近世日本語

近世日本語：中世から現代への橋渡し

近世日本語は、中世日本語と現代日本語の中間に位置する、日本語史上の重要な段階です。およそ17世紀から19世紀中期までの約250年間、日本の言語は大きな変容を遂げ、現代日本語の基礎が築かれました。この時代は、中世日本語の特徴が徐々に失われ、現代日本語へと移行していく過渡期として捉えることができます。

上方から江戸へ：言語の中心地の変化

17世紀初頭、日本の政治の中心は京都や大坂などの上方から、江戸幕府が置かれた江戸へと移りました。しかし、文化や経済の中心はしばらくの間、上方にとどまりました。そのため、言語においても現代の近畿方言の基礎となる上方語が強い影響力を持っていました。

しかし、江戸幕府の安定化に伴い、文化や経済の中心は徐々に江戸へと移行していきます。江戸時代後期には、現代の東京方言の基礎となる江戸言葉が、次第に優勢になっていきました。この上方語と江戸語の勢力争いは、近世日本語を特徴づける重要な要素の一つです。享保または宝暦頃を境に、前期の上方語優勢と後期の江戸語優勢という二つの時代区分が用いられることもあります。

経済発展と文化の開花：近世の社会と文学

江戸幕府の治世下では経済が成長し、都市部では町人文化が発展しました。活版印刷技術の発達なども相まって、出版文化も著しく発展しました。この時代には、浮世絵、浄瑠璃、歌舞伎、文楽、落語、俳諧など、様々な新しい芸術が誕生しました。

さらに、大衆向けの文学も盛んになり、浮世草子、洒落本、滑稽本、人情本、草双紙などが多く出版されました。これらの大衆小説は、戯作や地本と呼ばれ、庶民の間で広く読まれました。

この時代を代表する文学者としては、井原西鶴（浮世草子、人形浄瑠璃、俳諧）、近松門左衛門（浄瑠璃、歌舞伎）、松尾芭蕉（俳諧）、式亭三馬（浮世絵）、山東京伝（浮世絵、戯作者）などが挙げられます。彼らの作品は、近世の人々の生活や感性を鮮やかに描き出し、現代にも色濃く残る影響を与えています。

音韻の変化：母音体系と合拗音

近世日本語の音韻体系においては、母音は/a/、/i/、/ɯ/、/e/、/o/の5つでした。中世日本語では、語頭の/e/と/o/はそれぞれ半母音の[j]と[w]を伴って発音されていましたが、18世紀頃には半母音なしで発音されるようになりました。これは、近世日本語の音韻変化における重要な特徴の一つです。

また、中世日本語にあった合拗音（複数の母音が結合した音）と直音（単独の母音）は、近世日本語においては多くの場合、合流していきました。

文法の変化：動詞と形容詞の活用

動詞の活用については、中世日本語の9種類から、近世日本語では5種類に減少しました。具体的には、ラ行変格とナ行変格が四段活用に統合され、上二段活用と下二段活用はそれぞれ上一段活用と下一段活用に統合されたためです。最終的には、四段活用、上一段活用、下一段活用、カ行変格活用、サ行変格活用の5種類となりました。

形容詞の活用においては、中世日本語にあったク活用とシク活用の区別が失われました。また、ナリ活用とタリ活用は、近世日本語ではタリ活用が消失し、ナリ活用から変化した「な」のみが残りました。

近世日本語研究の参考文献

近世日本語の研究は、多くの学者によって積み重ねられてきました。以下に、近世日本語に関する代表的な単著、編著、訳著、辞書を挙げます。これらの文献は、近世日本語をより深く理解する上で貴重な資料となるでしょう。

単著
吉田澄夫『近世語と近世文学』
佐藤亨『近世語彙の歴史的研究』『近世語彙の研究』『咄本よりみたる近世初期言語の研究』
大橋紀子『粋・意気・通と仇：近世の美意識語彙』
鈴木丹士郎『近世文語の研究』
坂梨隆三『近世の語彙表記』『近世語法研究』
村上雅孝『近世漢字文化と日本語』
樋渡登『洞門抄物による近世語の研究』
河周姈『中近世日本語の終助詞』
鶴橋俊宏『近世語推量表現の研究』
朴真完『「朝鮮資料」による中・近世語の再現』
濱千代いづみ『中世近世日本語の語彙と語法：キリシタン資料を中心として』
田中巳榮子『近世初期俳諧の表記に関する研究』

編著
林四郎・南不二男編『近世の敬語』
佐藤喜代治編『近世の語彙』『近世の漢字とことば』
鈴木丹士郎編『近世語』
金澤裕之・矢島正浩編『近世語研究のパースペクティブ：言語文化をどう捉えるか』
小野正弘編『近世の語彙：身分階層の時代』

訳著
N.A.スィロミャートニコフ著・植村進訳『近世日本語の進化』

辞書類
前田勇編『近世上方語辞典』
江馬務・西岡虎之助・浜田義一郎 (監修)『近世風俗事典』
松井栄一・渡辺友左 (監修)『近世上方語考』
近世歴史資料研究会編『近世産物語彙解読辞典：植物・動物・鉱物名彙』

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