長崎村茂右衛門騒動

長崎村茂右衛門騒動は、安政5年（1858年）7月25日の深夜から翌未明にかけて、越中国礪波郡五箇山の東部（現在の富山県南砺市の一部）に暮らす百姓たちが、隣接する井波町で起こした騒動です。この事件は、五箇山東部の多くの集落（現在の利賀村の地域にほぼ相当します）の村民が参加しましたが、特に長崎村の茂右衛門という人物が首謀者として処刑されたことから、彼の名をとってこのように呼ばれています。

事件の背景

事件が発生した安政年間は、度重なる不作に見舞われ、米の価格が急騰し、多くの百姓や町の人々が生活に困窮していました。加えて、財政難に苦しむ加賀藩は、領内で収穫された米を江戸や大坂で売却していたため、領民の暮らしは一層苦しくなりました。安政5年には冷夏となり、7月頃には収穫量が極めて少ない「凶作」が避けられない状況となり、各地で米の買い占めや隠匿が横行しました。これにより、米の価格は平年の3倍にも跳ね上がりました。

このような状況下で、7月11日には金沢城下で「声合わせ」と呼ばれる抗議行動が起き、加賀藩は事態を沈静化させるため、藩の米蔵から約500石の米を安価で放出し（安政の泣き一揆）、これを皮切りに、15日には加賀国鶴来村、16日には越中国高岡・氷見、石動、17日には福光・戸出、20日には放生津と、各地で連日のように暴動や騒動が発生しました。こうした一連の流れの中で、7月25日に井波町でも打ちこわしが発生したのです。

当時の井波町には、加賀藩が家臣に支給するための米を保管する「町蔵」があり、その管理は「蔵宿」を務める高瀬屋与右衛門が担っていました。井波でも米価が高騰すると、まず町蔵に保管されていた藩の控え米200石が払い下げられました。しかし、これだけでは米不足は解消されず、町民はさらに250石の払い下げを願い出ましたが、藩からは逆に100石を金沢に移すとの通達が下されました。高瀬屋与右衛門らは井波町での騒動勃発を恐れ、再度250石の払い下げを強く願い出た結果、これが翌7月26日に認められました。

ところが、五箇山には、井波町の米不足にもかかわらず、町蔵の米が金沢へ運び出されようとしているという情報だけが、そうけ屋（物資輸送を担う業者）を通じて伝わりました。このため、高瀬屋与右衛門らが米不足を引き起こした張本人だという誤った噂が広まってしまいました。その結果、250石の払い下げ決定が周知されるよりも早く、7月25日から、利賀谷を中心とする五箇山の百姓たちによる井波町への襲撃が始まったのです。

打ちこわしの発生

7月25日の夜、ムシロで作った旗を掲げ、竹槍などを手にした百姓たちは、井波町の東にある高台、閑乗寺に集まりました。そこで彼らは「声合わせ」を行い、「米を買い占める商売人たちに天誅を」と訴えました。井波町に住んでいた三宅修理の日記『座右録』によると、この訴えを受けて、井波町では夜10時頃には警戒を呼びかける盤木（たたき板）が鳴らされました。百姓たちはすぐには行動を起こしませんでしたが、深夜2時頃になり、ついに米商人たちへの襲撃を開始しました。

百姓たちはまず大宝院町から北川村の米商である三谷屋吉次郎宅を襲い、続いて井波町六日町の宮田屋与兵衛宅、さらに八日町の塩屋小兵衛宅、そして蔵宿を務める高瀬屋与右衛門宅にまで押し入りました。襲撃に参加した正確な人数は資料によって異なりますが、30人から80人、いずれにしても100人を超える規模ではなかったようです。

襲撃を予期していた井波町の米商人たちも、屋根瓦などを投げつけて抵抗しました。騒動の最中、高瀬屋の手代である惣二が、九里ヶ当村から参加していた和助を刺し殺してしまうという出来事が発生しました。この和助の死をきっかけに百姓たちの間に動揺が広がり、彼らは井波町から引き上げました。和助の死は当日昼までに兄の市右衛門に知らされ、市右衛門が直接井波町で確認した後、遺体は光教寺に葬られたと伝えられています。

この一連の騒動の経緯については、同時代の日記である『座右録』と、後になって編纂された『井波誌』との間で記述に食い違いが見られますが、『座右録』の方がより信頼性が高いと評価されています。例えば、『井波誌』が騒動が突発的、計画性なく進行したように記述しているのに対し、『座右録』は周到な計画に基づいて行われたと記している点などが異なります。

事件後の調査と逮捕

騒動発生を受け、井波町や北川村などを管轄していた山見組才許（代官のような役職）である三清村与三之助は、まず礪波射水郡奉行の金子篤太郎に報告し、打ちこわしの被害を受けた4名の商人から事情を聞き取りました。この初期の聴取では、「見知らぬ者たちが立ち入った」「どこの者か分からないが、大勢で向かってきた」といった供述があり、この段階ではまだ襲撃者が五箇山の百姓だと特定されていなかったようです。

また、暴動の再発に備えるため、奉行所付足軽の中島弥兵衛らが、杉木新町（現在の砺波市出町）から多くの火消し人足を連れて井波町に急行し、与三之助が集めた人足と共に井波町の警戒に当たりました。

7月28日夕方には、金沢から公事場検使役人の脇坂清太郎・磯部他次郎らが到着し、光教寺に宿をとりました。翌29日早朝からは、被害商人や井波町・北川村の肝煎、組合頭らを集めて本格的な聴取が開始されました。この時、五箇山両組の才許であった大滝村与左衛門は、事件発生直前の7月15日に就任したばかりだったため、監督責任は問われなかったようです。

この時の聴取内容も『座右録』に詳細に記録されており、和助が高瀬屋で刺殺されたことが確定したことや、8月1日昼には検使が終了したことなどが記されています。さらに8月以降は、加州改方役人の佐藤弥右衛門・中村平右衛門の二人が捜査を引き継ぎ、9月1日には高瀬屋の手代惣二が呼び出され、「手鎖縮」（改めて吟味するまでの仮の措置として、手錠をかけたままで町役人に預けること）となりました。一方、高瀬屋与右衛門は9月21日に「改めて詮議に及ばない」として外出禁止が解除されましたが、その後の捜査で何らかの落ち度があったと認められたらしく、万延元年（1860年）4月には再び外出禁止処分となっています。

金沢での捜査と審問

井波町での初期捜査を終えた後、事件の調査と審問は金沢で行われることとなり、盗賊改方奉行の真田勘解由が担当しました。五箇山の関係者については、和助の兄である市右衛門を除き、初期調査段階で聴取の対象となった記録はありませんが、この頃（安政5年末）から金沢での聴取記録が現れ始めます。

12月6日、真田勘解由はまず北原村の平次郎ら10名に金沢の役所に出頭を命じ、19日にはさらに北原村佐助ら6名にも同様の命令を出しました。病気で出頭できなかった4名を除く12名は、ほとんどが比較的軽い罪とみなされ、処分を受けた後に帰村しましたが、首謀者と目されていた北原村の平次郎・佐助らのみは金沢で牢に入れられました。

年が明けて安政6年（1859年）1月以降も多くの関係者が金沢への出頭を命じられましたが、そのほとんどが調べの結果「構いなくお返し」（問題なしとして帰宅させること）とされています。一方で、最終的にこの騒動の首謀者と認定された長崎村茂右衛門は、事件発生から1年以上経過した安政6年9月16日になって初めて詮議の記録に登場します。真田勘解由は、以前から身柄を拘束し取り調べていた茂右衛門と井波町の岩安足次郎古の二名を、「不屈きの趣」（自白しない様子）があるとして金沢の牢に入れました。

安政7年（1860年）2月からは、より重大な事件を扱う公事場奉行に捜査の中心が移りました。同年2月26日には、和助を刺殺した惣二が公事場で吟味を受け、牢から出ることを許されています。同年3月には元号が万延と改められましたが、4月16日には栃原村肝煎弥兵衛ら13人が、同月23日には長崎村権兵衛ら4人が、新たに公事場への出頭を命じられました。いずれも直ちに手錠をかけられ、出頭するまで十村（村の指導役）の大滝村与左衛門に預けられていることから、これは参考人ではなく容疑者としての扱いだったことが分かります。

これにより、先に入牢していた茂右衛門を含めて合計24名が牢に入ることになり、そのうち20名が肝煎や組合頭といった村役人でした。さらに5月2日には、打ちこわしにあった4名の米商人も公事場への出頭を命じられました。当時の牢内の環境は非常に過酷だったようで、4月26日には岩渕村組合頭の間右衛門ら9名が牢の中で死亡したことが郡奉行に伝えられています。このうち7名は4月6日に入牢したばかりであり、わずか20日間で半数近くが命を落としたことになります。入牢者の健康を案じた家族が、身代わりとなる「代牢」を願い出た記録も複数残されており、特に仙野原村肝煎勘兵衛の息子勘六は、禁止されていた公事場への直訴（駆け込み）を行いましたが、認められることなく父は牢死してしまったという悲話も伝えられています。

その後も北原村佐助をはじめ多くの者が牢死しましたが、10月10日には茂右衛門を除く入牢者8名が、「格別の思し召し」（特別な配慮）により「この上糾弾はご容赦」（これ以上罪を問わない）として釈放されました。一方、公事場奉行は8月2日までに、長崎村茂右衛門を騒動の首謀者として処刑する方針を固めたようで、同日中に茂右衛門に息子がいるか否かを郡奉行に問い合わせた記録があります。茂右衛門には当時16歳の長男太次郎と8歳の次男与三松がおり、両名は18日に郡奉行に預けられましたが、十村の大滝村与左衛門や長崎村の代理肝煎である北原村右衛門らの手を経て、自宅に戻されました。古くは父の罪が子に及ぶこともありましたが、加賀藩では文政5年（1822年）の法改正で罪が軽減されており、このために太次郎・与三松兄弟は罪を免れたと考えられます。

茂右衛門の処刑

万延元年9月12日、郡奉行の金子篤太郎は、井波町の才許である三清村与三之助に内密に処刑台を設置する場所を選定するよう命じました。これを受けて与三之助は、井波町字観音寺の高台（現在慰霊碑が立つ場所から北に約43mの地点）を第一候補地として報告しました。

10月11日には処刑日が同月18日と定められ、見せしめとするため、多くの見物人を集めるよう郡奉行から指示がありました。10月17日、金沢を出発した茂右衛門は石動町で一泊し、18日に井波町に入り、新町口、八日町、六日町、北川といった町内を通り、処刑場へと向かいました。処刑の準備が整えられた後、奉行によって最期の言葉を許された茂右衛門は、体を縛られていた捕縛具を解かれ、仏教の教えである「諸行無常、是生滅法、生滅滅己、寂滅為楽」という四句の偈文と、本願寺8代蓮如が残した末代無智の御文章を声に出して読み、合掌しました。そして茂右衛門は「かせ木」と呼ばれる十字形の木に磔にされ、左右から槍で突き刺されて絶命しました。

茂右衛門の遺体はしばらくその場で晒されましたが、野犬が出没するようになったため、井波町からの願い出により11月はじめには片付けられたと記録されています。

なお、茂右衛門が処刑場へ連行される際には、罪状を記した木札を持つ「先払いの拷札持ち」が同行していました。この拷札には、「騒動を扇動したことは関係者の証言から明らかであるが、筋が通らないにもかかわらず偽りを述べたことは大罪である」という趣旨が記されていたとされています。同時期に金沢などで起こった騒動では、「騒動を扇動した者は、実際に騒動に参加したか否かを問わず死罪」「他人の扇動によって騒動に参加した者は、審理終了時に釈放」という基準がありました。このことから、茂右衛門は「扇動の首謀者」とみなされて処刑され、一時入牢したものの最終的に釈放された村役人たちは「事件に関与はしたが、扇動したとまでは言えない」と判断されたものと推測されています。

騒動とその後の人々

茂右衛門の長男である太次郎は、明治維新後に斉藤茂三郎と名乗りました。その子孫は北海道の樺戸郡新十津川村に移住しています。茂三郎の息子、すなわち茂右衛門の孫にあたる人物の一人が、昭和7年（1932年）3月に井波町の処刑跡地を訪れ、発掘した遺骨を本願寺に納めたという記録が残されています。

騒動から67年が経過した大正15年（1926年）7月には、地元の有志たちによって記念碑建立の計画が立てられ、事件に関する史料の収集が始まりました。昭和24年（1949年）には、利賀村長を委員長とする「安政義人慰霊之碑建設委員会」が組織され、井波町の処刑跡地近くに慰霊碑や標柱などが建てられた後、同年11月17日に除幕式が行われました。これに関連して、井波別院瑞泉寺では「安政義人追悼大法要」が、井波町立図書館では「安政騒動の現代的意義」と題した記念講演会が開催されました。さらに、1979年（昭和54年）には、利賀村内外の有志からの寄付によって、長崎集落にある茂右衛門の生家跡地にも慰霊碑が建立されています。この事件は、飢餓と不正に立ち向かった民衆の抵抗として、後世に語り継がれています。