荻野貞行

荻野 貞行

日本のプロボクシング黎明期において、選手としても指導者としても多大な足跡を残した人物、それが荻野貞行（おぎの さだゆき）です。1901年（明治34年）1月11日に群馬県甘楽郡富岡町（現在の富岡市）に生まれた彼は、後に「日本ボクシングの母」とも称される存在となりました。その生涯は、日本のボクシングがまさに産声を上げた時代と深く結びついています。

荻野は立教大学に学びながら、1922年（大正11年）に設立間もない日本拳闘倶楽部の門を叩き、ボクシングの道を歩み始めました。師事したのは、日本のプロボクシングの父とも呼ばれる渡辺勇次郎です。同年には日本拳闘倶楽部公認の初代日本ジュニアフェザー級チャンピオン（現在のスーパーバンタム級に相当）に輝き、その実力を示しました。横山金三郎、田中禎之助、久場清といった同時代の強豪と共に「四天王」と称され、リング上ではスピードと卓越したテクニックを武器に多くの試合で活躍しました。

選手としての活動に加え、荻野は早くから指導者、そして組織作りに力を入れます。1923年（大正12年）には、真山博や田島愛次郎らと共に、母校である立教大学に拳斗部（現在のボクシング部）を創設しました。しかし同年9月1日に関東大震災が発生し、日本拳闘倶楽部の目黒道場は壊滅的な被害を受けます。渡辺勇次郎が生活のためハムの行商を行うほど困窮する中、練習も興行も困難な状況に陥りました。

この逆境の中、荻野は渡辺の反対を押し切って上海遠征を敢行します。この行動は渡辺との関係を決定的に悪化させ、荻野は師から破門されてしまいます。しかし、彼はここで立ち止まることなく、神戸銀行頭取の樽谷公一の支援を得て東京拳闘会（現在の東拳ボクシングジム）を設立しました。自ら師範を務め、有力選手のスカウトに奔走し、横浜港で柔拳試合を戦っていた元草相撲力士の野口進を発掘するなど、辣腕を振るいました。しかし、東京拳闘会からもほどなく離れることになります。

その後、荻野は新たなボクシング組織の設立に向け動き出します。1924年（大正13年）に立教大学商学部を卒業し、松竹キネマに入社。そして1926年（大正15年）7月、ついに新橋駅近くの土橋ガード下に「帝国拳闘協会拳道社」を設立します。これが現在の帝拳プロモーションの始まりです。日本拳闘倶楽部とは袂を分かつ形での独立でした。設立には会長として田邊宗英、師範として荻野自身、その他、佐藤東洋、滝沢吉助、吉本武雄が助師範として加わり、後に会長となる本田明（本田明彦氏の実父）がマネージャーを務めるなど、強力な布陣でした。

荻野は帝拳を拠点に、師範として佐藤東洋や木村久といった名選手を育成しました。また、ボクシングの普及と発展のため、多角的な活動を展開します。1934年（昭和9年）には評論家の郡司信夫と共に専門誌『ボクシング・ガゼット』を創刊し、情報発信の場を設けました。1937年（昭和12年）にはBGジムを設立するなど、帝拳以外にも複数のジム設立に関与し、日本のボクシング基盤強化に尽力しました。

ボクシング界への貢献のみならず、その端正な顔立ちから、1926年製作の映画『鉄腕』（蔦見丈夫監督）では主演を務めるという異色の経歴も持ち合わせています。

長年にわたり日本のボクシング界を支え続けた荻野貞行は、1979年（昭和54年）10月4日午後2時40分、神奈川県葉山にて心筋梗塞のため78歳で逝去しました。彼の築き上げた組織や功績は、現代の日本ボクシング界にも脈々と受け継がれています。息子である荻野肇氏も元ボクサーであり、エレックレコードの二代目社長を務めました。

選手、指導者、組織運営者、そして広報活動に至るまで、日本のプロボクシング黎明期におけるあらゆる側面で先駆的な役割を果たした荻野貞行は、まさに「日本ボクシングの母」と呼ぶにふさわしい人物と言えるでしょう。

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