を保護し、保内側の主張を認め、五箇商人に罰金を課す裁決を下しました。これにより、保内商人は九里半街道ルートを確保し、若狭への進出を加速させました。

保内商人の終焉

16世紀に入ると、六角氏の権力が浸透し、各郷の地侍層も六角家の家臣となっていきました。天文18年（1549年）には、六角定頼が居城観音寺城下に楽市を開設し、保内商人の特権は例外とされました。このような状況は、既得権益で保護された中世的な商人を淘汰する契機となりましたが、保内商人の活動は、戦国後期に至っても盛んでした。

しかし、天正4年（1576年）に織田信長が安土城下における掟を定め、保内商人の牛馬商売の特権を停止。豊臣秀吉による太閤検地以降、得珍保は近世的な村落として再編され、保内商人の座商業は消滅しました。しかし、商人たちは村落に留まることなく、従来の流通ルートを拡大し、近世以降も近江商人として活躍しました。近江商人もまた、厳しい商業倫理を家訓として自らに課すことが多く、保内商人の名残が見られます。

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