Lotus Improv

Lotus Improv（ロータスインプロブ）とは

Lotus Improvは、かつてLotus Developmentによって開発・販売されていたスプレッドシートソフトウェアです。1991年にNeXTSTEP版がリリースされ、1993年にはWindows 3.1版が登場しましたが、商業的な成功を収めることができず、1994年に開発が中止されました。その後、Lotus DevelopmentがIBMに買収されたことで、1996年4月に正式に販売終了となりました。

Improvの革新的な特徴

Improvは、従来の表計算ソフトの概念を覆す革新的なアプローチを採用していました。従来の表計算ソフトでは、データ、数式、メモなどがすべてセルに混在していましたが、Improvではこれらの要素を明確に分離しました。具体的には、セルには入出力データのみを配置し、数式やマクロなどのオブジェクトはセルの外で管理することで、編集作業の簡素化とエラーの削減を実現しました。また、Improvでは、セルアドレスではなく、すべての数式に名前付き範囲を使用しました。これにより、データの位置に依存しない、より直感的で柔軟な数式記述が可能になりました。

商業的成功とニッチ市場での支持

Lotus 1-2-3やMicrosoft Excelなどの主流製品と比較すると、Improvは商業的な成功を収めることはできませんでした。しかし、特定のニッチ市場、特に金融モデリング分野では、非常に高い評価と支持を得ていました。Improvの影響は大きく、Lighthouse DesignのQuantixをはじめとする多くのクローンソフトウェアが開発されました。また、AppleのNumbersは、Improvと同様の数式と命名システムを採用し、その影響を受けていることが窺えます。

誕生までの背景

スプレッドシートの原型は、会計用のワークシートとして使われていた縦横線が引かれた紙です。当初は、セルのような長方形の領域にデータを入力し、そのデータに対して数式を適用することで、出力値を計算していました。カリフォルニア大学バークレー校のRichard Mattessich教授は、スプレッドシートを財務モデリングに活用することを提唱していましたが、計算に時間がかかるという課題がありました。1964年、Mattessich教授は、コンピュータを使って、変更箇所から再計算することで、シートを数秒で更新できると提案しました。

ビジネススクールでは、黒板に紙のようなレイアウトでスプレッドシートを描き、モデリングを教えていました。黒板を使うことで、エラー修正が容易になり、授業でシートを共有することができました。1979年、Daniel Bricklinは、黒板の代わりにパーソナルコンピュータを利用することを思い立ち、Bob Frankstonと共に、初の表計算ソフトであるVisiCalcを開発しました。VisiCalcは、Apple II向けにリリースされ、大成功を収めました。

VisiCalcの成功を受けて、数多くのクローンソフトが登場しました。その中で、VisiCalcのプログラマーであったMitch Kaporが開発したLotus 1-2-3は、VisiCalcを大きく上回る成功を収めました。Lotus 1-2-3は、IBM PCに合わせて最適化されており、最初の月に6万本を販売し、Lotusは世界最大級のソフトウェア企業へと成長しました。

ロータスの先進技術グループ(ATG)の設立

1986年、Lotusは先進技術グループ(ATG)を設立し、スプレッドシートの設定作業を簡素化するという課題に取り組みました。既存の表計算ソフトは使いやすいものでしたが、多くのユーザーは、シートの外観を想像することに苦労していました。ATGの開発者であるピト・サラスは、数ヶ月にわたる調査の結果、データ、データのビュー、そしてデータに作用する数式は、全く異なる概念であるという結論に至りました。しかし、既存の表計算ソフトでは、これらすべてを同じシートのセルに入力する必要があり、非常に混乱していました。サラスは、これらの概念を分離し、データを名前でグループ化することで、より分かりやすく、柔軟なスプレッドシートを実現できると考えました。

Back Bayプロジェクト

1986年夏、サラスはModelerというシステムのデモを作成しました。1987年2月、Glenn Edelsonを雇い、C++で動作するバージョンの実装を開始しました。彼らは、このコンセプトが金融モデリングに特に役立つと考え、Bonnie Sullivanに仕様書を作成させ、Jeff Anderholmに市場調査を行わせました。その年の夏、Modelerは多くの金融会社から非常に高い評価を得ました。

1988年9月、チームはModelerの実装を開始する許可を得ました。ターゲットプラットフォームとしてOS/2が選ばれましたが、OS/2が不安定であったため、開発は難航しました。このプロジェクトは、ボストンの地名にちなんで「Back Bay」というコードネームが付けられました。

NeXTSTEP版のリリース

OS/2での開発に行き詰まったチームは、1989年2月に、NeXTSTEPでの開発に移行することを決定しました。スティーブ・ジョブズはこの決定を喜び、チームに花束を贈りました。また、NeXTのエンジニアであるBruce Blumbergを派遣し、NeXTSTEPに関する技術的なサポートを行いました。C++とObjective-Cの組み合わせにより、プログラムの分離とバグ追跡が容易になり、NeXTSTEPのInterface Builderのおかげで、UIの試行錯誤もスムーズに進みました。

1989年4月、ジョブズは、メニューやウィンドウではなく、画面上のカテゴリとデータを直接操作する方法をチームに要求しました。これにより、Improvの最も有名な機能の一つである「タイル」が誕生しました。1991年2月に発売された「Improv for NeXT」は、ジョブズから「トラック1台分」の花束が贈られるほど、高い評価を得ました。Improvは、NeXTのキラーアプリとなり、金融市場でNeXTのシェアを拡大する原動力となりました。

Windows版のリリースと開発終了

NeXTSTEP版の成功を受けて、Windows 3.1版（Blue Marlin）とMacintosh版（Red Marlin）の開発が試みられましたが、移植は非常に困難でした。Macintosh版はリリースされませんでしたが、1993年5月にWindows版がリリースされました。Windows版も好意的なレビューを受けましたが、販売は低迷しました。1994年3月、LotusはImprovを1-2-3のアドインとして再定義しようとしましたが、成功しませんでした。1994年8月に開発が終了し、1996年4月にIBMがLotusを買収した直後、製品は正式に廃止されました。

Improvの後

PCプラットフォームでのImprovの失敗は、ソフトウェア市場における失敗事例として分析されてきました。Windows版が売れなかった理由としては、Lotus社内で1-2-3勢力からの抵抗があったこと、Improvを市場に売り込むためのノウハウが不足していたこと、Microsoft ExcelがOfficeバンドルの一部として安価に提供されていたこと、マクロ言語やundo機能が欠けていたことなどが挙げられます。Joel Spolskyは、Improvが特定の市場に特化しすぎて、Excelのような汎用性に欠けていたことを批判しています。

Improvは、1990年代に製品としては姿を消しましたが、業界では懐かしいアプリとして語り継がれ、Excelに関する書籍にも言及されています。また、Improvの消滅後、多くのクローンが登場しました。中でも注目すべきは、Lighthouse DesignのQuantixであり、金融市場をターゲットにしたほぼ直系のクローンでした。

Improvのコンセプト

Improvの核心は、データ、データのビュー、数式という3つの概念を分離することでした。スプレッドシートには入力データのみを配置し、各データセットに名前を付けてカテゴリにグループ化しました。数式は別のセクションで管理し、物理的な位置ではなく、範囲を通じてデータを参照しました。データのビューは動的に作成でき、数に制限はありませんでした。

従来の表計算ソフトでは、数式はセルの位置に依存していましたが、Improvでは「総売上 = 単価 × 売上高」のように、数式をより直感的に記述できました。また、Improvでは、データをグループ化することで、ビューを簡単に変更することができ、ピボットテーブルのような操作も容易に実現できました。

まとめ

Lotus Improvは、革新的なコンセプトを持ったスプレッドシートソフトでしたが、商業的な成功を収めることができませんでした。しかし、そのコンセプトは、後のスプレッドシートソフトに大きな影響を与えました。Improvは、スプレッドシートの歴史において、重要な役割を果たしたソフトウェアの一つとして、記憶されるでしょう。

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