5つのヴェネツィアの歌

フォーレの歌曲集『5つのヴェネツィアの歌』作品58：詳細解説

ガブリエル・フォーレが1891年に作曲した歌曲集『5つのヴェネツィアの歌』（Cinq mélodies de Venise）作品58は、ポール・ヴェルレーヌの詩集『艶なる宴』と『言葉なき恋歌』を基にした、5つの楽曲からなる連作歌曲です。この作品は、フォーレの生涯における最も幸福な思い出の一つであるヴェネツィア旅行がきっかけとなり誕生しました。

作曲の背景

1891年5月、フォーレはエドモン・ド・ポリニャック大公妃ウィナレッタ・シンガーの招きでヴェネツィアを訪れました。この旅行中に「マンドリン」と「ひめやかに」の2曲が作曲され、同年9月には全曲が完成しました。作品はエドモン・ド・ポリニャック夫人に献呈されています。しかし、ヴュイエルモースの指摘によれば、本作はヴェネツィアの特定の場所、例えばサン・マルコ広場やため息橋とは直接的な関連性はなく、『月の光』と同様にヴェルサイユ風な雰囲気を持っているとされています。

各楽曲の特徴

各楽曲は、ヴェルレーヌの詩の世界観を反映しており、それぞれ異なる表情を見せています。

第1曲「マンドリン」: 想像上のヴェルサイユ公園の華やかな宴の情景を、恍惚とした雰囲気で表現しています。アントワーヌ・ヴァトーへのオマージュとも解釈されています。
第2曲「ひめやかに」: 日没と夜鶯の目覚めを、静謐な雰囲気で描いています。
第3曲「グリーン」: 優しい愛情を、穏やかな旋律で表現しています。
第4曲「クリメーヌに」: 詩情豊かな瞑想的な楽曲で、繊細な官能が表現されています。
第5曲「やるせない夢心地」: 前作までのモチーフを再構成し、愛の秘めやかな打ち明け話で作品全体を締めくくります。この曲は、森の情景を想起させる一方で、軽やかな光と魂の蘇りを表現しています。

ジャンケレヴィッチは、この作品を愛の秘めやかな打ち明け話と捉え、「やるせない夢心地」は「ひめやかに」の曲想に立ち返り、全体に統一感を与えていると分析しています。また、孤独感や心の内奥、沈黙の神秘なども表現されていると指摘しています。

音楽的特徴

金原玲子によれば、本作の特徴として、ピアノの役割が大きく、歌の伴奏にとどまらず、室内楽的なアンサンブルを形成している点が挙げられます。これは、19世紀におけるピアノの改良と演奏技術の向上、そしてサロン文化の影響が反映されていると考えられます。さらに、「叙唱的様式」を採用することで、声楽は旋律の呪縛から解放され、言語自体の響きの美しさを生かしています。ピアノは、声楽に代わって「叙唱的様式」を支える旋律を美しく奏でる役割を担っています。「マンドリン」や「ひめやかに」では、詩の特定の詩節において、この「叙唱的様式」が顕著に見られます。

楽曲構成と分析

この作品は、5つの独立した楽曲からなる一方で、全体としてひとつの物語を形成しています。特に第5曲「やるせない夢心地」では、前作までのモチーフが再現され、全体の統一感を生み出しています。また、全曲を通して共通の旋律素材が用いられていることも指摘されています。

ネクトゥーは、この作品を5楽章からなる組曲と見なし、第1曲を序曲、第2曲を緩徐楽章Ⅰ、第3曲をスケルツォ、第4曲を緩徐楽章Ⅱ、第5曲を終曲と解釈しています。彼は、緩急の配置とピアノの書法の巧みな使い分け、スタッカートと分散和音の対比などが、高度な秩序と豊かで多様な創造性を生み出している点を評価しています。

演奏時間

約12分

参考文献

ジャン＝ミシェル・ネクトゥー『評伝フォーレ』
ウラジミール・ジャンケレヴィッチ『フォーレ 言葉では言い表し得ないもの…』
金原礼子『フォーレの歌曲とフランスの近代詩人』
末吉保雄ほか『最新名曲解説全集 23 声楽曲Ⅲ』
エミール・ヴュイエルモース『ガブリエル・フォーレ―人と作品』

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