経世論

経世論：江戸時代の社会改革思想

近世日本の社会構造や経済状況は、現代社会とは大きく異なるため、当時の政治や経済に関する議論を理解するには、現代的な視点だけでは不十分です。この文章では、江戸時代（近世）に盛んだった「経世論」について、その歴史的背景、思想的展開、主要著作などを解説します。

経世論とは何か

「経世論」とは、江戸時代の日本で生まれた、社会問題の解決を目的とした政治・経済思想です。その名称は「経世済民（けいせいさいみん）」という言葉に由来し、「世の中を良くし、民衆を救済する」という意味を持っています。現代で言えば、政治学、経済学、社会学といった様々な分野にまたがる広範な領域を包含していました。

経世論が台頭した背景には、幕藩体制下での様々な社会問題が存在しました。領主の財政難、政治機構の腐敗、農民の疲弊、そして商人への富の集中など、社会全体に矛盾が噴出していました。経世論はこれらの問題への対策として、当時の支配者層である武士や儒学者らによって提唱されました。

経世論の歴史的展開

経世論の歴史は、おおむね18世紀半ばを境に「前期」と「後期」に分けられます。

前期経世論（17世紀後半～18世紀前半）

前期経世論は、熊沢蕃山（くまざわばんざん）の『大学或問』などの著作によって、一つの思想体系として確立しました。この時代の経世論は、武士の身分意識と儒教的な徳治論を基礎としていました。主な主張は、士農工商の秩序維持、勤倹節約による財政安定化など、封建的な社会秩序を維持することにありました。

荻生徂徠（おぎゅうそらい）とその弟子である太宰春台（たいざいしゅんたい）も重要な人物です。特に春台は、従来の単純な穀物重視や商業抑制策では社会問題に対応できないことを指摘し、藩による専売制など、市場経済を積極的に取り入れるべきだと主張しました。彼の『経済録』は、日本で初めて「経済」という言葉をタイトルに用いた著作として知られています。

後期経世論（18世紀後半～幕末）

後期経世論は、春台の思想を継承・発展させました。海保青陵（かいほうせいりょう）は、幕府や藩による産業育成や、商業活動への積極的な関与を主張しました。

また、林子平（はやしばいへい）などの海防論や国学思想の影響も受け、西欧の重商主義思想にも似た、開国による海外貿易推進、海外植民地獲得といった、従来の一国的な枠組みを超えた主張も現れました。本多利明（ほんだとしあき）、佐藤信淵（さとうしんえん）といった人物は、幕藩体制の克服を目指した革新的な主張を展開しました。

主要著作

経世論に関する主要な著作は多数存在し、それらを集成した『日本経済叢書』『日本経済大典』といった叢書も編纂されています。ここでは、代表的な著作を時代別に示します（ただし、ここでいう前期、中期、後期は、前述の思想史上の区分とは必ずしも一致しません）。

江戸前期: 『集義和書』『集義外書』『大学或問』（熊沢蕃山）
江戸中期: 『政談』（荻生徂徠）、『経済録』『経済録拾遺』（太宰春台）、『統道真伝』『自然真営道』（安藤昌益）、『価原』（三浦梅園）、『赤蝦夷風説考』（工藤平助）、『三国通覧図説』『海国兵談』（林子平）、『経済問答』
江戸後期: 『西域物語』『経世秘策』（本多利明）、『稽古談』（海保青陵）、『夢の代』（山片蟠桃）、『経世談』（桜田虎門）、『混同秘策』『経済要録』『農政本論』（佐藤信淵）、『新論』（会沢安）、『慎機論』（渡辺崋山）、『戊戌夢物語』（高野長英）、『経済問答秘録』（正司考祺）、『東潜夫論』（帆足万里）、『広益国産考』（大蔵永常）、『海防八策』（佐久間象山）、『国是三論』（横井小楠）

これらの著作は、当時の社会問題に対する様々な解決策を提示しており、現代の私たちにとっても、歴史的・思想的な考察の対象として非常に価値のあるものです。

参考文献

『国史大辞典』（吉川弘文館）
『大百科事典』（平凡社）
『日本思想史辞典』（ぺりかん社）
杉原四郎・長幸夫（編）『日本経済思想史読本』（東洋経済新報社）
野村兼太郎『概観日本経済思想史』（慶應出版社）
* 矢嶋道文『近世日本の「重商主義」思想研究』（御茶の水書房）

もう一度検索