相馬事件

相馬事件：明治時代を揺るがしたお家騒動

相馬事件は、明治時代に旧相馬藩主・相馬誠胤の精神疾患を巡り発生したお家騒動です。1883年から1895年まで、12年にもわたり法廷で争われ、当時の社会に大きな波紋を広げました。この事件は、精神病患者への処遇、新興新聞によるセンセーショナルな報道、そして人々の正義感が複雑に絡み合った事件として、今もなお語り継がれています。

事件の経緯

事件の発端は、1879年に相馬誠胤が統合失調症（推定）の症状悪化により、家族によって自宅監禁されたことでした。その後、誠胤は癲狂院（現在の精神科病院に相当）に入院することになります。

1883年、旧藩士の錦織剛清が、主君である誠胤の監禁に不当性を唱え、家督相続を狙う異母弟家族による陰謀であるとして告発しました。錦織の行動は世間の同情を集め、彼は忠義者として支持されるようになります。当時の精神病診断は未熟であり、高名な医師たちの診断もまちまちで、事態はさらに混乱しました。

1887年、錦織は誠胤が収容されていた癲狂院に侵入し、一時的に誠胤の身柄を奪取しますが、すぐに逮捕されます。この行動は世間から偏執的な行動と批判され、錦織は家宅侵入罪で禁錮刑を受けました。1892年に誠胤が病死すると、錦織は毒殺説を主張し、遺体発掘を試みますが、毒殺の証拠は発見されませんでした。

1895年、相馬家側は錦織を誣告罪で訴え、錦織は有罪判決を受け、事件は終結しました。この事件には、後藤新平（当時内務省衛生局長）も関与し、一時的に収監されることになります。

事件の影響

相馬事件は、当時の社会に大きな影響を与えました。大井憲太郎、星亨、福沢諭吉、陸奥宗光など、著名人が多く関わり、医師団には、後藤新平、岩佐純、エルヴィン・フォン・ベルツ、長谷川泰、中井常次郎、松本順、榊俶といった名だたる医師が名を連ねました。錦織の著書『神も仏もなき闇の世の中』はベストセラーとなり、関連書籍も多数出版されました。この事件は新聞、雑誌、錦絵、芝居など、さまざまな形で報道され、明治時代のジャーナリズム史上、最大の事件の一つとされています。

法制度への影響

相馬事件は、精神病者の監護に関する問題点を浮き彫りにし、1900年に精神病者監護法が制定されるきっかけとなりました。ただし、この法律は精神病者の人権保護や治療を目的とするものではなく、精神病院や私宅における隔離を規定するものでした。

相馬事件の年表

1876年頃: 相馬誠胤の精神状態に異変が現れる（24歳頃）。
1877年6月13日: 囲碁の勝敗を巡り騒動を起こし、座敷牢が邸内に作られる。
1879年4月14日: 相馬誠胤の自宅監禁が宮内省に許可される。
1883年12月10日: 錦織剛清が相馬家を訪れ、誠胤の監禁解除を要求。
1884年2月13日: 錦織が相馬家で暴れ逮捕される。20日、誠胤に対し瘋癲病人鎖錮願提出。
1884年3月3日: 医師団が誠胤を「時発性情性偏狂」と診断。
1884年7月17日: 誠胤が東京府癲狂院に入院。錦織が相馬家家宰を告訴。
1884年11月7日: 錦織が癲狂院に侵入し逮捕される。
1885年3月12日: 医師団が誠胤を「狂躁発作を有する鬱憂病」と鑑定。
1885年7月27日: 誠胤が退院し帰邸。
1886年1月23日: 誠胤の容態が悪化し、再び府立癲狂院へ入院。
1886年3月8日: 錦織が私書偽造と家宅侵入罪で禁錮刑。
1886年4月26日: 相馬順胤が相馬家相続人に。
1887年1月30日: 錦織が癲狂院から誠胤を連れ出し、後藤新平がかくまう。
1887年2月8日: 相馬家側が誠胤を取り戻す。15日、錦織の『相馬家紛擾の巓末』が掲載。
1887年3月10日: 誠胤が医科大学第一医院に入院し、狂病ではなく憂鬱病と診断。
1887年4月19日: 榊俶らが誠胤を「時発性躁暴狂」と診断。
1887年9月17日: 相馬家旧臣が、相馬家後見人に就任した浅野長勲による論告書に対し反発。
1888年4月8日: 反対派旧臣が、東京始審裁判所へ訴える。
1889年2月1日: 錦織が久邇宮家に誠胤への降嫁を願い出る。
1891年1月27日: 錦織が誠胤の総理代人として訴状を提出。
1891年11月13日: 錦織が相馬家の財産差押を請求。
1892年1月12日: 錦織が私書偽造容疑で拘引されるが、免訴。
1892年2月20日: 誠胤に東京控訴院公判への出廷呼出状が出るが、22日急死。
1892年3月2日: 誠胤の葬儀が行われる。
1892年10月7日: 錦織の著書『神も仏もなき闇の世の中』が出版される。
1893年7月17日: 錦織が誠胤毒殺犯として相馬家関係者を告発。
1893年8月9日: 相馬家が家宅捜索され、関係者が拘引される。
1893年9月8日: 誠胤の墓発掘、死体解剖。
1893年10月24日: 毒殺事件の被告が全員免訴となる。
1893年11月16日: 後藤新平が錦織誣告事件の教唆者として拘引される。
1894年2月13日: 錦織の誣告収賄事件公判始まる。
1894年5月3日: 錦織が誣告罪で有罪判決。

まとめ

相馬事件は、明治時代における精神病患者への偏見、未熟な医療体制、そして過熱する報道が複雑に絡み合った事件でした。この事件は、その後の精神病者監護法制定のきっかけとなり、日本の精神医療の発展に大きな影響を与えました。また、事件に関わった多くの著名人や、その後の法制度への影響から、近代日本史を語る上で欠かせない出来事の一つと言えるでしょう。

参考文献

千田稔『華族事件録　明治・大正・昭和』新潮文庫。
岡田靖雄『相馬事件　明治の世をゆるがした精神病問題その実相と影響』六花出版、2022年
生井知子「志賀直哉年譜考 (2) : 明治十六年から二十六年まで」『同志社女子大学日本語日本文学』第19巻、京田辺、2007年6月、119-137頁
相馬家騒動の疑獄『明治大正実話全集第1巻』（平凡社、1930年）
錦織剛清『神も仏もなき闇の世の中』1892年。
『錦織剛清拘引始末』売花堂主人（正文館、1893年）
『相馬家騒動実録』正編照魔真人（文昌堂、1893年）
『相馬家騒動実録』続編照魔真人（文昌堂、1893年）
予審終結決定書『東京日日新聞』明治26年12月30日「錦織剛清後藤新平皆被告」『新聞集成明治編年史第8卷』林泉社、1940年