桂文我 (3代目)

三代目 桂 文我

三代目 桂 文我（1933年（昭和8年）7月5日 - 1992年（平成4年）8月16日）は、戦後の上方落語を彩った噺家の一人。本名石木 正一。出囃子は「せり」。大阪市十三の鍼灸師の家に生まれ、幼い頃から芸事を愛する子供でした。

戦後、会社に勤めながら大阪市立泉尾第二工業高等学校の定時制で学ぶ日々を送る中、通学路にあった戎橋松竹で落語の世界に触れ、その魅力に引き込まれます。落語家を志すことを決意し、会社と高校を辞め、1952年（昭和27年）3月に二代目桂春團治のもとへ入門。桂正春と名乗りますが、師匠春團治が「声を悪くする」と固く禁じていた喫煙が発覚し、間もなく破門されてしまいます。

破門後は一時阪急バスの車掌として働きますが、やはり高座への思いを断ち切ることができず、宝塚落語会で復帰を果たします。この復帰に際して新しい名前が必要となりましたが、その経緯については複数の説が存在します。三代目桂米朝の証言によれば、既に師である二代目春團治は亡くなっていたため（1953年没）、三代目旭堂南陵が「桂若太郎」と名付けようとしますが、文我自身がこれを気に入りませんでした。そして、「嫌われている蛾の名前をつけたろう」と自ら1955年（昭和30年）に「桂蛾太呂（がたろ）」を名乗ったとされています。一方、二代目春團治の未亡人である河本寿栄の回想では、二代目春團治の兄弟子にあたる東京の二代目三遊亭百生に寿栄が相談し、百生の前座名「我蝶」から一字を変えた「桂蛾蝶」の名を百生から授かったとされています。

その後、1958年（昭和33年）には「桂我太呂」と改名。この頃は関係者が証言するように、酒に明け暮れる日々を送っていたと言われています。しかし、その一方で落語の腕前は着実に向上させ、1968年（昭和43年）11月、三代目桂文我を襲名します。襲名披露興行は千日劇場で行われ、師の実子である三代目春團治をはじめ、三代目米朝、六代目笑福亭松鶴といった上方の大御所に加え、東京からは八代目林家正蔵（後の林家彦六）、四代目柳亭痴楽も駆けつけるという、東西の噺家が顔を揃える大変豪華な興行となりました。

1970年から1975年にかけては、親交のあった四代目桂文紅と共に「文文の会」（後に同名の噺家ができたため「文々の会」から改称）を開催し、精力的に活動しました。

文我は飄々とした独特の芸風で、聴く者に古き良き時代の上方落語の趣を感じさせました。得意ネタも非常に多く、古典落語では「崇徳院」「死ぬなら今」「青菜」「京の茶漬」「辻八卦」「くやみ」「ちりとてちん」「商売根問」「短命」「胴乱の幸助」「のぞき医者」「宿屋町」「延陽伯」「がまの油」「始末の極意」「湯文字誉め」などをよく演じました。また、東京の八代目林家正蔵から教わった「大仏餅」のようなネタや、「お貞の話」「青砥草子」といった自作の新作落語も高座にかけています。

酒にまつわる数多くの失敗談は伝説的ですが、それでもなおファンや後輩から深く慕われたのは、普段の彼が「真面目で几帳面」と評される人徳の持ち主であったからです。彼はまた大変な勉強家としても知られ、稽古をつけてもらった四代目桂文紅は、文我の自宅には階段から押し入れに至るまで無数の書籍と落語に関する貴重な資料が詰まった段ボール箱が13箱もあったと回想しています。後輩の面倒見も良く、頼まれれば時間をかけて稽古をつけたり、昔の芸談を惜しみなく語ったりしました。

酒好きにまつわる破天荒なエピソードは枚挙にいとまがありません。

酔うと深夜だろうとお構いなしに長電話をかけ、落語について議論をふっかけるため、仲間内ではその深夜の電話が恐れられていました。四代目桂文紅の家に夜中の2時頃に酔った文我から電話がかかり、「君なあ。今日言うてたあれ・・・間違ごてる」と延々と芸の意見を述べたため、電話を切ると「まだ話終わってへん」と再びかかってくる、といったことが何度もありました。文紅が間違い電話と偽って逃れようとすると、文我は電話局を使って電話をかけてきたといいます。
酔って帰りのタクシーのボンネットの上に乗ったり、運転手に掴みかかったりしたこともあります。同乗していた二代目桂ざこば（当時朝丸）が「えらいすんまへん。先輩やなかったら、どついてるとこですけど」と詫びると、運転手は「かましまへん。どつきなはれ。わても手伝うさかい」と返したそうです。ざこばは前座時代、酔っ払った文我を何度も家まで送っていたといいます。
姉が酒を止める薬を飲ませたところ、肝臓を痛めてしまい、それ以降酒量は落ちましたが、ビール大瓶2本で泥酔するようになったといいます。
誰彼構わず絡む酒癖でしたが、なぜか三代目桂米朝にだけは絡むことはありませんでした。しかし、一度米朝と一緒に飲んで泥酔した際、「ちょっと待っとくんなはれ。電話するよって。」と公衆電話ボックスに入ったまま出てこないため、心配した米朝が覗くと、文我はズボンを下ろしてしゃがみこみ、受話器のコードを引っ張りながら「水が出えへん」と叫んでいたといいます。
客層の荒さで知られる新世界の寄席「新花月」に出演中、騒ぐ客をなだめようとして挑発され、ビール大瓶2本を飲み干してから高座を続けたこともあります。その直後、NHKの「上方落語の会」に出演するため厚生年金ホールに到着した際には泥酔状態でしたが、そのまま「東の旅」を演じました。最初は滅茶苦茶な高座でしたが、噺が進むにつれて調子を取り戻し、最後の「軽業」のあたりは通常通りの高座になったといいます。この時の高座は、後にCD「ビクター落語 上方篇 三代目 桂文我 3」に収録されています。
四代目林家小染の独演会後の打ち上げで、二次会、三次会と酒を重ねるうちに、三代目林家染丸の芸を巡って小染と激論になり、ついには大喧嘩に発展してしまったこともありました。
正月公演で、酔っ払ったまま神戸三宮の国際会館に現れた際、「酔ってるから止めとき」という周囲の声を聞かず大喜利に出演。案の定、意味不明な答えを連発し、罰として顔に塗られた墨を拭いて袴につけ、最後は四つん這いになって退場。司会の米朝らが呆然とする中、再び四つん這いで舞台に現れ、場をしらけさせて舞台を台無しにしてしまいました。
桂南光（当時桂べかこ）が、師匠である桂枝雀の芸について文我に批判的なことを言われたため、文我の胸ぐらを掴んで凄んだことがあります。後日、べかこが謝罪すると、文我は「酔っていたのでそんなことは少しも覚えていない」と言ったそうです。

酒以外のエピソードでは、若手時代の四代目桂春團治（当時春之助）が「死ぬなら今」の稽古を頼んだところ、「お前には早すぎる」と断ったという話が知られています。また、新花月で客に握り飯を投げられた際に、「ありがたや。お天道さんと飯だけはちゃんとついてくる」と頓知の効いた返答をした一方、別の日に得意ネタの「京の茶漬け」を演じた際は、その出来栄えに客がしんとして聞き入ったという対照的な逸話もあります。

身だしなみには極めて無頓着で、靴下や下着を替えないのは日常茶飯事でした。汚れたシャツを隠すために年中マフラーをしていましたが、そのマフラーも不潔そのものであったといいます。その一方で、風呂好きで、日に二、三度銭湯に通うのを楽しみ、金がなくなると蔵書を売ってまで銭湯代を捻出するほどでした。

また、学究肌の側面も持ち合わせており、落語への深い造詣や理論においては東西随一とも言われました。桂文紅とは芸について熱く議論を交わし、しばしば絶交状態になることもありました。ある時、文紅との議論が白熱する中、二人にも劣らぬ理論家である七代目立川談志が加わり、いつしか談志と文我の論争になりましたが、談志がいくら熱弁を振るっても、文我は最後まで自身の持論を曲げなかったといいます。

晩年には夫人の事故死という不幸に見舞われます。文我自身も、1992年（平成4年）7月26日深夜、自宅近くの盆踊りからの帰りに自転車で転倒し頭部を強打。脳内出血により意識不明の重体となり入院しますが、懸命な治療も及ばず、同年8月16日に肺炎による心不全で亡くなりました。享年59でした。「わいは60になったら良うなるんや」と生前口癖のように語っていましたが、その60歳を迎えることなく世を去ったことは、多くの人に惜しまれました。弟子には師の前名を継いだ二代目桂我太呂がいましたが、既に廃業しています。

波乱万丈の生涯を送った三代目桂文我は、その卓越した芸と、酒にまつわる豪快なエピソード、そして何よりもその人間的魅力で、戦後の上方落語界に忘れられない足跡を残しました。

関連項目

落語家一覧
上方落語
上方噺家
春団治一門
* 1080分落語会

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