狩野亨吉

狩野亨吉（かのう こうきち）は、慶応元年（1865年）に秋田郡大館町（現在の秋田県大館市）で生まれた日本の教育者です。代々学者の家柄に育ちましたが、幼少期には戊辰戦争の混乱で避難生活を経験しました。明治維新を経て、父が東京で内務省に職を得たことを機に、家族と共に上京し、東京で学校教育を受けることになります。

学歴と転向

東京府第一中学（現在の東京都立日比谷高等学校）を経て、新制の大学予備門（後の第一高等学校）に繰り上げ入学。その後、東京大学理学部数学科で学び理学士を取得しますが、その翌年には文科大学哲学科に編入するという異色の経歴を歩みます。この哲学科在学中には、夏目漱石と親交を深めました。大学院を経て文学博士の学位も取得しています。

教育者としての足跡

大学卒業後、金沢の第四高等中学校や、夏目漱石の招きによる熊本の第五高等学校で倫理学教授を務めました。特に注目されるのは、明治31年（1898年）、34歳という若さで第一高等学校の校長に就任したことです。この時代の狩野校長によって、一高の自由闊達な校風が確立されたと言われています。彼の後任には新渡戸稲造が就任しています。明治39年（1906年）には、京都帝国大学文科大学の初代学長に就任し、内藤湖南、西田幾多郎、幸田露伴ら少壮気鋭の人々を教授陣に招き、京大文学部の礎を築きました。夏目漱石を京大に招こうとしたこともありましたが、漱石は固辞しています。しかし、両者の交流は続き、漱石の葬儀では友人代表として弔辞を読んでいます。京都帝大は健康上の理由や文部省との軋轢から短期間で辞職し、東京に戻ります。

退官後の活動と「鑑定」

京都帝大退官後は特定の職には就かず、「書画鑑定並びに著述業」で生計を立てました。彼にとっての「鑑定」は単なる真贋判定ではなく、「歴史の捜索」を繰り返すこと、すなわち文献などを読み解き歴史を深く理解する行為でした。これは彼の「世界読書法」とも呼ばれる独特の知的好奇心を示すものです。

知的好奇心が生んだ発見と批判

狩野亨吉は教育者としてのみならず、その広範な学識を生かした研究や批判でも知られます。特に、江戸時代の異端的な思想家である安藤昌益の主著『自然真営道』を発見し、世に紹介した功績は大きいとされます。また、古代史の偽書とされる竹内文書についても徹底した史料批判を行い、それが偽書であることを実証しました。昭和17年（1942年）には、竹内文書を巡る裁判に検察側の証人として出廷しています。

稀代の蒐集家

さらに、狩野亨吉は浮世絵、中でも春画の世界的ともいわれる蒐集家として有名でした。改造社社長の山本実彦や浮世絵研究家の金子孚水は、その蒐集の質と量を高く評価しています。自ら「あぶな絵」を描いたり、ポルノ小説のノートを残したりするなど、その興味の範囲は多岐にわたります。

人物像と後世の評価

生涯独身であったとされ、独自の思想を持っていました。中学時代の親友である澤柳政太郎や松崎蔵之助、幸田露伴、尾崎紅葉といった多分野の著名人との交流がありました。東北帝国大学総長や皇太子（後の昭和天皇）の教育掛への推薦を「自分は危険思想の持ち主である」と述べて固辞するなど、権威に迎合しない姿勢を貫きました。彼の博覧強記ぶりと人間的な魅力は多くの知識人を惹きつけ、哲学者の田邊元は「自分の学問の師は西田博士であるが、人生の師は狩野博士である」と述べたと伝えられています。また、弁護士の正木ひろしは「狩野先生こそ本当の国宝的人物だ」と評しています。晩年には、投資の失敗で負債を抱え、貴重な蔵書を大量に売却しましたが、これが現在の東北大学図書館の狩野文庫として残され、研究に活用されています。

昭和17年（1942年）12月22日、胃潰瘍のため東京の自宅で77年の生涯を閉じました。

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