ペイカン

イラン・イスラム共和国において、約40年もの長きにわたり国民的な乗用車として親しまれたのが、イラン・ホドロ社が製造したペイカン（ペルシャ語: پیکان）です。その名称はペルシャ語で「矢」を意味し、英語圏ではPaykanと表記され、発音はピーキャンとも呼ばれます。その多くがオフホワイトに塗られ、イラン国内の至るところでその姿を見ることができました。

開発と歴史的背景

ペイカンの歴史は、1960年代のイギリスに遡ります。その直接的な原型となったのは、ルーツ・グループが1966年に設計したファミリーカー、ヒルマン・ハンター、あるいはルーツ・アローというモデル群です。当時、既にアメリカのクライスラー傘下にあったルーツ・グループは、海外への展開を進めていました。

1967年、ルーツ・グループはイラン市場向けにヒルマン・ハンターの車両部品キットを輸出することを決定します。これらのキットの組み立てを担ったのが、イラン国内の自動車会社イラン・ナショナル社、現在のイラン・ホドロ社でした。こうして、イランの地でペイカンの生産が始まりました。

その後の国際的な自動車業界の再編は、ペイカンの運命にも影響を与えます。1978年、ルーツ・グループはフランスのPSA・プジョーシトロエンに買収されました。この買収に伴い、スコットランドのリンウッド工場で行われていたヒルマン・ハンターの生産は終了し、同工場の生産設備一式は遠くイランへ移管されることになります。これにより、イランでのペイカン生産体制はさらに強化されました。ペイカンは、その後も2005年まで、旧ルーツ・グループを買収したPSAグループからのライセンス供与を受けて生産が続けられました。

車両の特徴と評価

長期間生産されたペイカンですが、その基本的な設計は1966年型のヒルマン・ハンターの構造を色濃く残していました。しかし、いくつかの重要な変更も加えられています。特にエンジンの換装は特筆すべき点です。原型であるルーツ製の1725ccエンジンから、より近代的なプジョー・504に用いられていたドライブユニットへと変更されました。

一方で、全体の設計としては時代遅れとなり、特に燃費性能は決して良いものではありませんでした。にもかかわらず、ペイカンはイラン国内で絶大な人気を誇り続けました。その人気ぶりは、生産が終了する最終年度においても、今後2年分の受注を抱えているほどだったという事実からも伺えます。これは、その頑丈さや修理の容易さ、手頃な価格などがイランのユーザーに受け入れられた結果と言えるでしょう。

イラン自動車産業への貢献と後継モデル

イラン・ホドロ社にとって、ペイカンの長期にわたる生産は極めて重要な意味を持っていました。この車の組み立てから始まり、部分的な改良やエンジンの換装などを通じて、同社は自動車開発と製造に関する貴重なノウハウを着実に蓄積していきました。ペイカン生産で培われた技術力と経験は、後にイラン・ホドロが自社独自に開発した乗用車、サマンドを生み出す大きな原動力となりました。

現在、イラン・ホドロ社は、ペイカン生産で築いたPSAグループとの関係を活かし、同社からプジョー・405ブレークや、プジョー・405のボディとペイカンのシャシーを組み合わせた「RD」と呼ばれるモデル、さらにはプジョー・206といった他のプジョー車の生産を委託されています。

約40年にわたる生産の歴史に幕が下ろされたのは、2005年5月のことでした。ペイカンは、イランの自動車史におけるその役割を終え、後継モデルとして国内市場に投入されたルノー・ロガン（現地名Tondar）や、先に述べたイラン・ホドロの自社開発モデルであるサマンドへとその座を譲りました。

まとめ

ペイカンは、単なる一台の車というだけでなく、イランのモータリゼーションを支え、同国の自動車産業の発展に欠かせない役割を果たした歴史的な名車と言えます。イギリスの技術をルーツに持ちながら、イランの地で独自の進化を遂げ、国民生活に深く根ざした存在として、今なお多くの人々の記憶に残っています。

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