芝居茶屋

芝居茶屋：江戸の芝居小屋を彩った食と文化

芝居茶屋とは、江戸時代の芝居小屋に専属し、観客に食事や飲み物を提供した、現代でいう劇場の食事処です。芝居見物の楽しみの一つとして、庶民から諸侯までが各茶屋自慢の味を堪能しました。また、芝居茶屋の経営者や使用人の中からは、後に歌舞伎界で重要な役割を果たす役者も生まれています。

芝居茶屋の概説

江戸時代の三都（江戸、大坂、京）には芝居町が形成され、その中心には芝居小屋と、それに専属する芝居茶屋がありました。芝居茶屋は、観劇客にとって欠かせない存在であり、特別な日には誰もができる限りの贅沢をし、自慢の料理に舌鼓を打ちました。当時の芝居茶屋の様子や献立については、日記や書簡に詳細な記述が残されており、往時の賑わいを今に伝えています。

明治時代に入ると、芝居茶屋は華族や銀行頭取の夫人が役者や力士を囲む社交場としての側面も持つようになりました。山本夏彦は当時の芝居茶屋について、そのように描写しています。また、芝居茶屋の娘は、芸能関係者との交流も深く、俳優の贔屓となったり、文化人と恋愛関係になったりすることもあったようです。しかし、二代目左団次や小山内薫といった新劇運動家たちは、劇場を椅子式にすることで芝居茶屋を廃止しようと試みました。

芝居茶屋の種類と規模

芝居茶屋には、規模や格式によって様々な種類がありました。江戸の芝居町では、以下のように分類されていました。

大茶屋
芝居小屋の一角や隣接地に位置し、座敷や調度品を備え、諸侯や富裕層をもてなしました。現在の高級料亭に近い存在です。
小茶屋
芝居小屋の近くに位置し、簡素な店構えで庶民を迎え入れました。現代の小料理屋や定食屋に近い、一般向けの食事処です。
出方
接客用の店舗を持たない仕出し専門の茶屋で、出方と呼ばれる接客係が観客を座席まで案内し、料理や弁当、酒肴などを運びました。

明和年間（1764-1771年）の記録によると、堺町・葺屋町の芝居町では中村座が16軒の大茶屋と15軒の小茶屋を、市村座が10軒の大茶屋と15軒の小茶屋を抱え、木挽町の芝居町では森田座が7軒の大茶屋を抱えていたとされ、それぞれが大変な賑わいを見せていたことがわかります。

歌舞伎役者の輩出

芝居茶屋や出方は、専属する芝居小屋と密接な関係にありました。そのため、芝居茶屋の子弟が自然と芝居小屋に出入りするようになり、その中から役者になる者も少なくありませんでした。彼らが新たに選んだ歌舞伎の屋号は、実家の芝居茶屋や出方の屋号を転用したものが多く見られます。

後世になると、歌舞伎の門閥から芝居小屋へ養子を送り込む例も見られるようになりました。これらの名跡の中には、今日まで連綿と続くものも少なくありません。

以下は、芝居茶屋や出方と関わりのあった代表的な歌舞伎役者です。

八代目市村羽左衛門
茶屋の屋号：菊屋
役者の屋号：菊屋
背景：江戸市村座の芝居茶屋・菊屋善兵衛の三男として生まれ、母が五代目市村宇左衛門の姉だった縁で市村座の座元を継承。後に役者に転じ、八代目市村宇左衛門を襲名。実家の屋号をそのまま使用し、名跡の字を「羽左衛門」に改めています。
四代目市川團十郎
茶屋の屋号：和泉屋
役者の屋号：高麗屋（旧名の二代目松本幸四郎として）→ 成田屋（四代目市川團十郎として）
背景：江戸中村座の芝居茶屋・和泉屋勘十郎の子として生まれる（ただし、二代目市川團十郎の実子とも）。初代松本幸四郎の養子となり二代目松本幸四郎を襲名後、二代目市川團十郎の養子となり四代目市川團十郎を襲名。
初代尾上菊五郎
茶屋の屋号：音羽屋（出方）
役者の屋号：音羽屋
背景：京の都萬太夫座の芝居茶屋の出方を営んでいた音羽屋半平の子として生まれる。女形として京で名を挙げ、初代尾上菊五郎を襲名。実家の屋号を転用しました。
六代目市川團十郎
茶屋の屋号：和泉屋
役者の屋号：成田屋
背景：五代目市川團十郎の実子だが庶子だったため、中村座の芝居茶屋・和泉屋勘十郎の養子となり、後に五代目團十郎の養子となって市川宗家を継ぎました。
五代目澤村宗十郎
茶屋の屋号：泉屋
役者の屋号：紀伊國屋
背景：市村座の芝居茶屋・泉屋の出方を営む濱崎長吉の子として生まれる。四代目澤村宗十郎の門人として芸を磨き、後に宗家を継承して五代目澤村宗十郎を襲名しました。
初代實川延若
茶屋の屋号：河内屋
役者の屋号：河内屋
背景：大坂の大工の子として生まれ、三歳のとき芝居茶屋・河内屋庄兵衛の養子となる。二代目實川額十郎の門人となり、さらに四代目尾上菊五郎に認められて養子となり尾上梅幸を襲名、音羽屋の後継者に擬せられる。養父の死後尾上家から離縁されたため、大坂に戻って師匠・額十郎の俳名だった延若を名乗り、初代實川延若を襲名。師匠の屋号「井筒屋」は使わず、実家の屋号「河内屋」を転用しました。
初代市川右團次
茶屋の屋号：鶴屋
役者の屋号：鶴屋 → 高嶋屋
背景：四代目市川小團次の実子として生まれたが、すでに小團次には養子の初代市川左團次がおり、役者にする気がなかったため、芝居茶屋・鶴屋に丁稚奉公に出されます。成長しても商売に興味を示さず、芝居の真似事ばかりしていたので実家に追い返され、役者に転身。初代市川右團次を襲名する際に養育家の屋号「鶴屋」を転用。後に実家の屋号「高島屋」に改める際、「島」の字を「嶋」に差し替え「高嶋屋」としました。
三代目澤村田之助
茶屋の屋号：紀伊國屋
役者の屋号：紀伊國屋
背景：五代目澤村宗十郎の次男として生まれる。天才女形として三代目澤村田之助を襲名し、翌年には16歳で立女方となるなど、化政期における女形の第一人者でしたが、舞台上の事故から脱疽を患い四肢を切断、役者引退を余儀なくされました。引退後は芝居茶屋・紀伊國屋を立ち上げて経営にあたり、明治初年にはこれを芝居小屋・澤村座に発展させています。
二代目河原崎権十郎
茶屋の屋号：山崎屋
役者の屋号：山崎屋
背景：日本橋喜昇座の芝居茶屋・山崎屋の子として生まれる。九代目市川團十郎の門人として役者になり、後に十一代目片岡仁左衛門の門人となって大坂で修業。帰京の後師匠・九代目團十郎の前名を継承して二代目河原崎権十郎を襲名しました。
五代目中村時蔵
茶屋の屋号：萬屋
役者の屋号：播磨屋 → 萬屋
* 背景：三代目中村歌六の妻は、市村座の芝居茶屋・萬屋を営む小川吉右衛門の娘・かめでした。三代目歌六とかめとの間に初代中村吉右衛門と三代目中村時蔵が、妾の山本ろくとの間に十七代目中村勘三郎を儲けています。三代目時蔵は母の実家に愛着があり、母方の姓・小川を名乗り、父方の「播磨屋」から独立して一家を起したいと考えていましたが、生前それは実現しませんでした。1971年、四男の初代中村錦之助（萬屋錦之介）をはじめとする小川家一門が「播磨屋」から独立し、新たに「萬屋」を立てて名乗りました。


芝居茶屋は、単なる食事の場としてだけでなく、役者の育成や歌舞伎文化の発展にも大きく貢献した、江戸時代ならではの文化的な空間でした。

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