聖母戴冠 (フィリッポ・リッピ)

フィリッポ・リッピの傑作『聖母戴冠』：ウフィツィ美術館の至宝

フィレンツェのウフィツィ美術館に所蔵される『聖母戴冠』（伊: Incoronazione Maringhi）は、ルネサンス期の巨匠フィリッポ・リッピによる絵画です。1447年に完成したこの作品は、単一のパネルにアーチ状の構成で描かれており、聖母マリアの戴冠式を華麗に表現しています。

制作の経緯と歴史

この絵画は、サン・タンブロージョ教会の検察官フランチェスコ・マリンギの遺志によって制作されました。フランチェスコは1441年に亡くなる前に、教会の高い祭壇に新たな絵画を飾るための資金を残しており、その遺言に基づき、1447年までに完成しました。完成までの支払い記録も残されていることから、制作過程の一端も垣間見ることができます。興味深いのは、依頼主であるフランチェスコが亡くなったため、息子のドメニコ・マリンギが制作を監督し、作品の中に自身も描かれている点です。

フィリッポ・リッピは当時、自身の工房を構え、複数の助手や協力者と共に制作活動を行っていました。しかし、『聖母戴冠』においては、通常とは異なる規模の制作体制が敷かれ、鍍金の額縁制作にも6人の外部画家が携わったことが記録に残っています。元々は、絵画の下部に裾絵（プレデッラ）があったとされていますが、現在ではベルリン美術館にある『聖アンブロジウスの奇跡』のパネルしか残っていません。

完成後すぐに高い評価を得たこの作品は、多くの画家によって模倣されました。しかし、1810年に盗難被害に遭い、その後アカデミア美術館を経て、現在に至るまでウフィツィ美術館に所蔵されています。

作品の概要と詳細

『聖母戴冠』は、大きく三つの部分から構成されています。中央上部には、受胎告知の天使と聖母マリアを描いた円形画（トンド）が左右に配置され、中央には戴冠式を中心とした主要な場面が描かれています。

中央場面には、聖書の人物、天使、聖人、修道士たちが、生き生きとした表情で描かれています。多くの人物は、当時の実在の人物たちの肖像画であると考えられています。特に前景にいる修道士や天使たちは、画面の内側と鑑賞者側の現実世界を繋ぐ役割を果たしており、画面から飛び出さんばかりの躍動感があります。

通常、聖母戴冠の絵画では金色の背景が用いられることが多いですが、リッピは時代遅れの表現を避け、縞模様の空で天国を表現しています。中央には、大理石の玉座に座したキリストと、ひざまずく聖母マリアの姿が、精緻な遠近法を用いて描かれています。また、リッピの作品に特徴的な貝殻の形をした壁龕も確認できます。

聖母マリアの周りを囲むように、4人の天使が金色のリボンを持ち、その下にはひざまずく聖人たちが配置されています。左右には、複数の聖人と天使が描かれており、これはロレンツォ・モナコなどの過去の聖母戴冠作品から影響を受けていると考えられています。これらの聖人や天使の配置は、透視図法に基づいた三角形を形成し、聖母マリアの頭部が頂点となっています。

主要な人物の中には、依頼主であるマリンギとその家族、そして聖エウスタキウスやマグダラのマリアなどが確認できます。これらの登場人物は、鑑賞者の視点を考慮した遠近法によって描かれているため、通常よりも短縮されて表現されています。また、画面の右下には依頼主であるマリンギがひざまずき、「ISTE PERFECIT OPUS」（これで作品が完成しました）という文字が記された巻物を持ち、左下にはカルメル会の修道服を着たフィリッポ・リッピ自身の自画像が描かれています。さらに、左右の側面には聖アンブロジウスと洗礼者ヨハネが厳格な表情で描かれ、マサッチオの影響が見られます。

この『聖母戴冠』は、その精緻な描写、複雑な構成、そして躍動感あふれる表現によって、ルネサンス絵画の最高傑作の一つと評価されています。ロバート・ブラウニングの詩『フィリッポ・リッピ』にも詳しく描写されており、文学作品にも影響を与えた重要な絵画であると言えるでしょう。

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