聖ゼノビウスの生涯の場面

サンドロ・ボッティチェッリ作『聖ゼノビウスの生涯の場面』

『聖ゼノビウスの生涯の場面』は、ルネサンス期の巨匠サンドロ・ボッティチェッリが描いた連作絵画です。この連作は、フィレンツェの初期の司教である聖ゼノビウスの生涯における様々な出来事を描いた4枚の板絵で構成されており、現在はロンドンのナショナル・ギャラリー、ニューヨークのメトロポリタン美術館、ドレスデンのアルテ・マイスター絵画館に所蔵されています。

これらの板絵は、テンペラ画で描かれており、高さは約66cmですが、長さは149cmから182cmと作品によって異なります。一般的に、ボッティチェッリの画業の晩年、1500年から1505年頃に制作されたと考えられており、一部の研究者は、彼の現存作品の中で最も最後に制作されたものであると指摘しています。

描かれている奇跡の物語

連作は、聖ゼノビウスの生涯における様々な奇跡や出来事を描いています。それぞれの板絵には、複数の場面が描かれ、物語が展開します。

ロンドンのナショナル・ギャラリー所蔵の2枚の板絵には、聖ゼノビウスの青年期から奇跡の場面が描かれています。

1枚目『聖ゼノビウスの青年期の４つの場面』では、左から右へ、聖ゼノビウスが両親の勧める結婚を拒否する場面、洗礼を受ける場面、母親が洗礼を受ける場面、そして教皇ダマスス1世によって司教に任命される場面が描かれています。
2枚目『聖ゼノビウスの3つの奇跡』では、3つの奇跡が描かれています。左側では、母親を虐待した青年たちにエクソシスムを施す場面、中央では、ローマ巡礼中に亡くなった「ガリアの高貴な女性」の息子を生き返らせる場面、右側では、盲目の乞食を癒す場面が描かれています。

ニューヨークのメトロポリタン美術館所蔵の板絵『聖ゼノビウスの3つの奇跡』もまた、聖ゼノビウスの奇跡を描いています。

左側では、青年の葬列に遭遇し、青年を生き返らせる場面、中央では、聖人の遺物を運んだ運搬者の死を嘆く人々の前で、遺物の力で運搬者を蘇らせる場面、右側では、司教に塩水を渡し、司教がそれを使って典礼前に亡くなった女性を生き返らせる場面が描かれています。

ドレスデンのアルテ・マイスター絵画館所蔵の板絵には、『3つの場面に表された奇跡と聖ゼノビウスの死』が描かれています。

左から右へ、荷車に轢かれて亡くなった少年を、聖ゼノビウスの祈りによって蘇らせる場面と、死の床にいる聖ゼノビウスの姿が描かれています。

連作の構成と様式

一部の学者は、現存する連作が完全なものではないと提唱しましたが、クレメンテ・マッツァ修道僧が書いた『聖ゼノビウスの生涯』（1475年）が連作の典拠であると特定されたため、この説は支持されなくなりました。絵画は、マッツァ修道僧の著作の物語の展開に忠実に従っています。

作品は、苦悩で歪められた人物と建築の背景への関心を備えた、いくぶん劇的な様式で描かれています。これは、ボッティチェッリの晩年の作品の特徴です。工房の助手の関与も指摘されています。

また、同時代に制作された『ウェルギニアの物語』や『ルクレティアの物語』と比較すると、これらの作品の方が、より精巧に人物や衣装、建築が描かれています。

建築様式は、同時代のフィレンツェの様式を示していますが、これは聖ゼノビウスが生きていた時代（360〜415年ごろ）の都市の描写としては適切とは言えません。また、豪奢な建物にグロテスク装飾を用いるなど、ボッティチェッリがローマの建築様式を把握していたことが伺えます。これは、ネロの黄金宮殿が再発見されたことが影響している可能性もあります。

聖職者は同時代の服を着ていますが、信徒の多くはルネサンス時代に古代のものと考えられていた衣服を身に着けており、当時の服装は、ポーターや少年など一部の人々に見られます。特に、上流階級の人物の衣装である「対照的な折り返し、またはターバンの形をした王冠が付いた、金の刺繡のある尖った帽子」は、1500年には時代遅れとなっていたと考えられています。

顔料分析

ロンドンのナショナル・ギャラリーにある2点の絵画の顔料分析の結果、群青を除いて、イタリア・ルネサンス期の絵画に一般的な顔料が使用されていることが判明しました。赤い衣服には赤の色素や朱色が用いられ、その他にアズライト、鉛錫黄色、鉛白、黄土色、人工の孔雀石（緑青）などが用いられています。

作品の来歴

この連作は、フィレンツェの宗教的機関から、部屋の周囲の木製パネルに設置するために依頼されたと考えられています。一説には、サン・ゼノビオ教会に由来するとも言われていますが、確証はありません。また、一般の家のためのものであった可能性も指摘されています。

依頼者として考えられるのは、フランチェスコ・ディ・ザノビ・ジロラミ（1441–1515年）です。彼の兄弟は、1475年にマッツァ修道僧に『聖ゼノビウスの生涯』の執筆を依頼しており、ボッティチェッリの連作は、この著作に密接に従っています。ジロラミ家は聖ゼノビウスの父の子孫とされており、聖ゼノビウスに捧げられた礼拝堂も作っています。

1984年のエレン・コールの提唱によれば、ボッティチェッリの連作は、ザノビ・ジロラミ家の結婚式のために父親から息子に贈られたスパッリエーラ（結婚を祝うために作られた家具）であった可能性もあると指摘されています。

各板絵の来歴は以下の通りです。

ドレスデンの板絵は1820年代に美術市場に出て、1868年にアルテマイスター絵画館に入りました。
ロンドンとニューヨークの板絵は、1880年代ごろに、フィレンツェのロンディネッリ・コレクションから由来したものでした。ニューヨークの板絵は、1911年にロンドンでメトロポリタン美術館が購入し、ロンドンの板絵は、1924年にルートヴィッヒ・モンドの遺贈により取得されました。

作品の状態

4点の板絵は、状態が大きく異なり、過去には別の画家によるものだとする説も提唱されました。しかし、これは異なる扱い、洗浄、修復によるものであり、ロンドンの2点の板絵が最も状態が良く、ニューヨークの板絵は過去の過剰な洗浄によって色が抜けています。ドレスデンの板絵は、厚い黄ばんだニスで覆われています。

このように、『聖ゼノビウスの生涯の場面』は、ボッティチェッリ晩年の作風を示すとともに、聖ゼノビウスの生涯を詳細に描いた重要な連作です。各板絵の状態や来歴を辿ることで、当時の芸術活動や社会背景をより深く理解することができます。

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