長坂用水

長坂用水：金沢の歴史を潤す疏水

長坂用水は、加賀藩が金沢市野田山山麓の農地を灌漑するために、1671年に完成させた農業用水路です。犀川の支流である内川から取水し、全長9.1kmに及ぶ水路は、当時の高度な土木技術によって建設されました。現在も長坂用水土地改良区によって管理され、農業用水としての役割を果たしながら、その歴史的な景観は多くの人々に親しまれています。

長坂用水の概要

長坂用水は、内川の左岸にある取水口から、野田山山麓まで、等高線に沿って数々の谷を縫うように岩盤を穿って造られました。完成までには数年の歳月を要したと考えられており、加賀藩の命を受けた十村役の後藤太兵衛が指揮を執りました。用水路の開発には、先行して建設された辰巳用水や寺津用水の技術が参考にされており、平均勾配などは辰巳用水と同様です。長坂用水は、その歴史的価値から金沢市の文化財に指定され、農水省の疏水百選にも選ばれています。

長坂用水は、野田町の分水点から、沼田川、雀谷川、十貫川などの農業用水に分かれ、寺町台、泉野台、長坂台など、広範囲の農地を潤します。最終的には、泉用水や伏見川に合流し犀川へと注ぎます。取水口から農地を流れる用水路全体を長坂用水と呼ぶこともあります。

明治期には、野田山山麓が陸軍の練兵場として利用されたことや、昭和期以降の都市化によって農地が減少したため、灌漑用水としての役割は低下しましたが、竹林を縫うように流れる用水の景観は、今もなお多くの人々に愛されています。取水口から山川分水槽までの区間は、上水道工事によって直線的な地下トンネルに短縮されましたが、現在も分水槽から野田町までの5.5kmは、寛文期の面影を残しています。特に、法師山の地下に掘られた法師の隧道は、内部を歩いて見学することができ、当時の土木技術を肌で感じることができます。

用水開発の背景

江戸時代初期、戦乱の世が終わり安定期を迎えると、各藩は米作りを奨励し、経済の安定化を図りました。加賀藩でも、前田利常が「改作法」を施行し農政改革を行いましたが、農民の間には身分差が残っており、多くの農民は苦しい生活を強いられていました。当時、農地の分割相続や売買が禁止されていたため、新田開発こそが農民の解放策でした。そこで、藩は十村制度を確立し、新田開発を奨励しました。

当時、野田山山麓は手付かずの原野でしたが、押野組を管理する十村の後藤太兵衛は、私財を投じて泉野村などを開村しました。しかし、同地区には水利がなく稲作が不可能であったため、灌漑用水の開発が必要となりました。

前田利常と押野後藤家

押野後藤家は、もともと加賀の守護職であった冨樫氏の末裔です。冨樫氏が没落した後、家臣と共に押野村へ落ち延び、名を後藤に変えました。初代後藤弥右衛門は、佐久間盛政に従軍し、武功を挙げました。2代後藤藤右衛門は、前田利常に従軍し、その功績から十村肝煎に任ぜられました。前田利常は隠居後も、有能な十村を招集して農政改革を諮問しており、後藤藤右衛門や3代後藤太兵衛もその一人でした。

後藤家は、武士としての功績と農業経験の両方を持っていたため、農民の思いを理解できる十村として、歴代藩主から厚い信頼を受けていました。3代後藤太兵衛は、長坂用水の開発責任者として、私財を投じて用水路の建設を指揮し、地域農業の発展に大きく貢献しました。長坂用水の完成は、5代藩主前田綱紀の時代ですが、用水開発には前田利常の農政改革への思いも大きく影響していたと考えられています。

寛文期の土木工学

長坂用水の開発には、当時の最先端の土木技術が用いられました。加賀藩では、辰巳用水の建設で使用された町見盤と呼ばれる測量器が知られていますが、長坂用水の開発で実際に使用されたかどうかは不明です。しかし、内川の左岸に提灯を並べ、右岸から眺めて水路の連結点を定めたという伝承があることから、何らかの水準検出器が使用された可能性は高いです。

連結点が定まると、隧道掘削では各連結点に横穴を掘り、そこから上流と下流に向かって同時多点掘り進めることで、工期の短縮と効率的な岩屑の排出を実現しました。長坂用水には17箇所もの隧道がありますが、特に上流部の隧道に見られる多数の横穴は、辰巳用水と同様の手法で掘られたことを示しています。長坂用水の開発は、辰巳用水で培われた技術が、着実に受け継がれていたことを物語っています。

幕府は、長坂用水開発の17年前に、それまで禁止していた紅毛流測量術の使用を解禁しました。これはオランダ経由で伝わった羅針術を用いた測量法で、高い精度で地図を作成することができました。長坂用水の建設に、この紅毛流測量術が用いられた可能性も指摘されています。

隧道掘削に使用された工具や、目の保護方法については、詳しい記録が残っていませんが、岩屑の排出にもっこが使われたことは史料で確認されており、現在でもその体験会が行われています。

延べ36万人を投入か

長坂用水の開発には、莫大な労力が投入されました。史料によると、労務費として銀300百貫が支払われた記録と、修繕工事に延べ3519人を動員した記録があります。これらの史料から、一日あたりの労務費を計算し、動員総人数を推定すると、36万人を超える人夫が動員された可能性があります。これは、長坂用水の開削が、1年という短期間でなく、少なくとも3年以上の期間を要したことを示唆しています。当時、農民は農作業に追われており、工事に専従できる期間は限られていたため、延べ動員数から工事期間を推測できるのです。

長坂新村の開村

長坂用水の開発と同時に、後藤太兵衛は長坂新村の開村を采配しました。開村時の農家104戸の配置図には、住民の名前と出身地が記載されており、石川郡、能美郡、鹿島郡だけでなく、富山県からの入村者もいたことがわかります。入村者の多くは家族連れで、用水開発の重労働に耐えられる強健な人々が選ばれました。長坂新村は、用水完成後まもなく収穫を上げ、その後、石高を増やし、年貢を納めるまでになりました。

現在

現在でも、長坂用水は毎年春になると、堆積した土砂を取り除く江ざらいが行われます。また、夏場には雑草の刈り取りや、堤の決壊、隧道の落盤などの補修も行われます。近年では、堤の崩落が激しい箇所には、コルゲート管や箱型プレキャストコンクリートが用いられ、陸上自衛隊金沢駐屯地も維持管理に協力しています。取水口の堰はコンクリート化され、用水上流の直線隧道化によって維持管理作業は大幅に軽減されましたが、江ざらい作業だけは、地形的な制約から、今も昔ながらの手作業で行われています。

長坂用水は、灌漑用水、防火用水、生活用水としてだけでなく、金沢の観光資源としても重要な役割を果たしています。用水の景観を保全しようとする動きも活発化しており、埋設された用水の復活を目指す市民の動きもあります。

泉用水

泉用水は、長坂用水とは別に、宝永2年（1705年）に開削された用水路です。かつては犀川から取水していましたが、現在は下菊橋付近から取水しています。

長坂土地改良区

長坂用水は、長坂土地改良区によって管理されています。長坂町、泉ヶ丘町、泉野町、泉野出町、野田町の5つの農業生産組合で構成されています。

位置情報

取水口: 北緯36度29分26秒東経136度40分57秒
山川分水槽: 北緯36度30分38秒東経136度41分00秒
法師の水門: 北緯36度31分21.12秒東経136度40分42.3秒
法師隧道下口: 北緯36度31分24秒東経136度40分44秒
深谷: 北緯36度31分26.7秒東経136度40分38.82秒
御坊田落とし: 北緯36度31分28.5秒東経136度40分42.9秒
大桑水門: 北緯36度31分38.76秒東経136度40分53.7秒
小寺の坂/水門: 北緯36度31分42.84秒東経136度40分55.32秒
株坂落し: 北緯36度31分56.70秒東経136度40分21.18秒

用水の測量図

長坂用水土地改良区は、明治36年に作成された用水測量図を所蔵しています。また、山川分水槽から野田町までの区間を、組合員が複写した資料も残っており、明治期から現代までの用水路の変化を知ることができます。

脚注

外部リンク

石川県土地改良事業団体連合会
農林省疏水百選
* 金沢の自然を楽しもう-金沢市

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