国富論

アダム・スミスの『国富論』：現代経済学と社会思想史の礎

アダム・スミスが1776年に著した『国富論』（正式名称：『諸国民の富の性質と原因に関する研究』）は、近現代経済学の出発点として、また社会思想史上の古典として位置づけられています。本書は、重商主義を批判し、自由な市場メカニズムを強調することで知られていますが、単純な自由放任主義の主張とは異なる、より複雑な内容を含んでいます。

スミスの経歴と『国富論』執筆の背景

アダム・スミスは、1751年からグラスゴー大学で論理学、のちに道徳哲学を教授しました。グラスゴー大学での講義は、『国富論』の重要な理論的基盤となっています。特にピン製造における分業の効率性に関する記述は、彼の初期の考えを示すものです。1759年に発表した『道徳感情論』は大きな反響を呼び、スミスはその後、大陸旅行に出かけ、ケネー、チュルゴー、ヴォルテールといった著名な思想家と交流します。この経験は、彼の経済思想の深化に大きく貢献しました。帰国後、ベンジャミン・フランクリンとの出会いも、植民地に関する彼の見解に影響を与えました。

『国富論』の構成と内容

『国富論』は、序論と5篇で構成されています。

序論および本論の構想: 富の定義を「生活の必需品と便益品」とし、年々の労働によって生み出されるものと位置づけます。これは、富を金銀とみなした重商主義への批判です。
第1篇：労働の生産力における改善の原因と、その生産物が国民のさまざまな階級のあいだに自然に分配される秩序について: 分業の重要性を、ピン製造の例を用いて論じています。交換性向と説得性向といった人間の性向が、分業と市場の成立に不可欠であると主張します。
第2篇：資本の性質・蓄積・用途について: 生産的労働と不生産的労働を区別し、資本蓄積のメカニズムを解説します。生産的労働からの剰余が資本蓄積につながるとし、政府の浪費よりも個人の浪費の方が資本蓄積を阻害する影響は小さいと論じます。
第3篇：国ごとに富裕への進路が異なることについて: ローマ帝国没落後のヨーロッパの経済史を分析し、都市の発展が農業の発展に先行した点を指摘します。これは、後の重商主義批判につながる重要な考察です。
第4篇：経済学の諸体系について: 重商主義と重農主義への批判を展開します。特に重商主義の保護貿易政策を批判し、自由貿易の優位性を主張します。また、アメリカ植民地問題についても論じています。「見えざる手」の概念が登場するのもこの篇です。
第5篇：主権者または国家の収入について: 国家の役割を国防、司法、公共事業の3点に限定し、小さな政府論を展開する一方、国家の役割の重要性を強調し、その費用を国民が負担することを当然とします。適切な租税制度の必要性を論じ、地代税と奢侈品税を評価します。

「見えざる手」と自由放任主義

「見えざる手」は、個人の利己的な行動が市場を通じて社会全体の利益につながるという概念です。しかし、スミスは市場に無条件で全てを委ねることを主張したわけではありません。彼は「自然的自由」や「自由競争」を重視していましたが、「自由放任」という表現は用いていません。初期の資本家たちは、スミスの主張の一部を都合よく解釈し、政府による規制への反対に利用しました。

『国富論』の評価と影響

『国富論』は、現代経済学の基礎を築いただけでなく、リカード、マルクス、ケインズなど多くの経済学者に影響を与えました。また、社会思想史にも大きな影響を与え、現代社会の多くの課題にもつながっています。

日本における『国富論』の受容と翻訳

日本には江戸時代から『国富論』が伝わり、明治時代以降、数多くの翻訳が出版されました。石川暎作、竹内謙二、大内兵衛、松川七郎など多くの翻訳家が、それぞれ異なる底本を用いて翻訳を行いました。翻訳の過程においても様々な議論があり、本書の解釈は時代や立場によって変化してきました。20世紀末以降は、誤解されている点を指摘する声も上がっています。

まとめ

『国富論』は、経済学、社会思想史において非常に重要な著作です。本書の複雑な内容を理解するためには、時代背景や思想史的な文脈を踏まえ、様々な解釈を検討することが重要です。

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