水平歩道

水平歩道（すいへいほどう）

富山県黒部市、壮大な黒部峡谷の上流部に位置する水平歩道は、欅平（けやきだいら）から仙人谷（せんにんだに）まで、黒部川沿いに約13キロメートルに及びます。この道は、仙人谷よりさらに上流へと続く日電歩道（にちでんほどう）と共に、黒部峡谷の最も険しい場所として知られる「下ノ廊下（しものろうか）」を貫く、日本でも有数の難易度を誇る登山道です。

道の様相と危険性

水平歩道は、黒部川の左岸、標高およそ950メートルの高さに沿って、一部を除きほぼ水平に続く道です。鋭利な刃物で「コ」の字に切り込みを入れたかのような断崖に、細くへばりつくように作られており、場所によっては道幅がわずか70から80センチメートルほどしかありません。関西電力（関電）の黒部川第四発電所から延びる送電線の巡視路としても利用されているため、道自体はある程度整備されていますが、途中には鉄骨や丸太を組んで作られた桟道（かけはし）も存在します。

最大の特筆すべき点は、その極めて高い危険性です。川面から数百メートルという高所の絶壁を通過するため、一度足を踏み外せば命に関わる重大な事故に繋がります。このため、「黒部では怪我をしない」（＝転落したら怪我では済まない）という言葉が語り継がれており、実際に転落事故も度々発生しています。これらの状況から、登山ルートとしては非常に難易度の高い「上級コース」に位置づけられています。危険が予測される箇所には、山側に手すり代わりの太いワイヤーや針金が張られていますが、谷側には転落防止のための柵などは設置されていません。また、欅平から約12キロメートル地点にある山小屋「阿曽原温泉小屋」を除けば、コース途中に避難できる場所はほとんどなく、安全なエスケープルートも存在しないため、十分な計画と注意が求められます。

整備の現状

水平歩道の整備は、毎年夏になり黒部峡谷に残る雪が消えてから開始されます。関西電力が地元の業者に委託して行われていますが、その内容は雪崩などによって破損した箇所の補修が中心であり、安全性を抜本的に向上させるための対策は十分に行われていないのが現状です。関西電力の黒部専用鉄道の一般開放と合わせて、水平歩道や日電歩道もより安全に整備し、黒部峡谷観光の目玉とすべきだという意見も一部にはありますが、具体的な動きには至っていません。

歩道の歴史

この独特な歩道は、1920年（大正9年）に富山で設立された東洋アルミナムによって開通されました。アルミニウム精錬に大量の電力を必要とした同社は、自社で水力発電用ダムを建設する計画を立て、その調査を目的として水平歩道を開設したのです。勾配が急で流量が多い黒部川水系は電源開発に適しており、当時は開発景気に沸く各社が水利権を争っていました。東洋アルミナムは、競合を避けるため、すでに権利が出願されていた区間よりもさらに上流、欅平から平ノ小屋までの水利権を出願しました。これが水平歩道開設の背景となっています。

その後、東洋アルミナムは電力事業を日本電力（日電）に譲渡し、最終的に日電に吸収されました。開発計画を引き継いだ日電は、水平歩道をさらに延伸する形で、仙人谷から上流へ向かう日電歩道を開設しました。

黒部川水系の電力施設は、戦後に日本発送電を経て、1951年（昭和26年）に関西電力の管轄となりました。そして1963年の黒部ダム建設の際、中部山岳国立公園内である現地にダムを設置する条件として、当時の厚生省により、日電歩道と水平歩道を一般登山者向けに維持・補修することが関電に義務づけられたのです。これにより、現在も関電が毎年多額の費用をかけて両歩道の整備を行っています。

コースの概要

登山道は、黒部峡谷鉄道の終着駅である欅平駅（けやきだいらえき）から始まります。駅前の広場を出てすぐ、「しじみ坂」と呼ばれる標高差約350メートルにも及ぶ急な登りが続きます。この急坂を上りきり、稜線上に出てさらに進むと、送電線の鉄塔が立つ広場に到着します。ここに「水平歩道始・終点」の標識があり、ここからがほぼ平坦な水平歩道区間となります。

道は谷に出会うたびに地形に沿って大きく蛇行するため、見た目以上に長く感じられるかもしれません。谷の向こう側には、奥鐘山（おくかねやま）の切り立った岩壁が間近に迫ります。途中には雪崩や鉄砲水を避けるためのトンネルが数カ所あり、特に志合谷（しあいだに）に掘られたトンネルは、内部が半円形にカーブしており光が全く届かないため、通過には必ず懐中電灯などが必要です。オリオ谷では、堰堤（えんてい）の中に設けられた通路を通ります。志合谷とオリオ谷の間には、「大太鼓（おおだいこ）」と呼ばれる、周囲の景色が大きく開ける展望ポイントがあります。

前述の通り、道自体にはワイヤーなどが設置されていますが、足下には岩角や木の根が飛び出している箇所もあり、注意が必要です。道幅が狭い場所が多いため、かつて阿曽原温泉小屋のオーナーを務めた原田義春氏は、「岩にザックや体を当ててバランスを崩さないよう、終始緊張感を持って歩くように」とアドバイスしています。

水平区間を進み、再び送電線の鉄塔が現れるあたりから、標高差にして約150メートルほど下ると、阿曽原谷にある山小屋「阿曽原温泉小屋」に到着します。この小屋は、水平歩道と日電歩道を通じてルート上にある唯一の宿泊可能な施設です。

小屋からは再び急な登りとなり、登りきった場所を左に折れてトラバース道を進みます。トンネルを抜けた先からは、仙人谷ダムへ向けた急な下りが始まります。この下りを終えたところに、関電の人見平宿舎（ひとみだいらじゅくしゃ）があり、その脇を進みます。仙人谷ダムの管理施設に入り、黒部専用鉄道の軌道を横切って通路を進むと、ダムの堰堤に出ます。

水平歩道は仙人谷ダムが終点となりますが、ダム堰堤上を渡った先からは、黒部ダムまで日電歩道が続いています。また、ダムの堰堤からは、仙人温泉方面へ向かう登山道である雲切新道（くもきりしんどう）も分岐しています。

黒部峡谷の圧倒的な自然の中に刻まれた水平歩道は、その成り立ちと険しさから、挑戦者を惹きつける特別な魅力を持つルートと言えるでしょう。

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参考文献:

鈴木昇己, 内田修, 平本雅信. (1988). 『立山・剣岳を歩く』 山と溪谷社. pp. 92-94.

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外部リンク:

地理院地図（国土地理院）
阿曽原温泉小屋

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