養老牛温泉

北海道の東部、標津郡中標津町。深い森と清らかな渓流に抱かれたこの地に、ひっそりと佇む温泉地が養老牛温泉（ようろううしおんせん）です。その最大の魅力は、目の前を流れる川のせせらぎをBGMに、心ゆくまで湯浴みが楽しめること。現在は一軒宿がその歴史を紡いでいます。

泉質

養老牛温泉の湯は、泉質名ではナトリウム・カルシウム-塩化物硫酸塩泉とされています。これはかつて、含石膏-食塩泉と呼ばれていたものです。源泉温度は80℃を超える高温で、なおかつ湯量が非常に豊富という恵まれた条件を持っています。このため、湧き出した源泉をそのまま湯船に注ぎ込む、贅沢な掛け流し方式での入浴が可能です。

地名の由来

「養老牛」という地名は、この地の自然環境に深く根差したアイヌ語に由来すると考えられています。有力な説としては、「エ・オㇿ・ウㇱ」、これは「頭（山鼻）がいつも水についているもの」という意味合いや、「イ・オㇿ・ウㇱ」という「それをいつも水に漬けているもの」といった意味が挙げられます。いずれも、水辺の地形や状態を示唆する言葉です。現在の公的な地名は「ようろううし」ですが、地元では親しみを込めて「ようろうし」や「よろうし」と短く発音されることもあります。

歴史

養老牛温泉の歴史は古く、発見は江戸時代初期の1600年代に遡ると言われています。この頃から、表温泉と裏温泉という二つの源泉の存在が知られ、地元のアイヌの人々によって湯治に利用されていました。

明治時代に入ると、学術的な調査も行われます。1874年（明治7年）9月には、アメリカ人地質学者のヘント・ライマンが当地を訪れ、裏温泉（パウシベツ温泉）と表温泉（標津温泉）について、湯温や成分、湧出状態などの調査記録を残しています。

温泉地としての歩みは、大正時代に本格化します。1916年（大正5年）、西村武重がアイヌの古老から話を聞き、温泉の探索を開始。苦労の末、裏温泉にたどり着き、そこで出会った老人から表温泉の情報を得て、翌日にはその場所を確認しました。その後、温泉利用許可を得るために湧出する湯を運ぶなどの困難を乗り越え、1921年（大正10年）に許可を取得、温泉旅館「養老園」を開業しました。これが養老牛温泉における近代旅館の始まりとされています。

昭和に入り、周辺の標津原野の開拓が進むにつれて、湯治客の数が増加しました。これに応じて新たな宿が開業します。1929年（昭和4年）には根室町の坂本与平が「第一旅館」を、翌1930年（昭和5年）には小山卯作が「小山旅館」（後にホテル養老牛）、そして1931年（昭和6年）には裏温泉に「堀口温泉旅館」が開業し、温泉地は賑わいを見せました。坂本与平は「第一旅館」を譲った後、「坂本旅館」を新たに開業しています。しかし、第二次世界大戦の激化により、1942年（昭和17年）までに、西村の「養老園」、坂本の各旅館、堀口温泉旅館といった当時の主要な宿が相次いで廃業へと追い込まれました。

戦後、温泉地には再び活気が戻ります。1957年（昭和32年）には藤村敏一が「花山荘」を開業。1965年（昭和40年）には公共施設である「養老牛青年の家」も設立されましたが、こちらは後に廃止されています。また、藤林てるによって「藤屋旅館」（後に旅館藤や）も開業しました。そして1972年（昭和47年）、長谷川松美がかつての「第一旅館」の場所に「大一旅館」（現在の湯宿だいいち）を改めて開業しました。この時期は複数の宿が営業し、温泉地として再生しました。

しかし、21世紀に入ると状況は再び厳しくなります。2003年（平成15年）には「花山荘」が閉館。その後も、2014年（平成26年）には「旅館藤や」が、2019年（令和元年）6月には「ホテル養老牛」がそれぞれ廃業しました。これにより、現在、養老牛温泉で宿泊施設として営業を続けているのは、「湯宿だいいち」ただ一軒のみとなりました。

アクセス

公共交通機関を利用する場合、JR釧網本線の標茶駅が拠点となります。標茶駅から阿寒バスに乗車し、約60分で計根別へ。そこで養老牛行きのN中標津町営バスに乗り換えて約15分で温泉地に到着します。

からまつの湯

湯宿だいいちから少し山側に入った場所には、かつて「からまつの湯」と呼ばれる露天風呂がありました。これは管理者不明の、いわゆる「野湯（のゆ）」で、国有林内に存在していましたが、正式に許可を得て設置された施設ではありませんでした。昭和50年代に撤去された営林作業者向けの宿舎跡地を、地域の人々が石を積むなどして露天風呂状に整備したものと伝えられています。しかし、2021年11月に利用客が誤って湯船に転落し、火傷を負った後に死亡するという痛ましい事故が発生しました。これを受けて、国有林を管理する北海道森林管理局根釧東部森林管理署は、現在この場所への立入禁止措置を取っており、施設の閉鎖についても検討を進めている状況です。

結び

波乱に富んだ歴史を持ち、現在は一軒宿となった養老牛温泉。しかし、その根本にあるのは、古くから変わらぬ豊かな自然と、滾々と湧き出る極上の湯です。渓流の音に耳を澄ませながら、源泉掛け流しの湯に浸かる時間は、日々の喧騒を忘れさせてくれる特別な体験となるでしょう。秘湯としての魅力を求める温泉ファンにとって、養老牛温泉は忘れられない旅の目的地の一つとなるに違いありません。

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