長沼流

長沼流は、江戸時代中期にかけて長沼澹斎（ながぬま たんさい）によって体系化された、兵法および軍学の一流派です。長沼流兵法や長沼流軍学とも称され、当時の武士階級に広く学ばれました。

創始者・長沼澹斎

長沼澹斎は、信濃国松本藩士であった父・長政の家系に生まれました。父の主君であった松平直政の転封に伴い、澹斎は出雲国松江藩や播磨国明石藩と居を移しましたが、美濃国加納藩で青年期を過ごしました。この間、彼は日本の様々な兵法流派に加え、明代中国の兵法についても深く学び、自身の兵法思想を練り上げていきました。

長沼流兵法学の確立

長沼流兵法学が世に知られるようになったのは、寛文6年（1666年）に『長沼流兵法兵要録』（へいようろく）が公表されてからです。この著作は、同時期に活躍した山鹿素行（やまが そこう）の山鹿流と並び称される新たな兵法学の双璧として、江戸を中心にその名が広まりました。特に『兵要録』では、兵士の訓練、すなわち練兵に関する詳細な記述が多く見られます。また、『握奇八陣集解（あっきはちじんしゅうかい）』という著作では、「兵義なきなれば人心和し、天心応ず」という言葉に象徴される義兵論（正義に基づいた戦いこそが人心を得、天命に応じるという思想）が論説の中心に据えられています。兵法史家の石岡久夫氏は、長沼流が山鹿流と一線を画す点として、その思想的根底に朱子学的な理念が流れていることを指摘しています。

流派の展開と系譜

長沼澹斎の門人は、伝えられるところでは千人に及んだと言われています。その中でも、井上実下（いのうえ さねもと）、田山重好（たやま しげよし）、仁田正武（にった まさたけ）、土岐光晴（とき みつはる）、宮川忍斎（みやがわ にんさい）、佐枝尹重（さえだ ただえ）といった人物たちが特に有力な高弟として知られています。門人の系譜は大きく二つに分かれ、宮川忍斎の流れは黒田藩を中心に発展し、佐枝尹重の流れは尾張藩、津藩、会津藩、仙台藩など、多くの藩に伝えられました。

佐枝尹重の流れを汲む尾張藩では、その門人である太田教品（おおた きょうひん）や近松茂矩（ちかまつ しげのり）の伝系が長く受け継がれました。会津藩においては、藩校である日新館（にっしんかん）で長沼流兵法が教授されており、幕末の戊辰戦争に至るまで藩士の教育に重要な役割を果たしました。

長沼流を中心に研鑽を積んだ著名な武術家・兵法家としては、平山行蔵（ひらやま こうぞう）が挙げられます。彼は宮川系の斎藤三太夫（さいとう さんだゆう、利雄とも）、佐枝系の渋川時英（しぶかわ ときひで）の両者から長沼流兵法を学び、後に兵法や武術の指導にあたりました。彼の講義を受けた人物の中には、勝海舟（かつ かいしゅう）の父である小吉（こきち）、乃木希典（のぎ まれすけ）の父・十郎（じゅうろう）、さらには男谷精一郎（おたに せいいちろう）といった名が知られています。

また、宮川系の斎藤三太夫から長沼流を学んだ門人には、男谷精一郎と親交があり、山鹿流を基盤としつつ、甲州流軍学、越後流、そして長沼流といった複数の流派を兼修した窪田清音（くぼた すがね）がいます。窪田清音は幕府の講武所頭取兼兵学師範役を務めるなど重職に就きました。林靏梁（はやし かくりょう）や名倉松窓（なぐら しょうそう）も窪田清音から長沼流兵学を学んでいます。

長沼澹斎の門人には、三春藩を脱藩した小野寺慵斎（おのでら ようさい）もおり、桜田門外の変の参謀の一人であったとも言われています。ただし、変の当日は熱病のために参加しませんでした。変の後、彼は土浦藩で兵学の教鞭を執り始めましたが、翌年には自刃したと伝えられています。

長沼流は、その理論と実用性を兼ね備えた兵法学として、江戸時代の武士社会に広く浸透し、多くの門人を通じて日本の軍学史に確かな足跡を残しました。

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