A-3 (秘話装置)

秘話装置A-3

A-3は、1930年代にアメリカ合衆国のベル研究所によって開発された初期の秘話装置です。当時、大西洋や太平洋を越える長距離音声通信には主に短波無線が利用されていましたが、無線通信は受信機さえあれば誰でも傍受できるというセキュリティ上の課題を抱えていました。この問題を解決するため、1920年代にスクランブラーという技術が登場しました。スクランブラーは、音声信号をいくつかの周波数帯（サブバンド）に分割し、これらのサブバンドの配置を入れ替えたり、個々のサブバンド内で周波数を反転させたりすることで、元の音声内容を判読不能にする装置です。

A-3は、このスクランブラー技術を用いたアナログ方式の秘話装置でした。具体的には、音声を5つのサブバンドに分割し、一定時間ごとにサブバンドの反転や配置換えパターンを変化させることができました。このサブバンド周波数やパターンが分からない限り元の音声を復元することは難しく、開発された当時は一定の秘話効果を有していました。主にニューヨークやワシントンD.C.とロンドン、パリといったヨーロッパの主要都市を結ぶ回線、あるいはサンフランシスコとハワイ、東京を結ぶ回線など、重要な音声通信に用いられました。政府高官間の機密性の高い通話にも頻繁に利用され、例えば1939年9月1日に第二次世界大戦が勃発した際、フランス駐在のアメリカ大使ウィリアム・C・ブリットがルーズベルト大統領にこの事実を伝える通信にもA-3が活用されました。

第二次世界大戦中の脆弱性とドイツの解読

第二次世界大戦が始まってからも、A-3はアメリカとイギリス間の秘密会談など、重要通信に継続して使用されました。単純な傍受に対する対策としては有効でしたが、1920年代には既に確立されていたスクランブラーの原理自体は一般に知られていました。このため、十分な時間と分析機器があれば、専門家が信号をスペクトログラムなどで解析し、処理方式を特定することは比較的容易でした。

アメリカの専門家や政府関係者は、A-3の盗聴リスクについて警告を発しており、これを受けて1940年頃からベル研究所では全く新しい方式の秘話装置の研究開発が始まりました。一方、イギリスと敵対するドイツでは、アメリカとイギリス間の秘話通信内容を傍受し解読する計画を進めていました。

ドイツ旧郵政省（Deutsche Reichspost）は1930年代から電話用の秘話装置の研究を行っており、第二次世界大戦の勃発を受けて敵国の秘話通信解読研究の重要性が増したため、秘話装置エンジニアだったクルト・E・フェッターラインを解読任務に就かせました。フェッターラインは、最も重要視されていたアメリカ-イギリス間の通話の解読を研究対象とし、解析に着手しました。

フェッターラインは、イギリスからの秘話通信電波を最も良好に受信できる地点として、当時ドイツが占領していたオランダ南ホラント州ノールトウェイク近郊の海岸を選びました。そこにユースホステルを利用して受信拠点を設け、処理手法の解析を開始しました。旧ドイツ郵政省は以前からアメリカとの重要通信のためにA-3を所有しており、基盤となる処理原理は把握していました。受信した信号を詳細に解析し、スクランブラーで使用されている5つのサブバンドの周波数、そして36パターンを1周期とし20秒ごとに変化するサブバンドの反転・配置換えパターンを特定することで、会話内容の復元が可能となりました。

1941年の秋には、連合国側の会話を24時間体制で常時監視できる体制が確立されていました。「Forschungsstelle」（研究センター）という呼称で呼ばれたフェッターラインのチームは、スクランブルされた会話を解析して録音し、複数の優秀な翻訳者がその内容の重要性を評価して、速やかに文字情報に変換し、暗号化してベルリンへ送信しました。当初はドイツ語に翻訳して送っていましたが、後に受信状態の悪さによる聞き間違いや翻訳ミスの問題を回避するため、英語のまま報告する形式が採用されました。多い日には1日に60件もの通話が傍受され、これにはチャーチル首相とルーズベルト大統領間の会話も含まれていました。チャーチル首相は時間帯を問わずルーズベルト大統領に電話をかけたと言い伝えられています。

戦況が悪化し、1943年頃から海岸付近のレーダーサイトなどが連合国軍の攻撃目標となったため、フェッターラインのチームはオランダ南東部北ブラバント州の小さな町、ファルケンスワールトへ移転しました。町の北部の森の中に、煉瓦とコンクリート、厚い鉄の扉で守られた堅牢な建築物を構築し、その中で盗聴活動を継続しました。しかし、戦況のさらなる悪化に伴い1944年にはバイエルンへ後退しましたが、受信環境が悪く十分な盗聴活動は困難になりました。

アメリカの対策とSIGSALYへの移行

第二次世界大戦が始まる前後から、A-3の技術的な限界と盗聴リスクはアメリカの専門家や政府関係者によって認識されていました。A-3経由で通話を行う際、回線のオペレーターが利用者に対し、盗聴に対する警告メッセージを流す運用が始まったほどです。

1941年12月7日の朝、日本の外交暗号解読により日米開戦が不可避であると判断したアメリカ陸軍のジョージ・マーシャル大将は、ハワイを含む太平洋方面の各部隊に警報発令を決断しました。当時ハワイへの最速の連絡手段はA-3を用いた電話回線でしたが、A-3の脆弱性を認識していたマーシャルは、日本への情報漏洩を懸念し、A-3の使用を見送り、情報を暗号化し電信で送る判断を下しました。この電信は真珠湾攻撃が終わった後に届き、警報連絡は間に合いませんでした。

こうした状況から、より高度な秘話装置の必要性はバトル・オブ・ブリテンが始まった1940年夏頃から強く認識されており、1940年にベル研究所で新しい秘話装置開発が「プロジェクトX」としてスタートしていました。このプロジェクトの成果として誕生したのが、音声暗号化装置SIGSALYです。これは世界初の現実的なデジタル音声通信システムであり、また音声通信と近代的な暗号技術を組み合わせた初の装置でもあります。暗号化手法はバーナム暗号を応用しており、共通鍵にはワンタイムパッド方式が採用されました。この方式の解読が理論的に不可能であることは、当時ベル研究所にいたクロード・シャノンによって証明されました。

SIGSALYは1943年7月にワシントンとロンドン間で運用が始まり、その後、北アフリカ、パリ、ハワイ、グアム、オーストラリアなどにも設置されました。また、マッカーサー将軍の司令部船上や、終戦直前のマニラ、そして終戦後のベルリン、フランクフルト、東京にも設置され、1946年まで使用されました。

アメリカ-イギリス間にSIGSALYの利用が始まると、ドイツが盗聴対象としていた連合国側のA-3による重要通信の件数は急速に減少しました。ドイツのフェッターラインらはこのことに気づき、アメリカ-イギリス間には別の電話回線が存在すると結論づけています。しかし、SIGSALYの存在は極秘情報として扱われたため、一般に知られることはなく、たとえ信号を受信できたとしても、その解読は不可能でした。これにより、フェッターラインのチームは十分な成果を上げることが困難になっていきました。

A-3は第二次世界大戦初期の重要通信を支えた装置ですが、そのアナログ技術の限界からドイツに解読され、より高度なデジタル暗号技術を用いたSIGSALYへと道を譲る形で、秘匿性の高い通信技術の進化の過程における一つの重要なステップとなりました。

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