抽象表現主義

抽象表現主義：戦後アメリカ美術の革命

1940年代後半、アメリカ合衆国で生まれた抽象表現主義は、世界に衝撃を与えた美術運動です。本稿では、その隆盛から衰退、そして現代への影響まで、多角的に考察します。

ニューヨーク芸術の中心地化

1930年代のニューヨークでは、リアリズム絵画や地方主義絵画が主流で、モダニズムは影を潜めていました。しかし、ヨーロッパからの亡命芸術家や、アメリカ人芸術家の革新的な試みによって、状況は一変します。ハンス・ホフマンやジョゼフ・アルバースといったヨーロッパの芸術家たちが抽象絵画の指導を行い、イブラム・ラソーのスタジオには、後の抽象表現主義のスターとなる作家たちが集まりました。

第二次世界大戦は、シュルレアリスムや抽象絵画の作家をアメリカへと導き、ニューヨークは世界的な芸術の中心地へと変貌を遂げます。アメリカは、自由と豊かさ、そして大勢のパトロンという、ヨーロッパにはない魅力を備えていました。

多様な影響源

抽象表現主義は、単一の影響源から生まれたわけではありません。シュルレアリスムの潜在意識への探求、ドイツ表現主義の感情表現、バウハウスやキュビズムの抽象的な美学、そしてアメリカ先住民の美術などが、複雑に絡み合い、独自の様式を形成しました。

特に、アメリカ先住民の美術は、大地に直接描くという手法や原始的な造形美など、ヨーロッパの伝統とは異なる視点を与えました。これにより、ヨーロッパの模倣ではない、「アメリカの美術」というアイデンティティが確立されていくのです。

また、メキシコ壁画運動や連邦美術計画(FAP)といった、大規模な壁画制作の経験も、抽象表現主義の作家たちに大画面作品への挑戦を促しました。

キャンバスを「場」として

抽象表現主義の作家たちは、巨大なキャンバスを、単なる絵を描く「画面」ではなく、表現行為そのものの痕跡を残す「場」と捉えました。彼らは、キャンバスに体を投げ出し、絵具を振りかけたり、滴らせたりすることで、激しい感情やエネルギーを直接的に表現しました。

この手法は、従来の絵画の概念を覆すものでした。絵画は、静かにイーゼルに向かう行為ではなく、作家とキャンバスが格闘するような、ダイナミックな表現の場となったのです。

アクション・ペインティングとカラーフィールド・ペインティング

抽象表現主義には、大きく分けて「アクション・ペインティング」と「カラーフィールド・ペインティング」という二つの傾向がありました。

アクション・ペインティングの代表は、ジャクソン・ポロックです。床にキャンバスを置き、絵具を垂らしたり、振りかけたりする彼の画法は、当時の美術界に大きな衝撃を与えました。

一方、カラーフィールド・ペインティングは、より静謐な印象を与えます。バーネット・ニューマン、マーク・ロスコ、アド・ラインハートらの作品に見られるように、画面全体に広がる色彩によって、観客を包み込むような「場」を創造しました。

批評家たちの役割

クレメント・グリーンバーグとハロルド・ローゼンバーグは、抽象表現主義を理論的に支えた重要な批評家です。

グリーンバーグは、「フォーマリズム」という理論に基づき、絵画の形式を重視した評価を行い、抽象表現主義をモダニズムの到達点として位置づけました。また、ローゼンバーグは、ポロックらの画法を「アクション・ペインティング」と命名し、その革新性を世に知らしめました。

冷戦下の政治的背景

抽象表現主義は、冷戦下の政治的文脈からも理解する必要があります。CIAは、抽象表現主義を、アメリカの自由と創造性を世界に示すための「文化戦争」の武器として利用したと言われています。

運動の終わりとその後

1960年代に入ると、抽象表現主義は次第に影響力を失い始めます。過度に還元主義的な理論は、絵画を堅苦しく単調なものにし、ポップアートなどの新しい美術運動の台頭によって、その勢いは衰えていきます。しかし、抽象表現主義の遺産は、後の美術に大きな影響を与え続けました。

まとめ

抽象表現主義は、単なる美術運動にとどまらず、アメリカという国のアイデンティティ形成、そして世界美術史における大きな転換点となりました。その革新的な表現方法と理論は、現代美術にまで深く影響を及ぼし続けているのです。

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