高島野十郎

孤高の写実画家、高島野十郎：隠者のような生涯と、没後の再評価

高島野十郎（1890-1975）は、大正から昭和期を生きた日本の画家です。東京帝国大学水産学科を首席で卒業するという異色の経歴を持つ彼は、その後、絵画の道へと進みます。しかし、画壇とは距離を置き、独身を貫き、隠者のような生活を送りました。徹底した写実への探求、そして孤高の人生は、生前ほとんど知られることはありませんでしたが、没後、再評価され、今なお多くの人々を魅了し続けています。

生い立ちと教育

福岡県久留米市に醸造家の家に生まれた野十郎は、幼少期から兄弟の影響を受け、詩や禅にも関心を抱きます。高等教育では、当初東京美術学校への進学を希望するも叶わず、第五高等学校ではなく、第八高等学校へと進学しました。同校には後に文部省視学官などを務める大島義脩が校長として赴任していました。野十郎は、この学校で自然科学に触れ、卒業後は東京帝国大学農学部水産学科に進学します。大学時代には『傷を負った自画像』を描いており、彼の内面を垣間見ることができます。1916年、同大学を首席で卒業するも、恩賜の銀時計を辞退したという逸話も残っています。卒業論文のテーマは『魚の感覚』で、卒業後も数年大学に残って助手を務めました。

画家としての活動

大学を離れた後、野十郎は画家として活動を始めます。1921年には初の個展を開催し、椿やケシといったモチーフの作品を発表しました。その後も個展を開きながら、1929年には兄弟の援助を得て欧州へ留学。ドイツ、フランス、イタリアを巡り、ルネサンス期の巨匠たちの作品から影響を受けたとも考えられています。しかし、その留学体験については、本人の語る記録は一切残されていません。

帰国後は久留米の実家に戻り、酒蔵をアトリエとして「椿柑竹工房」と名付け、創作を続けました。その後、上京、空襲による転居、そして再び上京と、彼の生活は移り変わります。1960年代には千葉県柏市に移り住み、水道や電気・ガスも通っていない9坪ほどの小屋をアトリエとして制作を続けました。この頃の彼は、静寂な環境の中で月を好んで画題とし、「月ではなく闇を描いている」と語っていたと言われています。晩年は、各地を放浪しながらも、ささやかな個展を開き続けました。1975年、千葉県野田市で死去しました。墓石には「不娶 寡欲 画道専一」と刻まれています。

没後の再評価

生前ほとんど無名だった野十郎でしたが、没後、福岡県立美術館での回顧展がきっかけで再評価が始まりました。1980年の「近代洋画と福岡展」で出品された『すいれんの池』が、新人学芸員の目に留まり、その後、関係者らの努力によって多くの作品が収集され、1986年に大規模な回顧展が開催されました。NHK『日曜美術館』でも紹介され、全国的に知られるようになり、各地で展覧会が開かれるようになりました。和太鼓奏者の林英哲は、野十郎に共感し、彼をテーマにした組曲を制作しています。

主要作品と画風

野十郎の作品は、徹底した写実性を特徴としています。初期の作品から晩年まで描き続けた『蝋燭』の連作や、深緑の夜空に満月が浮かび上がる『月』の連作など、彼の作品からは、静謐で、深みのある世界観が感じられます。『すいれんの池』は、彼の代表作として知られています。また、『雨 法隆寺塔』は、盗難に遭った後、奇跡的に発見された作品で、絵の具の固着の良さや、キャンバスの丈夫さ、そして裏打ちまで施されていたことなどから、彼の絵画に対する並々ならぬ情熱がうかがえます。

宗教観と写実

野十郎は、仏教への深い信仰を持ち、臨済宗から真言宗へと傾倒していきました。遺稿には「生まれたときから散々に染め込まれた思想や習慣を洗ひ落とせば落とす程写実は深くなる。写実の遂及とは何もかも洗ひ落として生まれる前の裸になる事、その事である」という言葉が残されています。この言葉は、彼の徹底した写実への追求と、宗教観が深く結びついていたことを示しています。

高島野十郎は、生前無名でありながらも、没後、その作品が再評価された、稀有な画家です。彼の生涯と作品は、現代社会においても、静謐な美しさ、そして徹底した写実への探求という点で、私たちに多くの示唆を与えてくれます。彼の作品は、自然や風景に対する深い洞察と、独自の精神性を反映した、独特の世界観を私たちに届けてくれています。

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