稲畑勝太郎

稲畑 勝太郎

稲畑 勝太郎（1862年 - 1949年）は、明治・大正・昭和前期にかけて、実業界、政界、文化事業など多方面で顕著な功績を残した人物です。現在の京都府京都市に菓子職人の長男として生を受け、日本の近代化を黎明期から牽引しました。稲畑産業株式会社の創業者として知られるほか、日本の染料および染色技術の発展に貢献し、さらには日本における映画興行の端緒を開いた人物としても歴史に名を刻んでいます。

幼少期には、1872年に京都を訪れた明治天皇の前で「日本外史」を朗読する栄誉を得、褒美にコンパスを賜っています。その後、粟田小学校では第一期卒業生として優秀な成績を修めました。京都府師範学校を経て、1877年には京都府からの派遣留学生として、弱冠15歳でフランスのリヨンへ渡ります。リヨンのマルチニエール工業学校で染色技術の基礎を学び、さらにマルナス染工場の現場で3年に及ぶ厳しい徒弟生活を通じて実践的な技術を習得。その後、リヨン大学で化学課程を修め、専門知識を深めました。

8年間のフランス留学を終え1885年に帰国した稲畑は、明治政府からの農商務技師への招聘を辞退し、京都府染工講習所の教授に就任。1887年には京都織物会社の設立に奔走し、技師長として洋式の最先端染色技術の普及に尽力しました。

彼の最大の功績の一つは、染料貿易と産業の確立です。1890年、フランスの染料メーカー、サンドニー社の日本総代理店として京都に「稲畑染料店」（後の稲畑産業）を創業。これにより、合成染料の直接輸入貿易を開始しました。さらに、海外からの輸入品に頼っていたウール素材の毛斯綸（もすりん）の国産化を目指し、1895年に毛斯綸紡織を設立。1897年には大阪に稲畑染工場を設立し、最新技術を用いた染色加工業に進出しました。特に、海老茶色に染められた生地は「稲畑染」として親しまれ、当時の女学生の袴の定番色となるほど流行しました。日露戦争時には軍服用のカーキ染を開発し、国の需要に応えたことも特筆されます。

稲畑商店は、天津を皮切りにブリュッセル、上海など世界各地に次々と拠点を設け、海外への事業拡大を積極的に推進しました。第一次世界大戦後、染料の国産化が国家的な課題となる中、1916年に設立された日本染料製造株式会社（後の住友化学工業の一部）において、1926年に社長に就任しています。

また、稲畑勝太郎は日本の映画史においても重要な役割を果たしました。1896年、フランス出張中にリヨン留学時代の友人であるリュミエール兄弟が発明したシネマトグラフの上映を目の当たりにし、その革新的な技術に魅了されました。日本への導入を決意した稲畑は、多額の私財を投じてリュミエール社と契約を締結し、装置2台とフィルム、そして日本での興行権を取得。撮影技師兼映写技師のコンスタン・ジレルを伴って1897年1月に帰国しました。同年、京都で試写が試みられましたが、映写技術の不足から試行錯誤を重ね、ようやく上映に漕ぎ着けました。そして同年2月、大阪の南地演舞場において、日本で初めてとなる有料上映会を実現しました。ジレルが日本の風景や日常を撮影した初期のフィルムには、稲畑自身も撮影に関わっており、日本における初期の映画撮影にも関与しています。しかし、事業費が予想以上に膨らんだことなどから活動写真興行から身を引き、友人の横田万寿之助・永之助兄弟に興行権を譲渡しています。

実業家としての活動にとどまらず、稲畑は幅広い分野で社会に貢献しました。1921年にはフランスから初来日したヌヴェール愛徳修道会の修道女たちを神戸港で出迎え、同会による聖母女学院（現在の香里ヌヴェール学院や京都聖母学院などの前身）の設立にあたっても、賛助員として協力を行っています。1922年には大阪商業会議所（現在の大阪商工会議所）の第10代会頭に就任し、およそ12年にわたり、中小企業対策、産業合理化、実務教育といった多岐にわたる課題に取り組みました。

日仏間の文化交流にも熱心で、1926年には当時の駐日フランス大使ポール・クローデルと共に財団法人日仏文化協会を設立し、副会長を務めました。京都九条山に関西日仏学館を建設し、1936年には京都吉田に新館を建設。フランス語の普及や交換留学生の派遣などを通じ、フランスとの友好関係構築に大きく貢献しました。また、1926年1月から1947年5月にかけて貴族院の勅選議員として国政にも携わっています。

カトリック信者であった稲畑勝太郎は、正五位勲三等の栄典を授与されています。彼の系譜には、俳人として知られる孫の稲畑順三や曾孫の稲畑廣太郎も含まれています。

染料・染色技術の導入と国産化、映画事業の開拓、日仏文化交流、経済界への貢献、政治活動と、その生涯は多岐にわたり、日本の近代化における隠れた功労者の一人と言えるでしょう。

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