植物誌

植物誌（しょくぶつし、Flora）とは

「植物誌（Flora）」とは、ある特定の地理的範囲に自生または帰化する植物種全体を詳細に記録し、それらを識別（同定）するための情報を提供することを目的とした総覧のことです。単なる植物のリストである「植物目録（Index）」と比較して、各種の形態、分布、生息環境、分類学的な位置づけなど、より多くの情報を含んでいる点が特徴です。

目的と構成

植物誌の主な目的は、その地域に生育する植物を同定するための手引きとなることです。このため、利用者が植物の特徴を比較しながら種類を絞り込んでいけるよう、通常は「検索表」が付属しています。多くの場合、これは二者択一形式になっており、植物の形態的な特徴に基づいて問いに答えていくことで、最終的にその植物の種名を特定できるよう工夫されています。

対象地域と媒体

植物誌が対象とする地域は様々で、地球全体を網羅するものから、大陸別、国別、さらに特定の地方、都道府県、市町村といったより狭い範囲に限定されたものまで出版されています。地域の範囲は、純粋な地理的な区分に基づく場合もあれば、政治的な境界線に沿って定められる場合もあります。

発行媒体も時代の変化とともに多様化しており、かつては分厚い書籍が主流でしたが、現在ではCD-ROMやインターネット上のウェブサイトとして提供される新しい形態の植物誌も増えています。これにより、情報の更新や検索が容易になっています。

歴史と世界の植物誌

植物誌の編纂は古くから行われており、多くの古典的な著作が知られています。ヨーロッパでは、ウィリアム・カーティスの『ロンドンの植物』（18世紀後半）やジョン・シブソープの『ギリシャ植物誌』（19世紀前半）などが有名です。また、近代植物学の祖とされるカール・フォン・リンネによる『スウェーデン植物誌』（1745年）は、その体系的な記述で後世に大きな影響を与えました。

現代においても、世界各地で数多くの植物誌が編纂・出版されています。

南北アメリカ: 『Flora of North America』、『Flora Brasiliensis』、『Manual de Plantas de Costa Rica』など、北米、中米、南米の広範な地域を対象としたものや、特定の州や国の植物を扱う詳細なものが多数存在します。
アジア: 『Flora of China』、『Flora of Thailand』、『Flora Malesiana』など、広域から地域に特化したものまで多岐にわたります。
オーストラリア・太平洋諸島: 『Flora of Australia』や『Flora of New Zealand』シリーズ、ハワイやフィジー、ニューカレドニアなどの島嶼地域の植物誌があります。
ヨーロッパ: 『Flora Europaea』のような大陸全体を対象とする大規模なものや、イギリス諸島、イベリア半島、アゾレス諸島、ルーマニアなどを扱う地域ごとの植物誌があります。
* アフリカ・マダガスカル: 熱帯アフリカ、東アフリカ、南アフリカ、マダガスカルなど、地域の多様な植物相を記録する植物誌が出版されています。

これらの植物誌は、地域の生物多様性を理解し、保全計画を立てる上で不可欠な基礎資料となっています。

日本の植物誌

日本においても、地域全体の植物を網羅する重要な植物誌が複数存在します。

特に、大井次三郎による『日本植物誌』（1953年）は、当時日本国内（沖縄を除く）で知られていた高等植物の分類体系を整理し、種を網羅した画期的な著作でした。沖縄を含む琉球列島については、初島住彦による『琉球植物誌』（1975年）がそれに相当する役割を果たしました。

これらの著作は、情報源としてはやや古くなっていますが、その網羅性と体系性から長らく日本の植物研究の基盤として用いられてきました。これに代わる現代的な日本の植物誌としては、岩槻邦男らが編集する英文の『Flora of Japan』が講談社サイエンティフィクより順次刊行されており、最新の分類学的な知見に基づいた情報を提供しています。

現代の植物誌と今後の展望

インターネットの普及に伴い、eFlorasのようなオンラインでアクセス可能な植物誌データベースが登場しています。これにより、世界中の植物に関する情報がより手軽に入手できるようになり、研究者だけでなく一般の植物愛好家にとっても貴重な情報源となっています。

植物誌は、地域の植物多様性を記録し、科学的な研究を推進するとともに、自然保護や環境教育のための基礎資料として、今後も重要な役割を果たし続けるでしょう。

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