項羽と劉邦 (横山光輝の漫画)

横山光輝『項羽と劉邦』

『項羽と劉邦』は、漫画家・横山光輝によって描かれた歴史漫画作品です。潮出版社から刊行されていた漫画雑誌「コミックトム」にて、1987年から1992年まで連載されました。連載時のサブタイトルは『若き獅子たち』と題され、単行本は全21巻、文庫版は全12巻が潮出版社より発売されています。

作品概要

物語の基盤となっているのは、江戸時代に記された『通俗漢楚軍談』ですが、歴史書の決定版とされる『史記』も参考にされています。描かれるのは、秦の始皇帝に対する張良の暗殺未遂と始皇帝の崩御から始まり、陳勝・呉広による反乱、そして中国全土を巻き込んだ楚（項羽）と漢（劉邦）の壮絶な戦い、いわゆる楚漢戦争を経て、西楚の覇王・項羽がその生涯を終えるまでです。

ただし、本作では歴史上の出来事に対し、一部に独自の脚色が加えられています。例えば、史実では韓信を尊敬していたとされる樊噲が、作中では彼に嫉妬する描写が見られるといった点です。また、物語は項羽の死をもって完結しており、その後の劉邦による功臣たちの粛清や、呂后を中心とする呂一族の台頭といった後日譚は意図的に省かれています。これは作者である横山光輝自身の「この後の劉邦を描きたくない」という明確な意向によるものです。しかし、横山氏の別の歴史漫画『史記』では、本作ほど詳細ではないものの、楚漢戦争後の時代も触れられています。

物語のはじまり（第一巻より抜粋）

紀元前210年、中国大陸を初めて統一し、自ら始皇帝と名乗った秦の君主は、強大な秦の威光を示すため各地を巡幸していました。ある時、うたた寝をしていた始皇帝は奇妙な夢を見ます。それは、太陽が落ちてきて、東から青い衣の子供、南から赤い衣の子供が現れ、落ちた太陽を巡って争う夢でした。青い子供が赤い子供を七十二度打ちますが、赤い子供が一撃を加えると青い子供は息絶えます。赤い子供に名を問うと、「私は堯・舜の子孫…豊沛に生まれ、咸陽に入り、義を立て四百年の礎を築く」と答え、太陽を手に去っていきました。

夢から覚めた始皇帝は、秦の天下が脅かされる兆しと感じ、不老長寿の霊薬を求めさせます。さらに、連れ戻された盧生が持ち帰った仙書に「秦を滅ぼす者は胡ならん」と記されていたことから、北方の異民族「胡」こそが秦の脅威であると考え、万里の長城の建設を急がせます。一方で、始皇帝は法による厳格な統治こそが新たな国の道と固く信じ、これに異を唱える者を「焚書坑儒」という残酷な方法で弾圧しました。この頃から、秦の政治には次第に暗い影が差し始めていたのです。

主要な登場人物

物語は、秦の崩壊に立ち上がった二人の英雄、楚の項羽と沛県の劉邦を軸に展開します。

項羽陣営

項羽: 西楚の覇王。圧倒的な武勇を誇り、数々の戦で勝利を収めますが、知略や人心掌握には欠け、自己中心的で傲慢な一面も持ち合わせています。配下の諫言を聞き入れず、猜疑心から優秀な家臣（特に范増）を失い、やがて劉邦に追いつめられていきます。
范増: 項羽の軍師。「亜父」と称されるほど項羽に信頼されますが、劉邦の危険性を見抜いていたにも関わらず、その進言は項羽に聞き入れられないことが多く、陳平の反間の計によって項羽から疑われ、病死します。先見の明に優れ、良識ある人物として描かれています。
虞美人: 項羽の愛する女性。項羽が唯一その意見を聞き入れる存在であり、苛烈な項羽の傍らで心を和ませます。垓下の戦いで項羽を案じ、自らの命を絶ちます。

劉邦陣営

劉邦: 沛県の亭長（下級役人）から身を起こし、やがて漢の高祖となります。酒と女を愛する放蕩者として描かれますが、その人間的な魅力と寛大な人柄から、多くの優秀な人材を引き寄せ、困難を乗り越えていきます。窮地に陥ると取り乱すこともありますが、その飾らない姿がかえって人々の共感を呼びます。
張良: 韓の旧貴族出身の智謀の士。始皇帝暗殺に失敗した後、劉邦に仕え、その優れた知略をもって劉邦を助け、漢王朝の確立に貢献します。説客としても活躍し、物語の要所で重要な働きをします。
蕭何: 劉邦の旗揚げからの功臣で、漢の丞相となります。咸陽一番乗りの際に財宝ではなく書物を集めたことで、後の戦いに必要な情報を得ます。補給を担当し、漢軍が一度も兵糧に困らなかったのは彼の功績とされています。韓信の才能を最初に見抜き、登用を強く推しました。
* 韓信: 優れた軍事の才能を持つ将軍。最初は項羽に仕えようとしますが、才能を認められず劉邦の下へ。当初は劉邦にも見過ごされますが、蕭何にその器量を見抜かれて大元帥に抜擢されます。数々の戦いで無敗を誇り、項羽を追い詰めます。軍事的才能は傑出していますが、政治的な機微には疎い面も。

史実との違い

前述の通り、物語には一部、史実と異なる描写があります。例えば、彭城の戦いで劉邦が敗走する際、実の子供を馬車から突き落としたとされるエピソードは、劉邦のイメージを考慮した作者の判断により描かれていません。また、樊噲が韓信に嫉妬する場面や、李左車が一時的に項羽の配下となる展開なども、物語上の創作として描かれています。

『項羽と劉邦』は、これらの登場人物たちが織りなす人間ドラマと、壮大なスケールの戦いをダイナミックに描き出し、多くの読者を魅了した作品です。特に、項羽と劉邦という対照的な二人の英雄像が深く掘り下げられており、その魅力が物語を牽引しています。項羽の悲劇的な最期で締めくくられる物語は、読者に強い印象を残します。

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