母の初恋

川端康成『母の初恋』

川端康成の短編小説『母の初恋』は、全5章からなる悲恋の物語です。亡き母の初恋の相手である男性に引き取られた娘が、その男性を密かに慕いながらも、別の男性と結婚するという、切なくも美しい愛の形を描いています。

あらすじ

物語の主人公は、母親の死後、母の初恋の人である佐山の養女となった19歳の雪子です。彼女は、佐山とその妻の時枝によって決められた婚約者・若杉との結婚を控えています。料理が得意な雪子は、時枝と変わらぬ味付けができるほどに成長していました。

佐山は、雪子の新婚旅行の宿を探すため熱海へ出かけ、過去を振り返ります。6年前、佐山はかつての恋人である民子と再会します。民子は、生活に困窮しており、娘の雪子を養女にしてほしいと佐山に頼みます。佐山は、かつて民子を深く愛していましたが、彼女が別の男に奪われた過去がありました。しかし、民子への愛は、娘の雪子を通して、新たな形で受け継がれていきます。

雪子の結婚式の朝、時枝は雪子に「辛いことがあったら、いつでも帰ってきなさい」と声をかけます。結婚後、新居を訪れた佐山は、雪子の継父である根岸が、父親ぶって雪子を怒鳴りつけているところを目撃します。その後、雪子が失踪し、佐山は彼女の親友から、雪子が「初恋は結婚によっても滅びない」という手紙を残していたことを知ります。そして、雪子は佐山の元を訪れ、時枝の優しさへの感謝を告げます。佐山は、雪子への愛情を自覚しつつも、彼女を若杉のもとへ送り届けようとしますが、その心には、民子から雪子へと繋がれてきた「愛の稲妻」が輝いていました。

登場人物

佐山: 41、2歳の映画シナリオ作家。過去の恋人・民子の娘である雪子を引き取ります。真面目な性格で、過去の恋に囚われています。
時枝: 佐山の妻。人情深く、雪子を優しく見守ります。自分の若さを忘れ、子どもたちの幸せを第一に考えています。
雪子: 19歳の佐山の養女。内気で純粋な性格です。料理が得意で、亡き母の初恋の相手である佐山に秘かに慕情を抱いています。
民子: 雪子の母であり、佐山の元恋人。病に倒れ、若くして亡くなります。娘の雪子に、佐山のことを話していました。
根岸: 民子の再婚相手で、雪子の継父。粗暴な性格で、雪子に嫌われています。
若杉: 雪子の婚約者。銀行員で、佐山の紹介で雪子と結婚することになります。

作品背景

『母の初恋』の着想は、川端康成の実体験に基づいていると言われています。川端の元婚約者である伊藤初代が、娘の養育を依頼するために川端を訪ねたことが、物語の創作のきっかけになったと考えられています。この出来事は、川端の過去の恋愛と、娘への愛情が交錯する、複雑な感情を描く上で重要な役割を果たしました。

作品の特徴

『母の初恋』は、川端康成の作品の中でも特に、純粋な愛を描いた作品として知られています。登場人物たちは、それぞれに複雑な過去や感情を抱えながらも、愛を貫こうとします。特に、雪子の純粋さは、物語全体を美しく彩っています。

また、この作品は、川端文学の重要なテーマである「純潔な少女」を象徴する作品としても知られています。川端の作品には、しばしば純粋で美しい少女が登場しますが、雪子は、その典型的な例と言えるでしょう。

作品の評価と影響

『母の初恋』は、発表当時から多くの読者に愛され、映画やテレビドラマなど、様々な形で映像化されています。特に、三島由紀夫は、この作品を高く評価し、その「少女の可憐さ」を称賛しました。

また、高見順は、雪子が溝の縁を歩く姿に感動し、『夜のさいころ』も気に入ったと述べています。森本穫は、この作品が、川端の過去の恋愛体験と深く結びついていることを指摘し、伊藤初代の娘への愛情が、作品の背景にあると考察しました。

他の短編について

『母の初恋』は、同時期に書かれた他の短編と共に『愛する人達』という短編集に収録されています。これらの作品群も、愛情をテーマにしながら、様々な変化を見せています。

「女の夢」: 結婚した夫婦が、過去の恋に囚われる様子を描いた作品。
「ほくろの手紙」: 女性が、幼い頃からの癖を通して、愛情を求める様子を描いた作品。
「夜のさいころ」: 旅芸人の一座で働く少女の物語。
「燕の童女」: 新婚旅行中に、夫婦が可愛らしい少女に出会う話。
「夫唱婦和」: 夫に尽くす妻と、夫の愛人となる女性を描いた作品。
「子供一人」: 妊娠した若い妻を優しく見守る夫の姿を描いた作品。
「ゆくひと」: 思春期の少年の心情を描いた作品。
「年の暮」: 劇作家が、かつての愛読者との関係を回想する話。

これらの作品群は、いずれも川端康成の円熟期の作品であり、人間の愛の複雑さや、心の機微を繊細に描いています。

映像化作品

『母の初恋』は、映画化と複数回のテレビドラマ化がされています。映画版は、久松静児監督、上原謙、岸恵子主演で制作され、テレビドラマ版は、1953年から1996年にかけて、様々なキャストで制作されました。これらの映像化作品は、小説の魅力を新たな形で表現し、多くの視聴者に感動を与えました。

結論

川端康成の『母の初恋』は、愛の美しさ、儚さ、そしてその普遍性を描いた名作です。純粋な少女の恋心と、過去の恋への未練が絡み合う、複雑な人間模様を繊細に描き出し、読者の心を揺さぶります。また、映像化作品も多く、その魅力は、時代を超えて多くの人々に受け継がれています。

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