桂文治 (9代目)

九代目 桂 文治

九代目 桂 文治（かつら ぶんじ）は、明治25年（1892年）9月7日に東京日本橋小伝馬町で生まれた落語家です。昭和53年（1978年）3月8日に85歳でその生涯を閉じました。本名は高安 留吉といい、生前は落語協会に所属していました。定紋は結三柏、出囃子は『野崎』で知られ、「留さん」あるいは「留さん文治」の通称で多くの人々に親しまれました。

芸歴と遍歴

実家が魚屋だった留吉は、十思小学校を卒業後、錦城中学校に入学しますが、わずか1年ほどで中退。その後、蕎麦屋など様々な奉公先を転々とします。父の魚屋を手伝う傍ら、素人の落語会である天狗連に出演するようになり、芸の道に進むきっかけを掴みました。

大正4年（1915年）、橘家圓三の紹介で、当時の一門の総帥であった四代目橘家圓蔵に入門し、「橘家咲蔵」を名乗ります。しかし、大正7年（1918年）12月には七代目翁家さん馬門下に移籍し、「翁家さん好」と改名。その後、初代立花家橘之助の一座に加わって巡業に出ますが、思わぬ困難に見舞われ東京に戻れなくなり、大正10年（1921年）に大阪へたどり着きました。ここで二代目桂三木助の門人となり、「桂三木弥」と改名。この大阪時代は、後に彼の持ちネタとなる多くの噺を習得し、また上方落語の大名人である初代桂春團治に接して大きな影響を受けるなど、落語家としての彼にとって一つの大きな転機となりました。

帰京後は、一度離れた八代目桂文治の門下へ戻り、翌大正11年（1922年）11月には「桂文七」を名乗ります。しかし、師匠文治との関係が悪化し、やむなく三代目柳家小さんの一門に移籍。大正14年（1925年）10月には真打に昇進し、「柳家さん輔」と改名しました。昭和13年（1938年）4月には、かつての師匠である八代目文治の前名にあたる「九代目翁家さん馬」を襲名します。

戦後になると、文化放送の専属となり、ラジオの寄席中継に出演する機会が増え、そこで彼の芸が広く認められるようになりました。そして昭和35年（1960年）4月、ついに「九代目桂文治」を襲名。襲名にあたっては、本人は「さん馬」「産婆」のクスグリが使えなくなることや、多額の資金が必要なことからあまり乗り気ではなかったと言われています。昭和47年（1972年）3月には、友人であった林家彦六、そして彦六の「天敵」とも称された六代目三遊亭圓生と共に落語協会の顧問に就任し、落語界の最長老として重きをなしました。

芸風と得意ネタ

九代目文治は、一見すると威厳のある老大家といった趣でしたが、その高座は見た目とは異なり、ひょうひょうとした軽い語り口の中に独特のユーモアを織り交ぜるものでした。不思議な英語や、微妙に時代遅れの言い回しを巧みに取り入れた「クスグリ」は、歴代の桂文治の風格とは一線を画す異色の芸風でしたが、その軽妙さが寄席においては欠かせない魅力となっていました。

代表的な得意ネタには、本人を地でいくような「片棒」、初代柳家蝠丸作の「大蔵次官」、「口入屋」、「小言幸兵衛」、「好きと怖い」、「俳優の命日」、「岸さん」、「不動坊」、「歌劇の穴」、「宇治大納言」などがあります。

人物と逸話

九代目文治は、落語界でも指折りの吝嗇家（けち）として非常に有名でした。自身もケチで知られる七代目立川談志や、節約家として珍しがられた林家木久扇をして賞賛せしめるほどの「ケチの文治」として、数々の逸話が伝えられています。

上野の鈴本演芸場では、贔屓にしていたアメ横の魚屋の特売日に早く帰るため、高座の順番を早めてもらうよう要請したといいます。上野松坂屋の休前日である水曜日には鮭が半額になり、閉店間際にはさらに安くなることから、高座よりも鮭の値段が気になって仕方がなかったという話もあります。
手に入れた魚は、当時まだ珍しかった電気冷蔵庫にしまっていましたが、それは自宅ではなく、隣に住む友人・林家彦六の家の冷蔵庫を利用していました。新聞も毎日彦六宅で読んでいたそうです。
彦六宅で名物の牛めしが作られると、必ずやってきて何杯も馳走になったそうです。三杯目以降はさすがに気まずかったのか、自分で台所に行ってよそって食べていたといいます。
楽屋で天丼談義になった際、「一番美味い天ぷらは勧銀（日本勧業銀行）だ」と語り、その真意（銀行の上得意客として無料で提供される天丼）を知った他の噺家たちの爆笑を誘いました。
* 入院中に計算問題を尋ねられると答えられませんでしたが、「十円足す十円はいくつ？」と聞かれると、はっきりと「二十円」と答えたという逸話も残っています。

しかし、文治は単なるケチではありませんでした。お座敷で腹痛を起こすほどご馳走を食べて寄席に来た際、仲間にタクシーでの帰宅を勧められても「地下鉄で帰ります」ときっぱり断り、若い前座に荷物を持たせて駅まで送らせましたが、別れ際に渡したチップはタクシー代よりも多額だったといいます。普段から大切な義理事への出費は惜しまず、むしろ他人よりも多く包むことを厭わなかったことから、「美学のある吝嗇家」とも評されました。本人は九代目文治襲名を嫌がったのも、多額の費用がかかるためだったと言われていますが、周囲が彼の芸のためにと襲名させたという見方もあります。

関係者と音源

弟子には、養子である十代目翁家さん馬や、文治没後に三代目古今亭志ん朝一門に移籍した桂文太などがいます。

晩年には脳溢血で倒れますが、その後も高座に上がり続け、昭和53年（1978年）3月8日に死去しました。墓所は台東区谷中の玉林寺にあります。その独特の芸風や人物像は、今も多くの落語ファンに語り継がれています。

九代目桂文治の音源としては、キングレコードの『昭和の名人～古典落語名演集』シリーズや、ポニーキャニオンから廃盤となっている『九代目 桂文治 名演集』などがあり、往時の高座を偲ぶことができます。

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