恋娘昔八丈

『恋娘昔八丈』（こいむすめむかしはちじょう）は、安永4年（1775年）8月に江戸外記座で初めて上演された人形浄瑠璃の演目です。作者は松貫四と吉田角丸で、全七段の構成となっています。

本作は、実際に江戸で起こった「白子屋事件」という犯罪事件を題材としています。この事件は享保12年（1727年）に発生し、江戸新材木町（現在の日本橋堀留町の一部）にあった材木問屋、白子屋の娘お熊が、母親や番頭と共謀して婿を毒殺しようとしたというものです。計画は失敗に終わりますが、事件が露見し、当時の江戸町奉行大岡忠相の裁きによって関係者は処罰されました。特に娘のお熊は、市中引き回しの上、浅草の刑場で獄門となりましたが、その際に白無垢の下着に黄八丈の小袖を重ね着していたという記録が残されています。この黄八丈にちなんで、作品の外題に「昔八丈」と付けられたと言われています。

浄瑠璃版の物語は、この実話から約五十三年後に創作されました。大名萩原家のお家騒動を背景に据え、家中の重宝である茶入れ「勝時」の紛失事件を巡る詮議と、若侍の尾花才三郎とその恋人である材木問屋城木屋の娘お駒との悲恋を絡ませながら展開します。

物語は、萩原家の千種之介が遊女十六夜を身請けしようとする際に、茶入れを質に入れようとしたことから始まります。これがきっかけで茶入れは盗難に見せかけられますが、実は秋月一角らが仕組んだ陰謀でした。茶入れ紛失の責任を感じた千種之介は家を出奔し、才三郎は茶入れの行方を追うことになります。一方で、才三郎とお駒は身分違いの恋仲でしたが、これが露見して二人は引き裂かれそうになります。

茶入れ盗難の黒幕である一角は、十六夜を手に入れようとしますが、十六夜はこれを拒否し逃げ出します。逃走中の一角は、才三郎に追い詰められ、茶入れを仲間の喜蔵に渡し逃がそうとします。才三郎は一角を討ち取りますが、父である家老の尾花六右衛門が息子の身代わりとなり罪を被ろうとします。六右衛門の覚悟を見た才三郎は、茶入れの詮議を続けるためその場を去ります。

一年後、経営が悪化したお駒の実家城木屋に、喜蔵がお駒との結婚を条件に金の融資を申し出てきます。巡り巡って廻り髪結と身分を偽っていた才三郎は城木屋でお駒と再会しますが、お駒は才三郎を助けるため、そして茶入れの行方を探るために、やむなく喜蔵との結婚を受け入れる覚悟を決めます。城木屋の番頭である丈八もまたお駒に横恋慕しており、かつて喜蔵と共に千種之介から茶入れと金を奪った仲間でした。

物語は緊迫した展開を迎え、喜蔵が茶入れの一味だと知ったお駒は、才三郎の指示で喜蔵に探りを入れます。真実を知ったお駒は、才三郎が危地に陥ったのを見て喜蔵を刺殺してしまいます。騒ぎを知った両親、そしてかつて六右衛門に仕えていたお駒の父庄兵衛は驚愕します。才三郎が自ら罪を被ろうとしますが、庄兵衛は才三郎が恩人の息子だと知り動揺します。一方、恋敵である丈八は、お駒が喜蔵を殺したことを役所に訴え出ようと騒ぎ立て、お駒は役人に捕らえられてしまいます。

お駒は婿殺しの罪で処刑されることになりますが、鈴が森の刑場でまさに刑が執行されようとしたその時、茶入れを見つけ丈八を捕らえた千種之介と才三郎が駆けつけ、処刑停止の知らせが届きます。丈八の自白により茶入れ盗難の真相が明らかになり、お駒は罪を問われることなく助け出されるという劇的な結末を迎えます。

初演当時、この浄瑠璃は大変な評判となり、翌年まで続く大ヒットとなりました。特に五段目の「城木屋」は名場面として知られ、以後も繰り返し上演されました。本作は江戸で制作された義太夫浄瑠璃の代表作の一つとされています。また、翌年には歌舞伎化され、常磐津節や新内節でも演奏されるなど、他のジャンルにも影響を与えました。近年歌舞伎で上演されることはほとんどありません。なお、幕末から明治にかけての落語家の人情噺を基にした、河竹黙阿弥作の『梅雨小袖昔八丈』も白子屋事件を題材としていますが、本作とは異なる作品です。

『恋娘昔八丈』は、史実を大胆に脚色し、お家騒動や恋愛、陰謀といった要素を巧みに組み合わせることで、江戸の観客を熱狂させた傑作として今日に伝えられています。

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