病客車

病客車（びょうきゃくしゃ）

病客車とは、主に戦時下において傷病者を輸送するために用いられた鉄道客車です。その歴史は古く、クリミア戦争にまで遡ります。日本では、日中戦争の勃発を機に大量に増備され、傷病兵輸送に重要な役割を果たしました。

歴史

傷病者の輸送には、かつては馬やラバが用いられていましたが、1850年代のクリミア戦争において、兵站を目的としたグランドクリミア中央鉄道が建設され、史上初の病客車が運用されました。

日本における病客車の歴史

明治時代には、病人を輸送するための専用車両は存在せず、上等車の一部を貸し切るか、手荷物車を利用することで対応していました。日露戦争の際には、傷病兵輸送のため、官設鉄道が3等ボギー客車6両を改造し、日本鉄道もボギー式の二・三等合造客車2両を二等車に改造した記録が残っています。

大正時代に入ると、病人を担架に乗せたまま乗車できる専用客車が登場しました。これらの客車は、ハンセン病患者を療養所へ搬送する際にも使用され、到着駅まで直通で使用された後、消毒が徹底されました。また、遺体輸送にも用いられました。

日中戦争が勃発すると、傷病兵輸送のために病客車は大量に増備され、主に日本各地の軍港や軍病院周辺から発車する列車に連結されたり、専用編成が組まれたりして運用されました。日本の傷病兵輸送は、太平洋戦争の終結と引揚者の輸送が一段落した時点で終了しましたが、朝鮮戦争の開始に伴い、GHQ側の要求によって運用が再開され、負傷した国連軍兵士を各地の病院へ輸送しました。

朝鮮戦争終結後、客車の絶対数が不足していたため、一部の車両は一般の座席車に復旧されました。

用途記号

病客車には「ヘ」という用途記号が与えられました。この由来については諸説あり、疾病の「へ」、病客車の「病」（ビョウ）の旧仮名遣い「ビャウ」の転訛（ただし、「ヒ」とすると控車の用途記号と重複するため、「ベウ」または別の音読みである「ヘイ」が用いられた）、兵隊の「へ」、ヘルプの「へ」などの説があります。

一等病客車の記号は「イヘ」、二等病客車の記号は「ロヘ」で、三等病客車は単に「ヘ」と称しました。精神病患者の保護室を備えた車両は、記号の末尾左上に小さく「セ」と表示されました。この「ヘ」という名称は、1961年1月に廃止されました。

車両

病客車には、皇室用客車（霊柩車）から転用された一等病客車（兵士は三等病客車を利用）や、精神を患った軍人のための保護室を備えた車両など、利用する軍人の階級や症状に応じた設備がありました。担架を使用するため、車体には幅広の扉が設けられている車両が多く、誤乗車防止のために赤十字のマークが描かれ、施錠されていました。

三等病客車の内部は、座席が撤去され畳敷きのスペースとなっていました（朝鮮戦争時にGHQが利用した際にはベッドが持ち込まれました）。一等・二等病客車の内部は、中央に病室が配置され、その部分に幅広の扉が設置され、両側にはロングシートの客室が設けられていました。

終戦時には約60両の病客車が存在していましたが、その後、木製車は合造車や事業車に改造され、残りは廃車となりました。鋼製車は進駐軍に接収された後、返還された車両は三等車や事業車に改造されました。

各形式

二軸車: 1914年（大正3年）に二等病客車ヘ47が登場。1915年（大正4年）には病室の中央に寝台が据え付けられたヘ48が登場し、病客車の標準形となりました。
木製ボギー車:
ホロヘ6500形：鉄道作業局時代の客車を改造。一等病客二等車から二等病客車へ改造されました。
ホロヘ6550形：南満州鉄道で使用された特等車を改造。戦後は駐留軍基地勤務者の輸送や列車デパートに使用されました。
ホロヘ6580形：元日本鉄道の寝台車を改造。後に三等車へ再改造されました。
ホロヘ6590形：元日本鉄道の寝台車を改造。後に事業車へ再改造されました。
ナロヘ9800形：元日本鉄道の食堂車を改造。診察室や薬局を備えていました。
ナロヘ16900形：皇室用客車（霊柩車）を改造。
ナロヘフ21280形：ナロフ21200形を改造。一部は進駐軍に接収されました。
ナヘ21290形：ナロ20700形を改造。
ナイヘ26900形：皇室用客車（3代目霊柩車）を改造。
スヘ28400形：三等車を改造。
スヘ28800形：スハフ28800形を改造。
鋼製ボギー車:
* スヘ30形・スヘフ30形：特急「櫻」の三等座席車を改造。

私鉄の事例

草津電気鉄道は、草津温泉で療養するハンセン病患者輸送のため、1927年（昭和2年）にボギー貨車を病客車ホヘ19に改造し使用しました。

ハンセン病患者と「お召し列車」

ハンセン病患者を強制収容などで輸送していた場合、患者たちは列車を皮肉をこめて「お召し列車」と呼んでいました。

日本国外の事例

2022年ロシアのウクライナ侵攻が始まると、ウクライナ国内では負傷者を後送する際に列車が用いられ、ベッドが持ち込まれ治療を受けながら医療機関へ移送されました。

大山口列車空襲

1945年（昭和20年）7月28日、山陰本線大山口駅東方で病客車を含む列車が米海軍機より機銃掃射を受け、死者44名を出す事件が発生しました。

病客車は、その特殊な用途と歴史的背景から、鉄道史において重要な位置を占める車両と言えるでしょう。

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