防疫線 (医学)

防疫線とは

防疫線（ぼうえきせん、仏: Cordon sanitaire、英: sanitary cordon）とは、感染症の拡大を防ぐために、特定の地域への人や物の移動を制限する措置です。もともとは、感染症の蔓延を防ぐための物理的な障壁を指していましたが、比喩的に、望ましくない思想やイデオロギーの拡散を阻止する意味でも使われるようになりました。

起源

防疫線という言葉は、1821年にフランスのリシュリュー公爵が、黄熱病がフランスに侵入するのを防ぐために、フランスとスペインの国境に軍隊を配置したことに由来します。当時は、感染症の広がりを物理的に遮断する目的で使用されていました。

定義

防疫線は、感染症のアウトブレイクやパンデミックが発生した際に、感染地域とその外との境界線に設置されます。これにより、感染地域からの人の移動を制限し、感染症の拡大を防ぐことを目的とします。最も厳格な場合には、感染が収まるまで解除されません。

伝統的な防疫線は、物理的な障壁（フェンスや壁など）を伴い、軍が監視を行います。内部では、外部からの支援なしに感染症と戦うことになります。また、健康な地域への感染拡大を防ぐために、「逆防疫線」（予防隔離）が実施されることもあります。公衆衛生の専門家は、検疫や隔離を伴う防疫線を、感染症の伝播を防ぐための非薬理学的介入策として重視しています。

現代では、感染経路の解明や治療法、予防法の進歩により、防疫線が用いられる機会は少なくなっています。しかし、以下のような状況下では、依然として有効な手段とされています。

感染力が非常に強い
致死率が非常に高い
治療法が存在しない、または困難
ワクチンが存在しない、または集団免疫を確立する手段が乏しい

新型コロナウイルス感染症のパンデミックでは、感染封じ込め策として、世界各地で防疫線が設置されました。

歴史

防疫線の歴史は古く、16世紀にはすでにその原型が見られます。

16世紀

1523年：マルタでペストが流行した際、他の地域への拡大を防ぐために、衛兵によって防疫線が設置されました。

17世紀

1655年：マルタのŻabbarでペストが流行した際、他の集落への拡大を防ぐために防疫線が設置され、死者数を20人に抑えることに成功しました。
1666年：イギリスのEyam村で腺ペストが流行した際、村の周囲に石を置いて防疫線が設置されました。その後14ヶ月で住民の80%が亡くなりましたが、防疫線はペストが収束するまで維持されました。

18世紀

1708年～1712年：大北方戦争中のペスト流行時、シュトラールズント、ヘルシンゲル、ケーニヒスベルクなどの感染地域で防疫線が設置されました。プロイセン全土と、デンマークのスコーネ地方とエーレスンド海峡沿いの島の間にも防疫線が設けられました。
1770年：オーストリアのマリア・テレジア皇后は、オーストリア（ハプスブルク帝国）とオスマン帝国の間に防疫線を設置し、ペスト感染者や物資の移動を制限しました。この防疫線は1871年まで維持され、オーストリアでのペストの蔓延を阻止しました。
1793年：アメリカのフィラデルフィアで黄熱病が流行した際、市内に続く道路と橋が軍によって封鎖されました。

19世紀

1813年～1814年：マルタでペストが流行した際、主要都市や感染率の高い地域に軍の防疫線が設けられました。
1821年：リシュリュー公爵が、黄熱病の拡大を防ぐため、フランスとスペインの国境に軍隊を配置し、この時に「防疫線」という言葉が初めて使われました。実際には、スペインの自由主義思想の流入を阻止する意図もあったとされています。
1830年：ロシアでコレラが流行した際、モスクワに軍の防疫線が設置され、市への主要道路が封鎖されました。
1856年：アメリカのジョージア州で黄熱病が流行した際、一部都市で防疫線が設置され、一定の成果を収めました。
1869年：アドリヤン・プルーストは、インドからヨーロッパとアフリカに広がるコレラを抑制するために防疫線の利用を提案しました。
1882年：アメリカのテキサス州で黄熱病が流行した際、州北部180マイルに防疫線が設置されました。
1888年：フロリダ州ジャクソンビルで黄熱病が流行した際、州知事の命令で防疫線が設置されました。
1899年：ホノルルでペストが流行した際、チャイナタウン周辺に防疫線が設置されました。

20世紀

1900年～1904年：サンフランシスコでペストが流行した際、チャイナタウンが防疫線の対象となりました。
1902年：ルイジアナ州は、イタリアからの移民が上陸するのを防ぐために、港に防疫線を設置しました。
1903年～1914年：ベルギー領コンゴでトリパノソーマ症（睡眠病）が流行した際、防疫線が設置されました。
スペイン風邪の流行：スペイン風邪のパンデミックでは、感染拡大のスピードが速く、防疫線を設ける時間がなかったとされています。しかし、一部の地域では、防疫線が設置され、感染拡大を抑制することに成功しました。例えば、アメリカのガンニソンは、周囲地域から孤立し、防疫線を敷くことで、スペイン風邪による死者を出すことはありませんでした。アメリカ領サモアも同様に、予防隔離を徹底し、死者をゼロに抑えました。
1972年：ユーゴスラビアで天然痘が流行した際、防疫線が設置され、1万人以上が隔離されました。
1995年：ザイールでエボラ出血熱が流行した際、キクウィトを軍が包囲し、防疫線が設置されました。

21世紀

2003年：カナダでSARSが流行した際、コミュニティ隔離が行われ、感染拡大の抑制に成功しました。
2003年：中国、香港、台湾、シンガポールでSARSが流行した際、大規模な隔離が行われました。
2014年：西アフリカでエボラ出血熱が流行した際、感染が最も拡大した地域の一部で防疫線が設置されました。
2020年：新型コロナウイルス感染症のパンデミックに伴い、中国の武漢で防疫線が設置され、その後、世界各地でロックダウンなどの形で防疫措置が実施されました。

大衆文化における防疫線

防疫線は、小説や映画など、様々な大衆文化作品の題材としても取り上げられています。

アルベール・カミュの小説『ペスト』では、防疫線が重要な要素として描かれています。
映画『アウトブレイク』では、エボラ出血熱に似たウイルスが蔓延した町で防疫線が設置される様子が描かれています。
映画『28日後...』では、ウイルス感染によって荒廃したイギリスで防疫線が描かれています。
小説『WORLD WAR Z』では、イスラエルがゾンビの侵入を防ぐために防疫線を設置しています。
映画『コンテイジョン』では、髄膜脳炎ウイルスが蔓延したシカゴで防疫線が設置されています。
テレビシリーズ『Cordon』では、鳥インフルエンザの封じ込めに防疫線が設置されています。
テレビシリーズ『Containment』では、感染性ウイルスの封じ込めに防疫線が設置されています。

まとめ

防疫線は、感染症の拡大を防ぐための重要な手段の一つです。歴史的には、ペストや黄熱病などの感染症対策として用いられ、現代では新型コロナウイルス感染症のパンデミック時に世界各地で実施されました。その効果は状況によって異なりますが、感染症対策において重要な役割を果たしています。

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