火星の人面岩

火星の人面岩（かせいのじんめんいわ）は、火星表面に存在する特定の岩山を指し、特に1976年にアメリカ航空宇宙局（NASA）の探査機バイキング1号が撮影した写真によって、人間の顔のように見えたことから大きな注目を集めました。火星の人面像とも呼ばれ、英語圏ではFace on Mars、The Face、Cydonia Faceなどと呼ばれています。かつては人工物説も唱えられましたが、現在では、視覚的な錯覚の一種であるパレイドリア現象によって引き起こされたものとして理解されています。

地理

この特異な地形は、火星の北緯40.8度、西経9.6度（または東経350.4度）に位置しています。火星の地理区分では、アキダリア平原とアラビア大陸の境界付近に広がる、頂部が平らな山々が集まる地域、シドニア・メンサエの北部に位置しています。特定の固有名称はなく、この地域全体は火星探査以前の観測時代から「シドニア」と呼ばれており、非公式にはシドニア地域やシドニア平原（実際には山地も含む）とも呼ばれます。

地形としては、周囲の土地からの高さは約240メートルです。これは、マーズ・グローバル・サーベイヤー（MGS）に搭載されたレーザー高度計（MOLA）による精密な計測値です。バイキング1号の写真における影の長さから以前推測されていた約413メートルという値は、この高精度な計測によって大幅に下方修正されました。

山体そのものの大きさは、バイキング1号の写真解析によれば、長さがおよそ2540メートル、幅がおよそ2045メートルとされています。

「人面」の発見と解明の経緯

バイキング1号による発見とその反響

1976年 7月25日、火星周回軌道上から活動していたNASAの探査機バイキング1号が、火星表面のシドニア地域を撮影した画像の中に、異様な形状の地形を発見しました。それが、長さ約3キロメートル、幅約1.5キロメートルにおよぶ、あたかも巨大な人の顔が彫刻されたような岩山でした。NASAは直ちにこの発見を公表し、公式には「太陽光の当たり方と地形の起伏が偶然重なって、顔のように見えたにすぎない」との見解を示しました。しかし、この画像は世界中の人々に衝撃を与え、単なる偶然ではないと考える人々によって様々な憶測が生まれました。

彼らは独自に画像を詳細に分析し、「人面岩には眼球や歯のように見える構造がある」「まるで涙の跡のようだ」「近くにはピラミッドのような構造物がある」「口が動いて何か言葉を発しているようだ」といった主張を展開しました。こうした見解は、「この人面岩は、かつて火星に存在した古代文明が残した巨大な遺跡ではないか」「あるいは、地球人が火星に建造した人工物かもしれない」といったロマンチックな憶測を呼び起こし、世界中で大きな話題となりました。その神秘的なイメージは、SF映画『ミッション・トゥ・マーズ』のようなフィクション作品や、テレビ番組、音楽など、様々なメディアで取り上げられ、より一層多くの人々の関心を集めることになりました。

マーズ・グローバル・サーベイヤーによる再撮影と科学的結論

人面岩を巡る議論が続く中、NASAは1996年に打ち上げられたマーズ・グローバル・サーベイヤー（MGS）のミッションにおいて、人面岩を再び高解像度で撮影することを計画しました。MGSはバイキング1号のカメラをはるかにしのぐ性能を持っており、比較にならないほど鮮明な画像を撮影することが可能でした。幾多の技術的な課題を乗り越え、MGSは火星の高精度な地形図を作成する一方で、2001年には人面岩の新たな画像を公開しました。

この鮮明な画像によって、人面岩が自然に形成された単なる岩山であることが改めて確認されました。同時に、近くにある「ピラミッド」のような地形も鮮明に捉えられ、これも自然地形であることが明らかになりました。なぜバイキング1号の写真で顔に見えたのかという疑問についても、科学的な説明がなされました。人間は、無秩序なパターンの中に既知の形（特に顔）を見出そうとする心理現象であるシミュラクラ現象を起こしやすい傾向があります。バイキング1号が人面岩を撮影した際、太陽光の角度が非常に低かった（約20度）ため、地形の凹凸によってできた影が偶然、目、鼻、口といった顔の要素のように見え、それを見た人々がシミュラクラ現象によって顔だと認識したのだと結論づけられました。

しかし、中には、NASAが高解像度画像を加工して人工物に見えなくしたのだ、あるいは立体的にもやはり顔のような構造が見られるはずだ、といった根強い主張も存在しました。だが、実際にはバイキング1号の画像はNASA自身が「顔のように見える興味深い地形」として公開したものであり、後になってこれを隠蔽する動機は考えにくいという反論がなされています。なお、NASAは人面岩以外にも、火星表面で見られるユニークな地形として、例えばスマイリーフェイスに見えるガレ・クレーターや、きれいなハート型をした地形などの画像も公開しています。

マーズ・エクスプレスによる詳細観測

さらに2006年には、欧州宇宙機関（ESA）の火星探査機マーズ・エクスプレスが、人面岩とその周辺のより詳細な立体画像を公開しました。これらの画像解析から、この地形がもともと存在した大きな堆積層が侵食されて崩壊し、その表面を溶岩流が覆った結果形成されたものであるとする、具体的な地質学的形成過程の解釈も示されています。

火星の人面岩は、科学技術の進歩が、当初「古代の謎」と考えられた地形を、自然界が生み出した興味深い造形物として解明していった過程を示す好例と言えるでしょう。

火星の人面岩