馬場文耕

馬場文耕：近世講談の祖、そして言論統制の犠牲者

馬場文耕は、江戸時代中期(1718-1759)に活躍した講釈師として知られています。通称を左馬次や文右衛門とも称し、本姓は中井氏と伝えられています。その没日は1月27日とされていますが、異説として25日とする説もあります。

文耕は、近世講談において画期的な業績を残しました。特に「世話物」と呼ばれるジャンルの開祖として高く評価されており、「近世講談の祖」と称される所以です。世相を反映した軽妙洒脱な語り口は、庶民に広く受け入れられました。しかし、彼の名声は、同時に危険を孕んでいました。

文耕の経歴については、関根只誠の『只誠埃録』が主な情報源となっています。伊予国出身とされ、若い頃は幕府の御家人を務めていた時期もありましたが、のちに職を失い浪人となりました。その間、出家したり、還俗して易占いで生計を立てたり、俳諧を学ぶなど、転々とした生活を送っていたようです。養子縁組説など、さまざまな伝承も残されていますが、詳細は不明な点が多いです。

講釈師としての活動を通じて、文耕は高い評価を得るようになりました。当初は「世話物」を得意としていましたが、やがて武家の屋敷に出入りするようになり、幕閣や大奥、大名といった権力者を批判する内容の作品も手がけるようになりました。これらの作品は「政事物」と呼ばれ、現代の政治風刺小説に相当すると言えるでしょう。

文耕の作品は、その内容の危険性から、無署名や別号、あるいは写本のみで伝わっているものが多く、現存する資料からは全容を把握することは困難です。しかしながら、『当世武野俗談』『近代公実厳秘録』『近世江都著聞集』『明君享保録』などは、彼の代表作として知られています。『明君享保録』は徳川吉宗を題材とした作品で、後に幕府が編纂した『徳川実紀』にも引用されるほどの高い評価を得ています。

文耕の最期は悲劇的でした。宝暦8年（1758年）9月、金森騒動に関する講談を行い、その内容を記した『平良仮名森の雫』を頒布したことが、彼の逮捕につながりました。金森騒動は当時、評定所で審理中だった重要な事件であり、文耕の行為は幕府の怒りを買ったのです。同年12月29日（あるいは25日）、江戸市中引き回しの上、打ち首獄門の刑に処せられ、小塚原刑場で処刑されました。享年41歳（あるいは44歳）でした。

文耕の処刑理由は、評定所の判決が出る前に金森騒動について講釈で独自の解釈を提示したこと、そして幕府や諸藩に関する機密情報を書籍や講談を通じて公開したことが大きく影響したと考えられています。彼の処刑は、当時の厳しい言論統制を象徴する出来事であり、現代においても、表現の自由と検閲の問題を考える上で重要な事例として認識されています。

文耕の生涯は、井上ひさし、高田英太郎、沢木耕太郎など多くの作家にインスピレーションを与え、小説や戯曲の題材として取り上げられています。彼の人生と作品は、現代に生きる私たちにとっても、歴史の深みと、表現の自由の大切さを改めて考えさせる貴重な存在となっています。

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