炎のごとく

1981年5月9日に公開された『炎のごとく』は、日本映画界の巨匠、加藤泰監督が手掛けた最後の劇映画として知られています。上映時間は147分。

飯干晃一の著書『会津の小鉄』を原作とし、物語は幕末の京都を舞台に展開します。主人公は侠客・会津の小鉄こと仙吉。激動の時代背景――天誅が横行し、池田屋事件や蛤御門の変といった歴史的な出来事が立て続けに起こる中で、仙吉が京都の町の人々と織りなす人間ドラマが深く描かれます。

あらすじ

元は京都の呉服屋の跡継ぎであった仙吉は、人を手にかけた罪で大坂を追われ、賭博師として各地を渡り歩いていました。雪深い土地での争いで傷を負った彼を看病したのは、盲目の旅芸人・おりん。この出会いが仙吉の人生を大きく変えます。彼はおりんを深く愛するようになり、強盗の浪人を斬った後、「お前一人を幸せにすることに賭けて京都へ行く」と告げ、二人で都を目指します。

京都に到着した仙吉は、人足斡旋業の大垣屋清八を訪ねます。清八から親分子分の契りを結ぶことを勧められますが、おりんとの平穏な暮らしを望む仙吉はこれを固く断ります。彼は「一番大切にしたいのは、このおりんを幸せにすること」だと清八に伝え、その心意気に感じ入った清八の妻・お栄の計らいで、賭場の弁当売りとして働くことになります。しかし、ある日、賭場で騒ぎを起こした男を刺殺してしまうという過ちを犯してしまいます。

行くあてをなくした仙吉は、誰の縄張りでもない鴨川の中洲に賭場を開きます。しかし、これが地元の有力者である名張屋の目を引いてしまい、清八からも叱責されます。自暴自棄になっていた仙吉は、名張屋の子分たちに襲われます。その時、仙吉を庇おうとしたおりんは頭を殴られ、命を落としてしまいます。

愛するおりんを失った怒りに燃える仙吉は名張屋へ乗り込みますが、そこに居合わせた四人の大親分、名張屋新蔵、新門辰五郎、薬師の梅吉、小金井小次郎に諭され、慟哭します。

おりんの位牌を携え大坂の実家へ戻った仙吉を、祖父母は黙って迎え入れ、位牌を仏壇に祀ってくれます。その席で、お富という娘を紹介され結婚を勧められますが、おりんを生涯唯一の女性と決めている仙吉はこれを辞退します。

大坂で旧友の山崎烝と再会した仙吉。山崎は、侍になることを志す佐々木愛次郎と共に、新選組に入るため京都へ向かいます。京都で佐々木は八百屋の娘あぐりと愛し合うようになりますが、仙吉は佐々木の新選組入りを危惧し、二人の関係に反対します。「侍になることに賭けたなら、女を幸せにすることはできない」と諭しますが、あぐりからは「女の気持ちなど分からない」と突き放されます。図られた仙吉は、高所恐怖症にも関わらず屋根の上に追いやられ、二人の仲を認めざるを得なくなります。

激動の京都では、尊王攘夷派による天誅が頻繁に発生していました。これを鎮圧するため、会津藩主・松平容保が上洛します。会津藩の御用を預かることになった仙吉は、家老・田中土佐の紹介で新選組局長の近藤勇と対面します。仙吉は佐々木の脱退を願い出ますが、近藤は「これからの時代は人こそが大事だ」とこれを退けます。しかし、互いに名刀「虎徹」を持つ者として、二人の間には奇妙な絆が生まれます。この席にお富が芸者として現れ、仙吉は追い返そうとしますが、お富はそのまま仙吉の家に居ついてしまいます。

一方、京都の町中で佐々木とあぐりは、新選組の芹沢鴨一派と鉢合わせします。あぐりを見初めた芹沢は、彼女を妾にするよう命じます。隊士の佐伯亦三郎の助言もあり、佐々木とあぐりは駆け落ちを決行します。しかし、それは芹沢一派の仕掛けた罠でした。待ち伏せされた佐々木は斬り殺され、あぐりも自ら命を絶ちます。駆けつけた仙吉たちが目にしたのは、清らかな最期を遂げた二人でした。それを見て近藤勇が「美しい」と漏らすと、お富は「何が美しいものですか。女の一番の幸せは、好きな人と添い遂げ、子供を産み育てることだ」と反論します。仙吉は二人の無念を晴らすため、芹沢を襲撃し、止めをあぐりの両親である八百屋夫婦に刺させます。

京の都では、岡田以蔵が盗みの容疑で捕らえられます。以蔵に縋りつく情婦を仙吉は家まで送りますが、そこで突然斬りつけられます。話を聞くと、その女はかつて仙吉とおりんを襲って逆に斬られた追いはぎの娘でした。

そして池田屋事件が勃発します。その混乱の最中、新選組に斬られた岡田以蔵の愛人、和多田なかが男装のまま二階から転落します。駆け寄った仙吉の腕の中で、なかは息を引き取ります。仙吉は叫びます。「なぜなんだ。なぜ…。おりんにしても、あぐりちゃんにしても、富ちゃんにしても、この女にしても。俺は皆に精一杯尽くしているのに。それしかできないのに、なぜこんなことになるんだ」。

池田屋事件の報復として、長州軍が京都に侵攻します。これが世にいう蛤御門の変です。戦に向かう近藤たちに「友達ではなかったのか」と問いかける仙吉ですが、戦乱の末、京都は焼け野原と化します。

変わり果てた焼け野原で、仙吉はおりんの幻影を見ます。

「おりん、俺の賭けは負けだったのかな…。いや、違う。俺は負けない。また賭けるぞ」

焼け残った井戸で顔を洗い、仙吉は「俺はやるぞ！」と決意を新たに、力強く立ち上がるのでした。

製作・キャスト・評価

本作は、菅原文太が主人公・仙吉を演じ、倍賞美津子、若山富三郎（特別出演）、中村玉緒ら、当時の日本映画界を代表する豪華俳優陣が出演しています。特に、加藤監督は当時の流行に反し、演技力のある30代の女優陣を主要キャストに配したとされます。

独立プロダクションである大和新社の制作のもと、松竹、東映、東宝、大映といった大手からフリーまで、多くの会社のスタッフが協力して制作されました。撮影は主に大映京都撮影所で行われましたが、その他の場所も使用されています。ラストシーンの焼け野原のセットは、加藤監督がかつてデビュー作を撮った宝プロの撮影所であった貸しスタジオで設営されたという逸話が残っています。

加藤監督作品といえば、低いアングルからの撮影や長回しが特徴的ですが、本作では意図的に非リアルな映像表現が多用されています。タイトルバックでの仙吉とおりんのシーンにおける花嫁行列との合成や、ある人物が消えて仙吉だけが残るシーンなど、独特の演出が見られます。また、京都でのロケ中に学生エキストラに活気がないと感じた監督が、急遽撮影を中断して幕末史の講義を始めたというエピソードも伝えられています。ラストシーンで倍賞美津子演じるおりんが遠ざかったり近づいたりする印象的なカットは、カメラを後退させながらズームを同時に行う技法（ドリーズーム）で撮影されたとされています。加藤監督自身、この幻想的なラストについて「監督は時に観客と勝負したくなることがある」と語り、製作側の理解を得て実現したことを明かしています。

監督は本作への強い意気込みをパンフレットで語っており、かつての「頼もしい兄貴」のような活動写真、すなわち、正義や人生、恋愛、そして信念のために戦う姿を熱く描く「大活動写真」への飽くなき挑戦として本作を位置づけていました。

映画は二部構成ですが、途中に休憩はありません。第一部と第二部の区切りは、佐々木愛次郎とあぐりの出会いとその直後の口づけという、やや唐突な描写で示されています。

本作は加藤泰監督の集大成ともいえる作品であり、豪華キャスト、骨太な演出、そして歴史の動乱の中で懸命に生きる人々の姿を描き切った深みから評価が高い一方で、VHS、DVD、Blu-rayといったパッケージソフトとしては長らくリリースされていませんでした。BS・CS放送や単館での特集上映などで観る機会はありましたが、広く鑑賞できる手段は限られていました。しかし、2019年10月からはAmazonプライム・ビデオでの配信が開始され、現在も購入またはレンタルで鑑賞することが可能となっています。

『炎のごとく』は、幕末の京都を舞台にした多くの作品がある中でも、当時の政治情勢を巧みに織り交ぜながら、市井の人々の暮らしや感情を丁寧に描き出した点で特異な光を放っています。NHK大河ドラマ『獅子の時代』での主演を経て新たな境地を開いた菅原文太が演じる仙吉の、不器用ながらも真っ直ぐな生き様が、観る者の心に深く刻まれる作品と言えるでしょう。

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