甘徳

概要

甘徳（かん とく）は、紀元前4世紀代の中国・戦国時代に活動した天文学者です。出身は斉とされることが多いですが、魯や楚を出身とする説も存在します。彼は同時代の魏の天文学者、石申（せき しん）と並び称され、世界最古級とも言われる星表を編纂した功績で知られています。その成果は後世に「甘石星経（かんせきせいけい）」としてまとめられ、中国天文学史において重要な位置を占める文献となりました。

生涯と著作

甘徳の生涯に関する確かな記録は限られていますが、司馬遷による『史記』の「天官書」には、古代の優れた天文家の一人として「甘公（かんこう）」の名が見られます。また、4世紀の歴史家・徐広（じょ こう）の補注では魯出身と記され、5世紀の書誌学者・阮孝緒（げん こうしょ）は著書『七録（しちろく）』で楚出身としています。このように、その正確な出自については複数の説が存在します。

甘徳は、『天文星占（てんもんせいせん）』全8巻、『甘氏四七法（かんしししちほう）』全1巻、『歳星経（さいせいけい）』といった天文関連の著書を著したと伝えられていますが、その多くは散逸し、現在は直接読むことはできません。しかし、これらの著作の内容の一部は、『史記』「天官書」や班固（はん こ）の『漢書（かんじょ）』「天文志」における引用や記述を通して知ることができます。さらに、唐代に編纂された占星術の集成書である『開元占経（かいげんせんきょう）』には、甘徳の『天文星占』と石申の著作とされる『天文』（または『石氏星経』）を一つにまとめた「甘石星経」という文献が収載されており、これが甘徳と石申の天文学説を知る上で最も重要な資料の一つとなっています。

主要な業績

甘徳の最も特筆すべき業績は、石申とともに編纂したとされる星表です。『史記』や『漢書』といった初期の歴史書は、天体の運行や吉凶の予測に関する論考において、甘徳と石申の見解をしばしば対比させて引用しています。これにより、彼らが当時の主要な天文学派を代表していたことがわかります。

特に『開元占経』に収められた「甘石星経」は、そこに記された星の位置や観測記録から、紀元前4世紀代に編纂されたものと考えられています。もしこの時代に成立したとすれば、古代バビロニアの星表に次ぎ、ギリシャの天文学者であるチモカリス（紀元前3世紀頃）やヒッパルコス（紀元前2世紀頃）によるものよりも先行する、世界でも有数の古い星表と位置づけられる可能性があります。この星表には、多くの星の座標や明るさが記録されており、当時の中国における高度な天文観測技術を示唆しています。

また、紀元前2世紀末に作られたとされる馬王堆漢墓から出土した帛書に含まれる天文記録「五星占（ごせいせん）」には、「甘石星経」と共通する記述が見られる箇所があり、甘徳や石申の天文学説が漢代にも影響を与えていたことがうかがえます。3世紀の呉の太史令であった陳卓（ちん たく）は、石申、甘徳、そして殷代の占星術師とされる巫咸（ふかん）の星図を統合し、中国の公式な星官（星座）体系の基準を定めたと伝えられています。これ以降、陳卓が定めた基準を基にした様々な星表や星図が、石申や甘徳、巫咸といった古代の著名な天文家の名を冠して作成されていきました。

木星衛星発見説

甘徳の記録の中で特に注目されるのは、紀元前364年（斉の宣王6年）の観測記録です。彼はこの年、木星の近くに微かな光を放つ暗い星があることを記録に残しています。1981年、中国の科学史家である席澤宗（せき たくそう）は、この記録が木星の衛星を肉眼で観測・発見した証拠である可能性を指摘しました。

もしこれが事実であれば、17世紀初頭に望遠鏡を用いて木星のガリレオ衛星（イオ、エウロパ、ガニメデ、カリスト）を発見したガリレオ・ガリレイらよりおよそ2000年も前に、中国の天文学者が肉眼で木星の衛星を観測していたことになります。これは天文学史における画期的な発見となります。

しかし、この説に対しては慎重な見解も多く示されています。非常に明るい木星本体の光によって、そのすぐ近くにある暗い衛星を肉眼で視認することは極めて困難であること、また、他の時代や地域において肉眼で木星衛星を観測した信頼できる記録が存在しないことなどが理由として挙げられます。したがって、席澤宗の指摘は興味深い仮説ではあるものの、天文学史研究者の間での広範な同意は得られていないのが現状です。甘徳が記録した「暗い星」が具体的に何であったのかは、未だ確定していません。

もう一度検索