猿丸大夫

猿丸大夫：謎多き歌人の生涯と伝説

猿丸大夫は、日本の古代歌人であり、三十六歌仙の一人として知られています。しかし、その生涯は謎に包まれており、確かな史料はほとんど残されていません。生没年をはじめ、出自や経歴については諸説が入り乱れ、多くの謎に満ちた人物です。

不明な出自と来歴

猿丸大夫の活動時期は、元明天皇の時代から元慶年間頃と推測されていますが、確証はありません。唯一、確かな情報は『古今和歌集』の真名序に大友黒主の歌について言及されている点です。「大友の黒主が歌は、古の猿丸大夫の次なり」という記述から、『古今和歌集』編纂時（10世紀初頭）には、すでに猿丸大夫は過去の著名な歌人として認識されていたことが分かります。

名前の由来も謎に包まれています。公的な史料には登場しないことから、本名ではないという説が有力です。出自に関しては、山背大兄王の子孫とする説、天武天皇の子孫とする説、道鏡との関連を示唆する説、さらには民間伝承では二荒山神社の神職小野氏の祖とする説など、多様な説が存在します。これらの説の信憑性は様々で、いずれも確固たる証拠に欠けています。

伝説と子孫

猿丸大夫に関する伝説は、日本各地に散見されます。鴨長明の『無名抄』や『方丈記』には墓に関する記述があり、芦屋市や堺市には子孫を名乗る家系が存在すると言われています。長野県の戸隠には「猿丸村」があり、大夫がそこに住んでいた、あるいは出身であるとの伝承も残っています。しかし、これらの伝承と『古今和歌集』の猿丸大夫との関連性は、不明な点が多いです。

唯一の作品？「おくやまに」の歌

猿丸大夫の作品として最も有名なのは、『小倉百人一首』にも収録されている「おくやまに 紅葉ふみわけ…」の歌です。しかし、この歌の作者は『古今和歌集』では「よみ人しらず」となっており、猿丸大夫が作者であるという確証はありません。『新撰万葉集』にも収録されていますが、こちらも作者は不明です。

さらに、猿丸大夫の歌集とされる『猿丸大夫集』が存在しますが、これは後世に編纂されたもので、猿丸大夫の作品と断定できる歌は一首も含まれていません。同歌集に収録されている「おくやまに」の歌も、表記に違いが見られます。

「大夫」の解釈

「猿丸大夫」の「大夫」の読み方についても議論があります。鴨長明の『方丈記』や『古今和歌集序注』では「マウチギミ」と読まれており、これは天皇に近侍する高官を意味すると考えられています。一方、江戸時代以降は「さるまるだゆう」と読むのが一般的となっています。この読み方の違いは、「大夫」という称号の意味や、猿丸大夫の社会的地位に関する解釈の違いを反映していると言えるでしょう。

日光山と猿丸大夫

日光山に関する伝説では、小野猿丸（猿丸大夫）が、日光権現と赤城神の間の争いに鹿島明神の使いである鹿の姿をした女体権現の依頼で介入し、勝利に貢献したとされています。この伝説は、『日光山縁起』や『二荒山神伝』に記されており、日光二荒山神社の神職小野氏はこの猿丸を祖と伝えています。2008年には、日光青年会議所によりこの伝説を題材にした絵本『猿丸の弓のはなし』が出版されています。

柿本人麻呂との同一人物説

哲学者の梅原猛は、『水底の歌-柿本人麻呂論』において、猿丸大夫と柿本人麻呂が同一人物であるという仮説を提唱しました。この説は、両者の作品に共通点を見出し、柿本人麻呂が政治的な理由で暗殺され、猿丸大夫という偽名で作品を残したというものです。しかし、この説には確固たる証拠がなく、多くの識者から疑問視されています。

芦屋市の猿丸家

兵庫県芦屋市には、猿丸大夫の子孫を名乗る猿丸家が存在します。彼らは猿丸大夫を厩戸皇子（聖徳太子）の孫にあたる弓削王と同一人物と考えています。安土桃山時代には二家に分かれ、芦屋神社の境内社である東芦屋猿宮に奉職していました。近代においても、地域に貢献した人物を輩出しています。

まとめ

猿丸大夫は、その生涯や作品、出自、そして名前の由来など、多くの謎に包まれた人物です。わずかに残された史料と、各地に伝わる伝説、そして現代に残る影響から、その人物像の一端を垣間見ることができるでしょう。今後の研究により、さらに多くの謎が解き明かされることを期待したいです。

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