むつ (原子力船)

原子力船むつ

「むつ」は、1969年（昭和44年）6月12日に進水した、日本で初めて建造された原子力船です。その着工は1968年（昭和43年）11月27日に遡ります。軍艦を除く原子力動力を持つ船としては、ソビエト連邦の原子力砕氷船「レーニン」、アメリカの貨客船「サバンナ」、西ドイツの鉱石運搬船「オットー・ハーン」に続く、世界で4番目の存在でした。船の名称は一般からの公募で選ばれ、進水時の母港であった青森県むつ市の大湊港にちなんで名付けられました。

建造と初期の期待

「むつ」の建造計画は、もともと観測船として1963年（昭和38年）に具体化しました。同年8月には、その開発を専門に進める「日本原子力船開発事業団」が設立されます。着工から約半年後の1969年6月12日に行われた進水式は華々しく、当時の皇太子夫妻（後の上皇ご夫妻）が出席され、美智子妃（現上皇后陛下）が支綱を切断されました。佐藤栄作首相（当時）をはじめ多くの関係者が見守る中、期待を一身に集めて船は進水。記念切手も発行されるなど、原子力という最先端技術を搭載したこの船に対する社会的な関心と歓迎ムードは大変高いものでした。

事故と波紋

順調に建造が進み、1972年（昭和47年）9月6日には原子炉への核燃料装荷が完了。1974年（昭和49年）8月28日には太平洋上での出力上昇試験中に初めて臨界に達し、原子力船としての一歩を踏み出しました。しかし、そのわずか数日後の9月1日、試験航海中に原子炉上部の遮蔽リングから、主に高速中性子が外部へ漏れる「放射線漏れ」が発生しました。これは原子炉内の放射性物質そのものが外部に流出する「放射能漏れ」とは異なる現象でしたが、当時のマスメディアによる報道は両者を混同し、社会に大きな不安を招きました。

このトラブルにより、「むつ」は試験を中止し帰港を余儀なくされます。ところが、風評被害を恐れた地元むつ市の漁業関係者を中心とする市民が、船の帰港に猛反発。港に入れなくなった「むつ」は、長期にわたって洋上を漂泊することを強いられるという異例の事態に陥りました。

修理と新たな場所へ

漂泊が続く中、1978年（昭和53年）に長崎県佐世保市での修理が決定します。これは、当時経営不振にあえいでいた佐世保重工業に改修工事を請け負わせることで、同社を支援する意図も背景にあったとされています。「むつ」は同年10月16日に佐世保港に入港しましたが、ここでも長崎県漁連や労働団体を中心に強い反対運動が起こり、抗議船団に囲まれての入港となりました。なお、この際に「放射線」を「放射能」と誤って報じた報道も見られました。佐世保では1980年（昭和55年）8月から1982年（昭和57年）6月末にかけて、放射線遮蔽性の改修工事が実施されました。

佐世保市が「むつ」の修理を受け入れた背景には、政治的な取り決めである「むつ念書」がありました。これは、佐世保での修理受け入れの見返りとして、九州新幹線西九州ルート（長崎新幹線）の優先的な着工を約束したものでした。しかし、その後の経緯で佐世保市を経由しないルートが決定し、約束通りの実現とはなりませんでした。

稼働試験と解役

佐世保での改修を終えた「むつ」は、1982年（昭和57年）8月にいったん大湊港に戻った後、長期にわたる地元との交渉を経て、むつ市の下北半島側、津軽海峡に面した関根浜港に新たな母港が整備されることが決定します。そして1988年（昭和63年）1月27日、港開きが行われたばかりの関根浜港にようやく入港しました。この間、開発事業団は日本原子力研究所（現・日本原子力研究開発機構）に統合され、国による研究計画も策定されました。

関根浜港を拠点として、1990年（平成2年）からは低出力運転試験や4度の試験航海、出力上昇試験などが本格的に行われました。その結果、1991年（平成3年）2月には船舶および原子炉としての性能が確認され、合格証を取得します。その後、1992年（平成4年）2月にかけて全ての試験航海を終了。この間の原子力による航行距離は82,000キロメートルにも達し、これは地球を2周以上する距離に相当します。当時の機関士は、アリューシャン列島沖の荒れた海でも良好な操舵性や、機関の迅速な応答性を回想しており、技術的な性能は十分に証明されました。

航海終了後、「むつ」は解役のプロセスに入ります。1993年（平成5年）5月から7月にかけて使用済み核燃料が取り出され、1995年（平成7年）6月には原子炉室が撤去されました。船体はその後、海洋科学技術センター（現：海洋研究開発機構）に引き渡されます。

「むつ」の現在

解役された船体は、原子力機関をディーゼルエンジンに換装され、海洋地球研究船「みらい」として生まれ変わりました。現在は国立研究開発法人海洋研究開発機構（JAMSTEC）の調査船として、世界中の海で活躍しています。一方、「むつ」から取り外された操舵室・制御室や、撤去された原子炉室は、むつ科学技術館（青森県むつ市）で展示されています。特に、実際に稼働した原子力船の原子炉が一般公開されているのは世界でも唯一であり、鉛ガラス越しに見学できるようになっています。かつて佐世保市にも原子力船展示館がありましたが、これは後に廃止されています。

「むつ」の設計に関しては、建造前に高速中性子が遮蔽体の隙間から漏れる「ストリーミング現象」が起こりうるとの指摘が海外メーカーからあったものの、設計に反映されなかったという問題がありました。しかしその一方で、大型タンカーとの衝突を想定した高い船体強度設計や、万一の沈没時に水圧で格納容器が圧壊しないように海水導入を考慮した設計、転覆時にも制御棒が炉心に留まるようにバネで押さえ込む設計など、安全性に関する先進的な工夫も複数盛り込まれていました。

日本が初めて挑んだ原子力船「むつ」の開発は、技術的な期待と成功の一方で、社会的な受容やコミュニケーションの難しさ、設計上の課題などを浮き彫りにし、日本の原子力開発の歴史において重要な教訓を残しました。その波乱に満ちた生涯は、小説や漫画といったフィクション作品の題材にもなっています。

世界には、「むつ」以外にもロシアの原子力砕氷船「レーニン」や「アルクティカ級」、アメリカの貨客船「サヴァンナ」、西ドイツの鉱石運搬船「オットー・ハーン」など、商用目的の核動力船が複数存在しましたが、経済性や社会的な問題から多くは現役を終え、博物館船や解体されるなど、原子力商船の実用化は限定的なものに留まっています。

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