本多利明

本多 利明（ほんだ としあき）

江戸時代に数学者、そして経済思想家（経世家）として活躍した本多 利明は、寛保3年（1743年）に生まれ、文政3年12月22日（1821年1月25日）にその生涯を終えました。幼名を長五郎、通称を三郎右衛門と称し、北夷、魯鈍斎という号も持ちました。その出生地は越後（現在の新潟県村上市）とも伝えられています。

若くして江戸へ出た利明は、18歳で本格的な勉学を始めます。天文学を千葉歳胤に、そして当時の日本で発展していた関流和算を今井兼庭に師事しました。学問を深める傍ら、諸国の物産についても調査を行うなど、幅広い関心を持っていたことがうかがえます。明和2年（1766年）、24歳になった利明は江戸に自らの私塾を開設し、算学や天文学を教え始めました。以降、晩年に至るまで浪人の身でありながら、多くの門弟を指導し、また自らの思索や研究に基づく著述に専念する日々を送ります。一時的に加賀藩の前田家に仕えた時期もありました。

利明の関心が、次第に経世論へと向かう大きな契機が訪れます。天明元年（1781年）、39歳頃から北方の問題、特に蝦夷地への関心を強め、その地を巡る危機意識を持つようになります。さらに天明7年（1787年）には奥羽地方を旅し、この時期日本列島を襲った天明の大飢饉によって、会津藩や仙台藩など各地の農村が経験していた悲惨な状況を目の当たりにします。これらの経験が、利明を深く憂慮させ、社会や経済のあり方を根本から見直す経世論へと突き動かしたのです。

利明は、当時の社会状況を「天下の富と力が商人の手に集中し、武士や農民が極度の困窮にあえいでいるのは、日本開国以来初めてのことである。今改革を断行しなければ、大きな災いを招くことになろう」と厳しく批判しました。そして、従来の幕藩体制を超え、国家が貿易をはじめとする商業活動全体を主導すべきだと強く主張します。その思想は急進的な欧化主義に根差しており、蝦夷地の開発、さらには海外に領土を獲得することの必要性を説きました。開国論や重商主義を唱え、ヨーロッパ諸国のように未開の地を開拓し、植民地政策を推進すべきだと論じました。幕府の老中であった田沼意次が蝦夷調査団を派遣する際には、利明は自らの下僕であった最上徳内を推薦しています。

彼の主張には、現代から見ても非常に先駆的であると同時に、時代背景を考慮しても過激に映る部分もありました。例えば、効率化のために漢字を廃止し、アルファベットを導入すべきだと説いたり、ロンドンと同じ緯度に首都を移せば、日本もロンドン同様に繁栄するという理由から、カムチャツカ半島への遷都を主張したりしました。彼はヨーロッパ諸国の進んだ文明や制度を理想化するあまり、日本の現実分析が観念的となり、現実離れした見通しを示すこともありました。西洋事情に精通した学者であったにもかかわらず、その思想が江戸幕府によって制度として具体化されることはありませんでした。しかし、幕府が倒れ明治時代になると、利明が唱えた中央集権体制の下での開拓や海外進出といった政策は、徐々に現実のものとなっていきます。

数学者としての功績も見逃せません。寛政11年（1799年）には、航海術に関する著作『大測表 5巻』を著しました。これは、ヨーロッパの航海書を翻訳・紹介したもので、三角関数表（八線表）や自然数の対数表、その使い方などが含まれていました。当時、日本で対数概念が紹介された初期の例の一つであり、これは清の数学書『数理精蘊』や安島直円の『真仮数表』などと並ぶ重要な業績です。また、享和4年（1804年）の『渡海新法』では、対数計算の仕組み、すなわち積を和に、商を差に、そして冪乗を倍数に変換できるという原理を分かりやすく解説しています。

その他、利明の主要な著作としては、『経世秘策』『西域物語』『経済放言』『渡海日記』『長器論』などが挙げられます。多岐にわたる分野に関心を持ち、それを著作として残しました。

本多利明は、後世の研究者や作家にも影響を与えています。著名な日本文学研究者であるドナルド・キーンは、彼の修士論文のテーマとして本多利明を選び、『日本人の西洋発見』という著作にまとめました。また、山本七平の『江戸時代の先覚者たち』や、みなもと太郎の歴史漫画『風雲児たち』、遠藤寛子の児童小説『算法少女』といった作品にも、その姿や思想、あるいは関連人物との関わりの中で描かれています。

文政3年（1820年）、利明は78歳で波乱に満ちた生涯を閉じました。墓所は東京都文京区にある桂林寺にあります。その先駆的な思想と学識は、大正13年（1924年）に正五位を追贈される形で、改めて評価されました。彼は、閉鎖的な時代にあって広く世界を見据え、日本の未来を真剣に憂い、大胆な改革案を提示した、江戸時代を代表する知の一人と言えるでしょう。

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