老子化胡経

『老子化胡経』は、魏晋南北朝時代の中国で著された道教の経典です。この書物は、老子がインドに渡り、胡人（異民族）を教化して仏教を創始したとする「老子化胡説」の代表的な文献として知られています。道教と仏教、中国の土着信仰と外来宗教という対立構造の中で生まれたこの経典は、仏教側から偽経と見なされてきました。

『老子化胡経』の成立は西暦300年頃、西晋の時代に遡ると考えられています。道士の王浮が撰者であると伝えられていますが、その人物像は不明な点が多く残されています。その後、経典の内容は徐々に増補されていったと推測されます。現在、大正蔵第54巻（外教部）に第1巻と第10巻が収録されています。

唐代や元代には禁書とされ、焼却処分されたと考えられていた『老子化胡経』ですが、1908年にポール・ペリオによってパリにもたらされた敦煌文献の中に、その断片が発見されました。この発見によって、失われたと思われていた経典の一部が現代に伝わることとなりました。

道教と仏教は、中国の歴史において絶えずせめぎ合いながらも、互いに影響を与えながら発展してきた関係にあります。仏教が中国に伝来した時期は諸説ありますが、西暦270年頃と推定する説が有力です。複雑で多様な教義を持つ道教は、中国の土着信仰から発展したため、その全体像を把握することは容易ではありません。道教と仏教の葛藤の歴史は、道教の理解に不可欠な要素です。

老子は、古来より謎に包まれた人物です。紀元前90年頃成立の『史記』「老子伝」は、老子の生涯について不明瞭な記述しかしておらず、後世の憶測を生む一因となりました。この曖昧さが、「老子化胡説」の発生に間接的に寄与したと言えるでしょう。『史記』では、老子が去った後、その行方が分からなくなったと記されているのみです。

西暦270年頃成立の『魏略』には、「老子化胡説」の記述が既に現れており、老子が胡人に仏教を伝えたとされています。また、西暦445年頃成立の范曄『後漢書』には、老子が釈迦になったとする記述があり、道教と仏教の混淆を示す興味深い史料となっています。『魏略』は現存史料の中で最古の「老子化胡説」の記述であり、『後漢書』がそれに続きます。

このような歴史的背景の中で、西暦300年頃に『老子化胡経』が撰述されたと考えられています。撰者とされる道士王浮については、梁慧皎の『高僧伝』や僧祐の『出三蔵記集』にわずかな記述が見られます。しかし、これらの記述の信憑性については議論があり、王浮自身を疑う声も存在します。

西暦680年頃成立の『三洞珠囊』には、『老子化胡経』が収録されています。この書物には、複数の異なる『老子化胡経』のテキストが存在したことが示唆されており、時代と共に経典の内容が変遷していったことが推測されます。これらの異なるテキストを比較することで、初期の『老子化胡経』の姿に迫ることができると考えられています。

『老子化胡経』は、道教と仏教の歴史、老子の謎めいた生涯、そして宗教間の葛藤という複雑な要素が絡み合った経典です。その成立過程や内容の変遷を詳細に検討することで、古代中国の宗教思想史を深く理解することが可能となるでしょう。

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