式亭三馬

式亭三馬：江戸の出版界を駆け抜けたマルチタレント

式亭三馬（しきていさんば、1776年-1822年）は、江戸時代後期を代表する地本作家、薬屋、そして浮世絵師として多方面で才能を発揮した稀有な人物です。特に滑稽本『浮世風呂』と『浮世床』は彼の代表作として広く知られており、現在も高い評価を受けています。

生い立ちと出版界への進出

三馬は、浅草田原町（現在の東京都台東区）で版木師を営む菊地茂兵衛の長男として生まれました。父は八丈島出身の菊地壱岐守の妾の子であり、「晴雲堂」という号で版木師として生計を立てていたと伝えられています。幼い頃から読書好きだった三馬は、9歳から16歳まで本石町（現在の東京都中央区日本橋本石町）の地本問屋「翫月堂掘野屋仁兵衛方」に奉公し、出版業界の仕組みを肌で学びました。版木師の父と版元の奉公先という環境が、彼を戯作者の道へと導いたと言えるでしょう。

18歳になると、親友の春松軒西宮新六を通じて黄表紙『天道浮世出星操』『人間一心覗替繰』などを出版。その後も平賀源内、芝全交、山東京伝といった当時の文化人たちの影響を受けながら、作家としての道を歩み始めました。

出版業と作家活動の両立、そして転身

その後、本屋の蘭香堂万屋太治右衛門の婿養子となり、作家と出版業を兼業するようになります。しかし、寛政11年（1799年）に出版した『侠太平記向鉢巻』を巡り、火消人足とのトラブルに巻き込まれ、処罰を受けるという出来事も経験します。この事件は三馬の名声を高める結果となり、その後も『麻疹戯言』や歌舞伎案内書『戯場訓蒙図彙』など、ジャンルを問わず精力的に作品を発表し続けました。

妻の死をきっかけに、文化3年（1806年）には万屋を去り古本屋を開業。同時に創作活動にも没頭し、『雷太郎強悪物語』を発表。この作品は合巻ブームの火付け役となり、三馬の作家としての地位を確固たるものとしました。

文化7年（1810年）、34歳の時には古本屋を閉め、売薬の販売製造を始めます。自作で薬を宣伝するユニークな手法は成功し、「江戸の水」という薬は大ヒット商品となります。作家としての活動と、薬屋の経営を両立させるという、まさにマルチタレントぶりを発揮した時期でした。

作風と弟子たち

三馬の作品は、古典の翻案や既存作品の模倣、時には剽窃と言える部分も含まれていましたが、その多作ぶりは驚異的です。黄表紙から始まり、洒落本、合巻、滑稽本、読本と様々な形式の作品を手がけました。郭咄、仇討ち、武勇伝、歌舞伎もの、狂歌などテーマも多岐に渡りますが、特に江戸庶民の日常生活を描いた滑稽本は高い評価を得ています。

短気な一面もあったと伝えられていますが、義侠心に厚い人物でもあったようで、為永春水、楽亭馬笑、古今亭三鳥、益亭三友といった弟子たちを育てました。

代表作『浮世風呂』と『浮世床』

文化6年（1809年）に刊行された『浮世風呂』は、大ヒットを記録し、三馬の代表作の一つとなりました。続く『浮世床』も同様に高い人気を博し、現在でも当時の江戸の風俗や言葉を伝える貴重な資料として研究されています。これらの作品は、三馬のユーモラスな筆致と、当時の社会風俗への鋭い観察眼が融合した傑作として、後世にまで語り継がれています。

没後と現在

文政5年（1822年）に没した三馬は、深川の雲光院寺中の長源寺に葬られました。関東大震災後、墓所は碑文谷の正泉寺に移されたものの、現在もその墓は存在し、彼の業績を偲ばせています。息子の虎之助も「式亭小三馬」として活躍しましたが、以降は戯作者の系譜は途絶えています。

式亭三馬は、作家、出版者、薬屋、そして浮世絵師と、複数の顔を持つ稀有な人物でした。彼の作品は、現代においても多くの読者や研究者を引きつけ、江戸時代の庶民文化の一端を垣間見せてくれます。 彼の多様な才能と波瀾万丈の人生は、今もなお人々を魅了し続けています。

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