東京都議会黒い霧事件

「東京都議会黒い霧事件」とは、1960年代半ばに東京都議会を舞台として明るみに出た一連の汚職および不正事件の総称です。特に、都議会議長選挙を巡る贈収賄事件が大きな注目を集めましたが、これ以外にも多岐にわたる不正が同時期に発覚し、都政の腐敗が浮き彫りとなりました。

事件の背景には、当時の東京都議会議長が持つ特別な権限と待遇がありました。一般の都議会議員と比較して高額な報酬に加え、年間2000万円もの交際費が認められ、さらに不足分は議会の予備費から支出可能という経済的な優位性、そして自動的に全国都道府県議会議長会の議長に就任できる名誉、さらには任期中の外遊機会などが、議長ポストを極めて魅力的なものにしていました。このため、権力と利権を求める多くの都議が議長職を目指し、特に都議会で過半数を占めていた自民党内では、熾烈な派閥争いとそれに伴う金銭の授受が常態化していました。

1965年 3月9日に実施された東京都議会議長選挙は、まさにこの構造の象徴でした。自民党内では小山貞雄氏、藤森賢三氏、加藤好雄氏の3氏が立候補し、激しい多数派工作の中で多額の賄賂が飛び交いました。その結果、小山貞雄氏が都政施行後第20代目の議長に選出されました。しかし、事件はすぐに露呈します。選挙からわずか数日後の3月15日、まず贈賄に関わった関係者が逮捕されたのを皮切りに捜査が進展し、4月16日には当選したばかりの現職議長、小山貞雄氏までもが逮捕されるという衝撃的な事態に発展しました。

その後の捜査により、議長選挙を巡る贈収賄に関与したとして、計15人の都議会議員が訴追されました。明らかになった賄賂の総額は345万円に上り、小山貞雄氏の派閥から5人の都議へ計130万円、加藤好雄氏の派閥から2人の都議へ計30万円、藤森賢三氏の派閥から9人の都議へ計185万円の賄賂がそれぞれ贈られていたことが判明しました。

裁判では、自民党内で行われた議長候補選定のための投票行為が、党員としての政党活動に過ぎないのか、あるいは議長を選出する権限を持つ都議会議員としての職務行為にあたるのかが大きな争点となりました。裁判所は、政党内部の活動と議員としての職務は切り離せない「密接不可分の関係」にあると判断しました。この結果、公判中に死亡した加藤好雄氏と建部順氏を除く、贈収賄に関与した13人の都議会議員全員に対し、執行猶予付きの有罪判決が下され、これらの判決は1970年 1月までに全て確定しました。

贈収賄事件で有罪判決を受けた都議（公判中に死亡した2人を除く）と判決内容は以下の通りです。

- 藤森賢三：懲役2年6ヶ月執行猶予5年（贈賄）
- 小山貞雄：懲役2年執行猶予5年（贈賄）
- 浦部武夫：懲役6ヶ月執行猶予3年（贈賄）
- 内田道治：懲役1年執行猶予4年（贈賄）
- 田村幾太郎：懲役10ヶ月執行猶予3年、追徴金50万円（受託収賄、贈賄）
- 出口林次郎：懲役1年執行猶予4年、追徴金65万円（受託収賄）
- 中島与吉：懲役1年執行猶予4年、追徴金40万7000円（受託収賄）
- 上野藤五郎：懲役1年執行猶予4年、追徴金30万円（受託収賄）
- 石島参郎：懲役6ヶ月執行猶予2年、追徴金10万円（受託収賄）
- 町田勝二：懲役8ヶ月執行猶予3年、追徴金20万円（受託収賄）
- 森伝：懲役8ヶ月執行猶予3年、追徴金20万円（受託収賄）
- 斎藤卯助：懲役6ヶ月執行猶予3年、追徴金10万円（受託収賄）
- 荒木由太郎：懲役1年執行猶予3年、追徴金30万円（受託収賄）

この議長選挙買収事件以外にも、1963年から1965年にかけて同時多発的に様々な不正事件が発覚しました。例えば、都営団地の用地買収を巡る財務局用地課長への収賄や、元都議会議長である建部順氏が用地買収予算の議会通過の見返りに賄賂を受け取った事件がありました。また、東京都の外郭団体である東京都競馬株式会社を巡っても、競馬場施設賃貸問題や埋立権譲渡問題に関する議決・議案上程に関し、当時の社長が建部氏や自民党の荒木由太郎氏に対し多額の賄賂を贈った事件などが明らかになりました。さらに、建部氏は自身が会長を務める外郭団体からの公金横領でも訴追されています。1963年の東京都知事選挙では、東龍太郎氏の陣営関係者によるニセ証紙事件も発生しました。1965年には、食肉移動販売車の営業許可を巡る恐喝未遂事件や、ボウリング場建設確認申請に関する収賄疑惑（これは職務権限がないとして無罪）なども報じられ、都政の幅広い分野での腐敗構造が浮き彫りとなりました。

一連の不正事件に関与した都議や都庁幹部らの主な判決は以下の通りです。

- 建部順：懲役2年6ヶ月、追徴金400万円（収賄・公選法違反・業務上横領など。一部無罪、控訴中に死亡し公訴棄却）
- 荒木由太郎：懲役1年8ヶ月、追徴金250万円（収賄・公選法違反・受託収賄など。一部無罪）
- 財務局用地部用地課長：懲役6年執行猶予3年、追徴金20万円（収賄・第三者収賄。第三者収賄は無罪）
- 須貝一正：懲役1年（恐喝未遂）
- 衛生局食品衛生課長：懲役8ヶ月執行猶予3年、追徴金2万円（恐喝未遂幇助・収賄）
- 山屋八万雄：罰金2万円（受託収賄・証人威圧・脅迫。受託収賄は無罪）

これらの度重なる汚職事件は、都政に対する都民の信頼を大きく損ねました。事態を重く見た国会では、1965年 6月1日に地方議会解散特例法が成立し、都議会に対して自主解散を促す動きが強まりました。都民の間でも都議会解散を求めるリコール運動が各地で展開され、こうした内外からの圧力に応じる形で、都議会は同年6月14日、特例法に基づき自主解散を決議しました。これにより、東京都議会議員選挙は他の統一地方選挙から2年ずれた日程で実施されることとなり、現在に至る都議選の実施時期のずれの原点となりました。

同年7月8日に新たな都議会議員選挙が告示されると、市民の間からは従来の政治に対する強い批判が高まりました。全国地域婦人団体連絡協議会や主婦連合会などが中心となり、悪質な候補者を追放するための啓発活動を行うなど、立候補者に対してかつてないほど厳しい監視の目が向けられました。同年7月23日に実施された投票の結果は、事件がもたらした政治的変化を明確に示しました。前回の選挙で69議席を有していた自民党は議席を大幅に減らして38議席となり第二党に転落。一方、前回32議席だった日本社会党が45議席を獲得して第一党となり、都議会の勢力図において保守と革新が逆転しました。この選挙結果を受けて、社会党の大日向蔦次氏が新たな都議会議長に選出されました。そして、この保革逆転の流れはさらに2年後の1967年4月に、革新系の美濃部亮吉氏が東京都知事に当選する大きな布石となったのです。東京都議会黒い霧事件は、単なる汚職事件にとどまらず、その後の東京都政の方向性を大きく変える歴史的な転換点として記憶されています。

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